変化(3)
「──ごめんなさい、お待たせしてしまって」
一旦部屋へと戻り、帽子とケープコートを羽織ってきたクローディアは、先に待ち合わせ場所にいるリアンを見て大きく目を見開いた。
先ほどまで赤い色のコートを着ていたリアンだが、今は自分と揃いの色のものを着ていた。お洒落好きなローレンスの案だとすぐに分かったが、家族でもなければ婚約者でもない相手とお揃いにするなんて、周囲からどのように思われることだろう。
城に閉じこもってばかりのクローディアは、自分の知らないところで人々が何と噂しようと、耳に届くことはないが、リアンはどうだろうか。オルヴィシアラに婚約者はいないのだろうか。迷惑だと思ったりしないだろうか。
あれやこれやと考え始めてしまったその時、クローディアへと手が差し出される。
「お手をどうぞ」
リアンは少し気恥ずかしそうに微笑んでいた。知り合った頃に髪や顔を隠すために被っていたフード付きのマントはもうなく、綺麗な金色の髪が陽に照らされてキラキラと輝いている。
その姿がとても眩しく感じられたクローディアは、今日も変わらず冷たいリアンの手に手を重ね、馬車へと乗り込んだ。
「ありがとう、リアン」
どういたしまして、と小さな声で返したリアンは、クローディアに続いて馬車の中に入ると、向かいに腰を下ろした。
馬車が動き出すなり、クローディアは扇を広げた。知らずのうちに頬に熱が灯っていたのだ。男性と二人きりで馬車に乗り緊張しているからだと思うが、今日の自分はいつにも増して変な感じがした。
「…なんか久しぶり。ディアと話すの」
小窓から吹き込んでくる風に、リアンは目を細めている。その横顔はとても穏やかだ。
「そうね。ずっとローレンス兄様に独り占めされていたもの」
「それ、寂しかったってこと?」
リアンの問いかけに、クローディアは息をするのを忘れ、口を開けたまま固まった。
寂しかったのかと聞かれたら──その通りだ。怪我の具合が良くなってから、リアンはローレンスに連れ出されてばかりで、クローディアとは五日に一度くらいの頻度で挨拶をするくらいだった。
話したいことがあったわけではないが、クローディアは兄たちよりも先にリアンと出逢ったのだ。兄の方がリアンと仲良くなっていたら、なんだか置いて行かれたような気持ちになる。
「…顔を見れていなかったもの。話だってしていないし」
「顔なら、何度か招待して頂いた夕食会で見なかった? 挨拶もしたし」
「それだけでは、寂しいわ」
そう呟いて、クローディアはハッとした。この口は今、とんでもないことを言っていた気がする。面と向かって会って話せなかったのが寂しいだなんて、家族にすら言ったことがないというのに。
クローディアは慌ててリアンから目を逸らし、ぎゅっと目を瞑った。
そんなクローディアを見て、リアンはくすっと笑った。寂しいと言って、扇で顔を隠されてしまったら──暴きたくなってしまう。今どんな表情をしていて、どんな気持ちでそれを口にしたのかと。
リアンはクローディアの細い手首を掴むと、ゆっくりと下へ動かし、顔を覗き込む。クローディアの頬はほんのり赤く色づいており、菫色の瞳は窓の外を見つめていた。
自分も寂しかったよ、と返そうと思っていたリアンは、開きかけた唇を閉じて、掴んでいたクローディアの手を離した。
何故そうしたのかと訊かれたら、肺の奥辺りに痛みがあったからだ。そのまま触れていたら、息をするのが苦しくなってしまいそうだった。なぜなのかは分からないが。
そうして暫くの間、カラカラと動く馬車の音を聞きながら、移り変わる景色を楽しめるようになった頃。クローディアはゆっくりとリアンへ視線を移し、口を開いた。
「…あれからどうしていたのか気になっていたから、会えて嬉しいわ」
──あれから。こうしてクローディアがリアンと面と向かって話すのは、フェルナンドが帰国する数日前に開かれた晩餐会の後以来だ。襲いかかってきたフェルナンドから、リアンに助けられた。
あの時はまだリアンは歩くことで精一杯で、クローディアを部屋の近くまで送り届けた後、寝泊まりさせてもらっていた部屋に辿り着く前に倒れ、意識を失ってしまった。
格好つけておきながら、結局いつもそのまま貫けずにいるリアンは、恥ずかしいからと言ってその件についてはクローディアには伏せてもらったのだが。
「あれからか。傷が良くなってきてから、ディアのお兄さん達…陛下や殿下がよく訪ねてきてくれたよ。楽しい話をたくさん聞かせてくれた」
リアンは苦い記憶に蓋をした後、クローディアに近況を話していった。
参加を辞退した晩餐会の翌日、皇帝ルヴェルグが見舞ってくれたこと。エレノスが優しい味のする綺麗なお菓子を持ってきてくれたこと。
二日に一度の頻度でローレンスが会いに来ては、部屋の外に連れ出してくれたこと。
クローディアの幼少期の微笑ましい話も聞いたが、それは言わずにリアンは微笑みを浮かべた。
「ディアは愛されてるんだね。皆ディアのことばかり話してた」
自分とはまるで違う、とリアンは思った。生まれた時は誰もが祝福し、たくさんの人に愛されて育ったのだろうと思ったが、口にはしなかった。ないものねだりをしたところでしょうがないのだ。リアンとクローディアは別々の人間なのだから。
リアンの淋しげな微笑みを見つめていたクローディアは、躊躇いがちに口を開いた。
「…リアンは、不仲なのよね? お兄様と…」
「まあそうだね。不仲なんて表現じゃ優しすぎるくらい」
優しい家族に愛され、大切に育てられたクローディアには、自分とは正反対の境遇で育ったリアンの家庭環境というものが想像できなかった。
リアンにとって、家族とはどのようなものなのだろうか。知りたいと思いつつも、訊いていいものなのかと迷っているクローディアを見ていたリアンは、クローディアの膝の上にある扇を手に取り、指先で弄んだ。
「俺が生まれた国の人たちは、神を信仰してるんだけど、その神様が金髪でさ。…黒髪しかいない王家で、この髪で生まれた俺は神を冒涜する存在だって言われて。生まれてすぐに殺されるはずだったんだよね」
リアンは淡々とした口調でそう語ると、頬杖をついて窓の外へと視線を投げた。
「だけど、あいつが泣いて止めたらしいよ。命は尊いからとかなんとか」
リアンがあいつと呼称する人間はただ一人、腹違いの兄であるフェルナンドのことだ。王族と縁のある大貴族の娘との間に生まれた、黒い髪と瞳を持つ国の後継者。
リアンとは違う、正統な血筋の王子。
「…お陰で俺は、綱渡りするみたいに生きてきた。あいつの気分次第で、いつ殺されてもいいようなものだったな」
自分のことなのに他人のように語るリアンの横顔から、何を思っているのかは分からなかった。だが、もう何もかもを諦めていそうな口振りだというのに、瞳の光は失われていない。
リアンはまだ諦めていないのかもしれない、とクローディアは思った。それが何なのかは上手く言葉にできないが。
「だから髪を隠していたの?」
「うん、そう。そうしたら人の目に触れないし」
他人に見せたくもないし、自分自身も見たくもない金色の髪に、リアンは何度理不尽な思いをさせられたことだろう。
思い返すだけで息が詰まりそうになるが、リアンを見つめるクローディアの眼差しは柔らかく、温かく、初めて光を知ったような目で見つめられ、リアンはそれ以上何も言えなくなった。
「私は好きだわ、リアンの髪。ルヴェルグ兄様のようで素敵よ」
好きだという言葉に、リアンの鼓動は跳ねた。誤魔化すように視線を落とし、扇を握る手の力を強める。
「それはローレンス殿下にも言われたよ。…綺麗だから見せてくれって」
だから最近はフード付きのマントやケープを身に付けなくなったのだとリアンは告げると、勇気を出すような心持ちでクローディアを見た。
クローディアは柔らかに笑っていた。その方がとっても素敵だと囁くような声音で言うと、窓の外へと視線を戻した。
思わず好きだと言ってしまったクローディアと、好きだと言われたリアン。ふたりは互いに胸の鼓動が早鐘を打っているのを感じながら、ゆっくりと呼吸をする。
(──やっぱり、なんだか変だわ)
(──わかっているのに、何なの)
ただ、髪について言っただけなのに──と、ふたりとも心の中で呟いた。ただそれだけのことなのに、どうして泣きたくなるのだろう。どうして息をするのが難しくなったような気がするのだろう。
“どうして”と何度も胸の内で自分に問いかけたが、答えはひとつも返ってこなかった。
顔を合わすたびに、笑っていてほしいと願ってしまうその気持ちの名も、ふたりはまだ知らなかった。
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