希求(3)


「私が嫁ぐのではなく、殿下が私の夫となり、帝国の皇族の一員となられるのです」


ルヴェルグがクローディアの言葉の意味を理解するまで、随分と時間がかかった。


(──嫁ぐのではなく、夫を迎える?)


まるで婿養子のようだ。跡取りの男児がいない貴族が、別の貴族から次男三男を婿にしてそのまま家を継がせるというのはよくある話だ。だが、皇族間ではあまり聞いたことがない。


帝国の歴史の中で、皇女しか皇位継承者がいなかった場合、皇女がそのまま女帝として即位することはあったが、クローディアの皇位継承順位は三番目だ。


ルヴェルグに万が一のことがあったとしても、上には兄たちがいる。そんな皇女の婿を、帝国の皇家の一員にする利点はない。


ルヴェルグはしばし考え込んだ後、胸の前で組んでいた腕をほどいた。とても良いことを閃いたのだ。


「クローディア。ひとつ条件があるのだが、聞いてくれるか?」


クローディアは小首を傾げた。どのような条件を提示してくるのだろうか。無理難題でなければいいとクローディアが身構えたのも束の間、ルヴェルグは爽やかな微笑みを浮かべながら口を開いた。


「子をひとり私にくれ。帝国の跡継ぎにしたい」


「………はい?」


クローディアは手に持っていた紅茶のカップを落としそうになった。つい先日ローレンスから貰ったこれは、他国の名産品であり花の香りがすることで有名な物だ。


無駄にならなくて良かったとほっと胸を撫で下ろしたが、今はそんなことを考えている場合ではない。


「名案だと思わないか? 私の世継ぎ問題が解決するうえ、妃も娶らずに済む。そなたと殿下の子ならば、男女どちらでも美しく優しく聡明になるだろうな」


硬直しているクローディアを余所に、ルヴェルグはうんうんと頷いている。


「あの、皇帝陛──ルヴェルグ兄様。私とリアンはっ…」


子を作るつもりなど──ましてやそのような関係になることなどないとクローディアは言いかけたが、慌てて口を噤んだ。


「ん? どうしたんだ?」


不思議そうな目で見てくるルヴェルグに「何でもご

ざいません」と言い返し、クローディアは今度こそ紅茶に口をつけた。


皇族同士の婚姻は、国と国を固く結びつけるものだ。両国の血を引く子供が生まれてこそ、婚姻の真の目的を成すと言っても過言ではない。それを悪用しようとした結果、悲しい最期を迎えた者もいるが。


(…子なんて……)


ルヴェルグの言葉は理解したつもりだった。即位からたったの五年で、大きな戦を終結させただけでなく、様々な問題を片付けてきたルヴェルグは今や大陸一の国の皇帝だ。


そんな彼に釣り合う身分の女など、海を越えて探しに行かなければいないだろう。


だからと言って、妹の子を──ましてや形だけの結婚をしようとしているクローディアの子を跡継ぎにしたいと言うなんて。


あれやこれやと考え始め、困った顔をしてしまったクローディアを見て、ルヴェルグはフッと笑った。


「…跡継ぎの話はさておき、ヴァレリアン殿下との結婚は賛成だ。のちほどエレノスとローレンスも呼んで話しておく。そうしたら王国に使者を送り、進めていくとしよう」


クローディアは顔を上げた。条件があるなどと言っておきながら、快く了承してくれるとは。


元よりリアンのことを気にかけていたからというのも理由の一つだろうが、皇帝が賛成してくれるならばこの話は決まったも同然だ。


「ありがとうございます、皇帝陛下」


クローディアはソファから立ち上がり、ドレスの裾を摘んで頭を下げると部屋を出て行った。


その背を穏やかな目で見送ったルヴェルグは、妹の足音が遠のいた後、相棒である長机の所へと戻り、その下を覗き込んだ。


「──もう出てきても良いぞ」


ルヴェルグの声に、机の下に潜り込んでいたローレンスが「よいしょ」と出てきた。なんと隠れて聞き耳を立てていたのだ。


「初めて机の下に入ったが、窮屈ですね。僕の美しいヘアセットが乱れてしまった」


──毎日同じ髪型をしているのに、何を言っているのだ。ルヴェルグは呆れたように笑うと、へらりとしているローレンスの頭を優しく叩く。


「全く、堂々と聞いても問題ないだろうに。皇族としてうんたらかんたらと年中語っているそなたが、皇帝の執務室の机の下に隠れて盗み聞きをするなど、帝国中に報せてやりたいものだな」


「堪忍してくれたまえよ兄上。僕はただ花を入れ替えに来ただけなのだよ」


ローレンスはそう言い訳をするが、そもそもルヴェルグの部屋に花は飾っていない。チェストの上にある花瓶はずっと空のままだ。


「そういうことにしておこう」


ルヴェルグはローレンスと入れ替わるようにして机の前の椅子に腰を下ろすと、頬杖をついてローレンスを見上げた。


ローレンス=ジェラール=アウストリア。オルシェ公爵家と並ぶ名門貴族・ジェラール公爵家の息女が母である、紫の髪と瞳を持った、誰よりも皇帝の座に近かった誇り高き皇子。


そんなローレンスは美しいものに目がない。たとえそれが花であろうと食べ物であろうと、人間であろうとも。


「そなたは殿下のことを気に入っていたな。此度の件、どう思う?」


ローレンスがリアンのことを気に入り、よく二人で出掛けていることを知っていたルヴェルグは、先ほどクローディアと話していたことについて尋ねた。


手鏡で自分の髪や顔をチェックしていたローレンスは、ぱちぱちと目を瞬かせながらルヴェルグを見る。


「それは皇帝の弟に聞いていますか? それとも弟のローレンスに?」


「愛する弟に聞いている」


愛するという単語を聞いてローレンスは光の速さで手鏡を仕舞い、にやけそうになるのを堪えながら「えっへん」と声を出すと、ルヴェルグの前に椅子を運んで座った。皇帝が仕事をする机の前に椅子を置いて座るのは、この先もきっとローレンスくらいだろう。


「正直な話をすると、怖くもあります。僕個人としては殿下のことは好きなんですけどね」


「何故怖いんだ? 真珠くらいしか取り柄のない国だが、国が信仰している宗教の影響か、戦を起こすことはないだろう? 五十年後を考えても平和に付き合える相手だと思うのだが」


その実態はさておき、自称平和主義者であり平和を愛すると謳っている国は、自ら戦を起こすようなことはしない。帝国の国家と親戚関係になるのなら尚更だろう。


ならばローレンスは何を恐れているのだろうか。探るような眼差しでルヴェルグはローレンスを見つめる。


ローレンスの目はルヴェルグへと向けられたままだが、その後ろにある大きな窓の向こうに広がるものを見ているようだった。青い空の向こう──うんと遠くにある何かを捜すような眼差しで外を見ていたローレンスは、重い吐息を吐くとルヴェルグに向き直った。


「僕はね、あの日のディアの姿が忘れられないのですよ」


「…あの日、とは?」


「ディアが寝起きで僕のところに駆けてきて、大泣きした日のことです。悪い夢を見たのだと本人も周りも言っていましたが、僕にはそうは思えなくてね」


ルヴェルグは必死に記憶を辿る。確かそれは建国際の前だっただろうか。いつものように政務をこなしていたら、夜分にエレノスとローレンスが来てそのような報告をしてきたのだ。


「悪い夢を見ただけなのだろう? …思い出すのも辛いものを」


「勿論、僕もそう思ってますよ。ただの夢であればいいとね。…ですが、もしも予知夢のようなものだったら? あの日“オルヴィシアラ”と口にしていたことに何か意味があるのではないかと思っているのです」


夢は夢でしかないとルヴェルグは思っているが、ローレンスは違うようだ。あの日からクローディアの言葉の意味についてずっと考えていたのか、当事者でもないのに難しい顔をしている。

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