約束(2)


陽が闇に塗りつぶされ、夜の太陽が顔を出した頃。眩い月がぼんやりと浮かんでいる空を眺めていたクローディアは、扉が開く音で我に返った。


「──ディア」


扉が開くと同時に、リアンが姿を現す。入浴からそれほど時が経っていないのか、きらきらと輝く金色の髪は雫を纏い、艶やかに光っていた。


「…どうしたの? リアン」


クローディアは長いカーテンを閉め、ベッドの端に腰を掛けた。そうしてリアンに部屋に入るよう手招きをする。


結婚式を挙げてから、今日で半月。クローディアの夫となったリアンが堂々と二人の寝室に入って来なかったのは、初夜から三日目以降は別々に寝ていたからだ。


とは言っても、別室で寝ていたわけではなく、クローディアは寝室のベッドで、リアンはソファで寝起きをしていた。


話し合ってそうしていたわけではないが、四日目から公務で別行動を取っており、就寝時間が合わなかった為に、先に寝ているクローディアを起こすのは忍びないと考えたのか、リアンは自らソファで寝ていたようだった。


「……いや、その…今夜から同じベッドで寝ようと思って」


リアンは何度か口を開き、閉じてから、小さな声で伝えた。


その言葉にクローディアは首を傾げた。何も共に寝る必要はないと考えていたからだ。それをリアンも承知していると思っていた。

だって、二人は形だけの夫婦なのだから。


「…別々に寝てるって噂されたら嫌じゃない?」


頭の上にハテナを浮かべているであろうクローディアに、リアンは少し困ったような顔をしながら話を続ける。


「俺たちは政略結婚みたいなものだけどさ、互いの利害の一致のためだけとはいえ、一応夫婦なわけだし……寝起きは一緒にして、話せる時に、話せることは話しておきたいなって思って」


「…………」


「たとえ表向きだけのものだとしても、家族になったわけだし。こんなに近くにいるのに、他人のままでいるのは寂しいなって思ったから」


それがクローディアに一番伝えたかった言葉だとでも言うように、リアンはクローディアを見つめ、一音一音を大切に紡いだ。真摯な表情を間近に眺め、クローディアは言葉を発することもできずにいた。


(──リアンは)


クローディアはリアンの顔をじっと見つめる。まるで宝石のような、青く澄んでいるリアンの瞳に、無表情の自分が映っていた。


クローディアがリアンを夫に選んだのは、リアンになら裏切られてもいいと思えたからだ。リアンはクローディアにとって、二度目の人生を自らの足で歩き出した日から、初めて外の世界で出会った人だった。


名を知って、同じ身分の人間だと知って、フェルナンドの弟だと知って──戸惑い、背を向けそうになったにも関わらず、リアンはクローディアをひとりの人間として接してくれた。


そんなリアンのことを、クローディアは利用した。リアンの夢を叶える力と引き換えに、夫という名の鎖で縛りつけ、フェルナンドから逃れるための盾にした。


だというのに、リアンは形だけの関係だとしても、大切にしようとしてくれているようだった。こうしてクローディアに向き合い、共に寝起きをしようと提案してくるのだから。


クローディアはゆっくりと視線を落とした。


「……夫婦って、他人だと思ってたわ」


「別々の人間に変わりはないよ。夫婦だろうと親子だろうと…兄弟だろうと」


リアンは恐る恐るといったふうにクローディアの隣に腰を下ろす。二人の間には人間が一人入れるくらいの距離があった。


「…知りたいなって、思ったんだよね。ディアのこと」


優しい声に、クローディアはふらりと視線を持ち上げる。


「今更だけど、色々とすっ飛ばしてきちゃったから」


「すっ飛ばしたって、だって、そもそも私たちはっ…」


「──だからさ、ディア」


俺の話を聞いてよ、とリアンは話を遮ろうとしたクローディアに言うと、美しい銀色の髪をそっと撫でた。


「何が好きとか、何が嫌いとか。行きたい場所とか、やりたいこととか、教えて欲しい。…そうして互いを知っていって、その先でいつか、同じ景色を見れるようになれたらいいなって思う。せっかく隣で生きているんだから。…いつか終わってしまう関係なのかもしれないけど」


「……いつか、終わってしまうのかしら」


クローディアはぽつりとこぼす。形だけの関係とはいえ、夫婦には終わりがあるものなのかと疑問を抱いたのだ。


「………ディア?」


クローディアがごくりと喉を鳴らしたのと、リアンがゆっくりと名前を呼んだのは同時で。クローディアの一言が意外だったとでも言うかのように、リアンは目を見張っていたが、何も発さずに続きを待っていた。


「…たとえばの話よ。もしも、私と夫婦でいる必要がない日々が訪れたとしたら、リアンはどうする?」


「どうするって…何でそんな事、」


リアンの眉が顰められる。きっと、聞くまでもないことだったのだろう。それっきり、口を閉ざして考え込んでしまったリアンの横顔を見て、クローディアは訊かなければよかったと後悔した。


(──考えれば、分かることなのに)


クローディアは俯いた。

リアンに夫として隣に居てもらう必要がなくなるとしたら、それはフェルナンドかクローディア、どちらかの呼吸が止まった時で。そうなれば、リアンを縛る理由はなくなり、彼は自由になれる。


だからきっと、この関係を続ける必要がなくなる日が来たら、リアンはいなくなってしまうのだろう。


そう、思ったのに。意を決して顔を上げたクローディアの目に飛び込んできたのは、雪溶けの春のような淡い微笑を浮かべているリアンだった。

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