予兆(3)
「どうしたんだ、ヴァレリアン。そんな顔をしていては、神に愛された顔が台無しだぞ」
フェルナンドはニィ、と唇を綻ばせる。三日月のように細められた目や薄気味悪い微笑みを見て、気持ちが悪いと感じたのはリアンだけのようだ。
「なんでここにいるわけ?」
「何を怒っているんだ? 実の兄が会いに来たというのに」
「怒るも何も俺は──」
ぷつりとリアンの中の何かが切れたのが目に見えて分かったローレンスは、慌てて二人の間に入って喧嘩を止めようとしたが、ローレンスよりも先にエレノスが動いた。
「落ちきましょう、ヴァレリアン殿下」
今にもフェルナンドに対して何かをしかねないリアンへと、エレノスは穏やかに微笑みかける。
「フェルナンド殿下は、貴方様への贈り物を届けに来てくださったのですよ」
リアンは眉をぴくりと動かした。これまで一度も人間扱いをしてこなかったどころか、時には気分で玩具のように弄んできたというのに、贈り物をしてくるなんて一体何の企みがあってのことだろうか。
「そうだぞ、ヴァレリアン。…寂しいからってそう拗ねないでくれ。また会いに来るから」
にっこりと笑ったフェルナンドが、リアンの頬に手を添える。その瞬間リアンはすぐさま身を引き、地面から足を剥がして駆け出した。
「ヴァレリアンっ…!!」
リアンへと伸ばされたフェルナンドの手は宙を掻いた。
フェルナンドはしばらくの間リアンが去った方を見ていたが、エレノスが声を掛けようとしたと同時にその場で崩れ落ちて、顔を覆って泣き始めたのだった。
「ああ……私はそんなにも嫌われていたのか…愛する弟に…」
他国の城の中で、しかも皇女の住まいの目の前で泣き崩れた隣の国の王太子は、人目も場所も気にせずに泣き続けていた。
先ほどの光景を見ていた者ならば、誰もがフェルナンドに同情することだろう。弟の結婚祝いを自ら届けに来たというのに、弟はそれを拒んで逃げ去ったのだから。
「そう気負わないでください。殿下はきっとそういうお年頃なのでしょうし」
おいおい泣いているフェルナンドに一番に声を掛けたのはエレノスだった。胸ポケットから品の良いハンカチを取り出し、フェルナンドに差し出している。
「エレノス閣下…。貴方様は兄の鑑ですね。皇女殿下が羨ましいです」
フェルナンドはハンカチを受け取ると、それを胸の前で抱きしめながら「ヴァレリアン」と何度も呟く。弟想いな兄の姿を見て、エレノスは胸を痛めていた。
「…フェルナンド殿下、祝いの品は妹に預けましょう。ディアが殿下の気持ちを弟君に伝えてくださいますよ」
「……エレノス閣下…」
「さあ、涙を拭いてください」
エレノスが差し出した手を、フェルナンドが取って立ち上がる。
双方共に国の正装をしていて、エレノスは白、フェルナンドは黒と正反対の色であったが、二人が並ぶと絵のようであった。雰囲気は異なるが、二人とも美形だからであろう。
そんな二人のことよりも、ここから立ち去ったリアンのことが気がかりだったローレンスは、手に持っていた花の手入れ道具を箱に仕舞い込むと、エレノスに頭を下げた。
「兄上よ、僕は失礼するよ」
「引き留めてすまなかったね、ローレンス。のちほど会おう」
「ええ、ではのちほど。失礼致します」
ローレンスはフェルナンドにも軽く礼をすると、急ぎ足でこの場から離れていった。
帝国の第三皇子のローレンスは、フェルナンドのことを好ましく思っていなかった。
フェルナンドは王家の血を色濃く受け継いだ容姿をしている、王国の正統な血筋の王太子だ。穏やかで弟想いで、家族と国を愛しているという。
だが、それは王国の民たちの評価だ。第二王子のヴァレリアンを知り、共に過ごし、語らい──その人柄に触れたローレンスは、人々が語るフェルナンドの人物像について違和感を持ち始めていた。
そんなにも完璧な人間で、誰もが愛してやまない未来の王ならば、なぜリアンは毛嫌いしているのだろうか。兄の愛を拒む理由は何なのだろうか。
ローレンスは今日こそそれが知りたいのだ。
◆
エレノス達と別れ、南宮へと足を踏み入れたローレンスは、使用人達に自分が来たことをクローディアには伏せるよう命じると、リアンの私室へと向かった。
ここは皇族の一員となったヴァレリアン王子のために、宮の中を改築して用意させた部屋だ。
以前は客間が並んでいたフロアだったが、北側の三部屋の壁を取り壊して一つの部屋にすると、リアンが好みそうな調度品を集め、シンプルながら美しい夫君の部屋となった。
無論皇宮内にも執務室を用意させたが、使うのはもう少し先になるだろう。
「──ヴァレリアン殿下、失礼させてもらうよ」
リアンの部屋に到着したローレンスは、しばらくの間人を近づかせないよう使用人に命じると、扉越しにひと声掛けて部屋の中へと入った。
リアンは部屋の隅で体を丸めて座り込んでいた。顔は膝へと埋められ、俗に言う体育座りというものをしている。凛とした表情で皇女の隣に立ち、結婚式に臨んでいた夫君殿下の姿はどこへ行ったのか。
「──皇女の夫君がそのように隠れていては、笑い者にされてしまいますよ」
ローレンスは仮眠用のソファに腰掛けると、できるだけ明るい声でリアンに呼びかけた。
リアンはゆっくりと顔を上げ、ローレンスの方を見たが、唇をぎゅっと引き結ぶとまた俯いてしまった。
「……別に、いいです。あいつと顔を合わせるより、陰口を叩かれる方がまだいいので」
兄に会うよりも、他人に有る事無い事を囁かれる方がいいとは、なんとも変わった王子様だ、とローレンスは胸の内で苦笑した。
育った環境がそうさせているのだろうが、いつまでもそのままというわけにはいかない。
リアンはもう、帝国の皇族の一員なのだから。
「そう逃げてばかりいては、守りたいものができた時、守りたくても守れなくなってしまいますよ」
「……守りたいもの」
ええ、とローレンスは頷くと、リアンの目の前まで行き片膝をついた。そのまま手を伸ばして、リアンの肩をぽんぽんと優しく叩いていれば、臆病な王子は恐る恐る顔を上げた。
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