予兆(4)
リアンの瞳はフェルナンドのものよりも色濃く、ローレンスが子供の頃に読んだ絵本に描かれていた海の底のような色をしていた。光を受けると神秘的な輝きを放っており、宝石のようにも見える。
それは怯えたように揺れていたが、ローレンスの優しい眼差しに安心したのか、次第に和らいでいって。
「…どうしてそんなにフェルナンド殿下を嫌っていらっしゃるのかお聞きしても?」
リアンの気持ちが落ち着いた頃合いを見計らって、ローレンスはそう問いかけた。
リアンは緩々と片脚だけ伸ばすと、少し開いている出窓へと目を動かした。
白色の透けているカーテンが風で揺らめいている。隙あらば窓の外へと出ていってしまいそうだ。
「…話したところで、俺の言葉なんて信じないでしょう」
「信じる、信じないはさておき、僕は貴方たちの間に何があったのか、貴方がフェルナンド殿下に対してどのような感情を持っているのかをそもそも知らないのでね。話してくれないと何も始まらないのだよ」
リアンは眩しいものを見るかのような目でローレンスを見た後、くしゃりと顔を歪めた。
ローレンスはリアンの兄であるフェルナンドとそう年は変わらないというのに、こうも違うのは何故なのだろうか。
引き出しを一つひとつ開けるように、リアンの思っていることを聞き出そうとするローレンスと、神がどうだとか理由を並べ立て、話すらしようとしないフェルナンド。
同じ人間なのに、こうもかけ離れているのはどうしてなのだろう。
「……俺も、こんな兄が欲しかった」
ぽつりと、リアンは小さくこぼす。
リアンが兄から貰えなかったものを、当たり前のようにローレンスはくれるものだから、そう呟かずにはいられなかった。
「…何を言うのかね。殿下はクローディアの夫となったのだから、僕の弟でもあるのだよ?」
そう言って、ローレンスはリアンの両手を掴むと、力強く引っ張り上げた。
初めて会った時から変わらない、自信に満ち溢れたローレンスの笑顔が眩しい。自分もこんな風になれたのなら、弱い自分とさよならができるだろうか。
「今日は正午から祝いの謁見、夜は成婚祝いのパーティーもあるのだから、背筋を伸ばして前を向いてくれたまえ。…君はもう、帝国の皇族の一員なのだからね」
「……はい」
リアンがローレンスの言葉に頷いたと同時に、部屋の扉が開いた。現れたのはクローディアだった。急いで来たのか髪が少し乱れている。
「リアン、ここにいたのね。それにローレンス兄様まで」
「やあディアよ。ご機嫌はいかがかな?」
クローディアはリアンとローレンスを交互に見て微笑んだ。二人が一緒にいることにはもう驚かないようだ。
「おはよう、ローレンス兄様。起きたらリアンがいなかったから、探しにきたの」
まさかここに居ただなんて、とクローディアは笑うが、それを聞いたローレンスはピクリと片眉を上げると、にっこりと微笑んだままリアンの両肩を掴んだ。
「……殿下よ。結婚式翌日の朝に、妻を置いて出てきたのかね?」
穏やかな空気は一変。ローレンスの背後から沸き上がってくる黒い何かが見えたリアンは息を呑んだ。
「ご、誤解です! ディアは寝起きだったので覚えているのかわかりませんが、おはようと声をかけてから散歩にっ…」
「散歩? 妻を置いて? 結婚式の翌日に?」
リアンは慌てて言い訳をしたが、常日頃から美女を口説きまくっているローレンスに口で敵うはずはなく、壁際へと追い詰められていった。
「結婚式の翌朝とは、今日からよろしくマイハニー、ウフフ、あはは、キャッキャとするものでないのか?」
「マ、マイハニー…?」
リアンの目の前にローレンスの端正な顔が迫る。後退りたいが、後ろにあるのは壁だ。助けを求めようと、リアンはローレンスの背後にいるクローディアへと視線を送ったが、クローディアは困ったように微笑みながら兄を見下ろしている。
「こ、今後は置いて行きません…なので…」
「いや! ここは僕が皇族の男子たる者として講義をしなければ!」
講義とは何だろうか。終わりの見えない義兄からのお説教に口から魂魄を出しそうになったその時、ローレンスの後ろから二人を眺めていたクローディアがくすくすと笑いながら二人の間に割って入ってきた。
「リアン、ローレンス兄様は放って行きましょう。朝食を食べて支度をしないと」
差し出された手を見て、リアンはほっと胸を撫で下ろしながらその手を取って立ち上がる。
「…そ、そうだね。今日は忙しいし」
「リアンを連れて行くわね、ローレンス兄様」
そのままクローディアに手を引かれるようにして、リアンは部屋の出入り口へと向かった。
まだ話は終わっていないと叫ぶローレンスの声が背中に刺さったが、クローディアの「夫をいじめるなんて酷いわ」という一声でローレンスは黙った。
「──やれやれ、我が妹は。怒った姿がソフィア皇妃にそっくりだ」
リアンの部屋にひとり残されたローレンスは、夫を迎えにくるなり兄を怒ってきたクローディアの姿を思い返した。
逞しくなったものだと感心すると同時に、亡き父に物怖じせず言い返していた唯一の女性だったソフィア──クローディアの母親を思い出しながら部屋を出た。
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