予兆(5)


エレノスは義理の弟となったヴァレリアン王子の兄・フェルナンドと庭園を歩いていた。


庭園は今が見頃の薔薇が咲き誇っており、風が優しい香りを運んでくる。あと半月もしたら冬が訪れ、それを越えたら大好きな春がやってくる。そうしたら家族で毎年恒例の花見をするのがエレノスの何よりの楽しみであった。


二人は互いの国の特産品や観光名所など当たり障りのない話をしながら、南宮と皇宮の間にある温室へと向かうと、ガーデンテーブルを挟んで向かい合うように座った。


「──人払いをいたしました、フェルナンド殿下。私に内密なご相談とは?」


エレノスの優しい声に、フェルナンドはくしゃりと顔を歪めた。誰もいない場所で話がしたいと言われ、エレノスはフェルナンドをここに連れてきたのだった。


「エレノス閣下。私の思い、聞いてくださいますか」


「私で力になれるかは分かりませんが、話すことでそのお心が少しでも軽くなるのなら…お聞きしましょう」


フェルナンドの青い瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうで、縋るような眼差しを向けられながら両の手を掴まれたエレノスは、フェルナンドを安心させるべく微笑みかけた。


しばらくの間、フェルナンドは黙っていた。言いづらいことなのだろうとエレノスは察していたが、家族でもない自分に相談したいと思われているのなら、それに応えたいと思っていた。


「……弟君に関すること、ですか?」


その声で、フェルナンドの指先が微かに動く。それに気づいたエレノスは「やはり」と零すと、フェルナンドはぽろりと涙を落とし、信じられない言葉を放った。


「実は私は、二度目の人生を歩んでいるのです」


「………え…?」


エレノスは目を見開いた。

二度目の人生とは、どういうことだろうか。そう問いかけるべきか否か、考え込んだエレノスへと、涙で濡れた青い目が真っ直ぐに向けられる。


「言い方を変えましょう。私は時を遡って参りました。…最悪な結末から」


「……俄には信じ難い話ですね」


「信じられないのが当たり前です。ですが信じていただきたいのです。これはクローディア皇女殿下とも関係しているので」


フェルナンドの口から愛する妹の名が出た瞬間、エレノスは顔色を変えた。何を馬鹿なことを言っているんだと心の片隅で思っていたが、妹が関係しているのならば話は別だ。


エレノスはフェルナンドを見つめ返し、ごくりと唾を飲み干した。


フェルナンドはしばらくの間、紅茶が入ったカップをじっと見つめていたが、皇帝が皇宮の外に出たことを報せる鐘の音が鳴り響いた後、ゆっくりと顔を上げた。


「時を遡る前、私は──ヴァレリアンに殺されました」


「……ヴァレリアン殿下に?」


フェルナンドは黙って頷く。


「あの子は…ヴァレリアンは、自身の容姿のことで国中から疎まれていたので、その復讐をするために王家の人間を皆殺しにしたのです。それだけではなく、裏で繋がっていた反国教団体らを率いて戦をも起こし、皇女殿下の御命をも奪ったのです」


エレノスの脳裏に、金色の髪の義弟の姿が浮かぶ。


帝国の皇家の一員となったリアンは、妹をよろしく頼むと言ったエレノスに、真摯な眼差しで「はい」と頷いてくれた。


そんな人が、王家の人間を根絶やしにしただけでなく戦を起こしただなんて。


ヴァレリアンの生い立ちは人伝に聞いていた。神を冒涜する存在だと疎まれ、嫌われ、生まれた時は殺してしまうべきだと言われたことも。それを止めたのが、フェルナンドだということも。


(…辛い目に遭ってきた人が、人を不幸にするだろうか?)


ふと、エレノスの頭にある疑問が浮かぶ。

それは、なぜクローディアがヴァレリアンに殺されたのかだ。


「…なぜディアを? その時ディアはどこで何をしていたのですか?」


「皇女殿下は……私の妻だったのです」


ぽろぽろと、フェルナンドの瞳から涙がこぼれ落ちていく。それは降り出した雨のようで、止めどなくあふれていた。


「ですが私は、私に嫁いできたがためにヴァレリアンに葬られた彼女を不幸にしたくなかったので、今回は諦めたのです」


「…………」


エレノスは目を伏せ、何も答えなかった。 


そもそもその話が信じられないのだ。そんな悪夢のような話を、しかも他人から聞かされて、それは辛かったですねと飲み込むことはできない。


そんなエレノスを見かねたのか、フェルナンドは勢いよく立ち上がると、ダンッと叩くようにテーブルに手をついた。


「お願いです、エレノス閣下。あの二人を離してください。悪魔の子であるヴァレリアンと共にいては、皇女殿下は不幸になってしまいますっ…!!」


「……信じられません。あの殿下がそのようなことをするなど」


「信じろとは言いません! ですが、私は彼女のことなら何でも知っております!クローディアを愛しているのです!!」


──あいしている。そう叫んだフェルナンドの瞳は真っ直ぐで、顔は涙でぐちゃぐちゃで。自分の代わりにずっと愛して欲しいと言って死んでしまった母親と重なって見え、エレノスは声を失った。


フェルナンドはふらりと崩れ落ちるように椅子に座ると、俯いたまま言葉を続ける。


「……クローディアとの間に生まれたアルメリアも殺されました。ヴァレリアンと結ばれた今、あの子に会うことはもう二度と叶いませんが、クローディアが幸せになってくれるのならっ…」


(…………アルメリア?)


エレノスは長い睫毛を揺らし、フェルナンドと目を合わせた。


アルメリアという単語は、初めて聞くものではない。そう遠くない日に、弟のローレンスの口からも聞いたものだ。



いつだったか──クローディアの身に何かあった日のことだったとエレノスは記憶を巡らせる。


あれは、クローディアが怖い夢を見たと泣いていた日だっただろうか。寝起きの姿のまま、建物の外へと駆けて行って、大泣きをしていたのだ。


あの後、エレノスはローレンスと共に兄ルヴェルグの部屋を訪れ、その事についてローレンスが報告をしていた。


──『クローディアが寝起きで僕のところに来るなり、大泣きしたのです。オルヴィシアラとはどうなったのか、アルメリアのことも訊かれましたが、一体どのような夢を見たのやら…』


ピンと糸が張るような、そんな感覚がエレノスの中を駆け巡っていく。


ローレンスの言葉と、フェルナンドの告白。そして、あの日のクローディアの不可解な行動と言動が結びついた。


(…そういうことだったのか。信じられない話だが、殿下の話が本当ならば、ディアの悪夢と繋がる)


これはエレノスの推測だが、クローディアが見た悪夢は、オルヴィシアラに嫁ぐもヴァレリアンに殺されて終わってしまった生涯のことなのだろう。


だからあの日、目が醒めたら自分が生きていて、帝国の自室にいたから、声を上げて泣いていたのだろうと考える。


それはすなわち、クローディアも時を遡っているということ。


(……なぜ、ヴァレリアン殿下を夫に選んだんだ?)


しかし、クローディアはフェルナンドではなくヴァレリアンを夫に選んだ。それは愛なのか、何か別の目的があるのか。


「……失礼いたします」


エレノスはゆらりと立ち上がると、フェルナンドに背を向けて、ガラス張りの天井の向こうにある青空を仰いだ。


フェルナンドは時を遡ってきたと言った。クローディアの幸せを願い、秘密を打ち明け、エレノスに救いを求めてきたのだ。


ならばエレノスは、それに応えるべきなのだろうと考えた。フェルナンドがかつての妻を愛しているように、自分もクローディアのことを大切に想っているから。


「……打ち明けてくださりありがとうございます、フェルナンド殿下」


エレノスは椅子に掛けていた上着を羽織ると、颯爽とした足取りでその場を後にした。



エレノスの姿が見えなくなった後、魂を抜かれたように椅子に座っていたフェルナンドは、突然目に光を宿すと、糸のように目を細めて笑った。

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