秘色(1)

その日は大地を叩きつけんばかりの強い雨が降っていた。


誰もが家で大人しく過ごすであろうという、この悪天候の中。外套で顔を隠しながら馬を走らせていた男・ローレンスは、道の端で人が倒れているのを見つけると、瞬発的に手綱を引いて馬から降りた。


「──殿下! 一体何事でっ…」


ローレンスの部下・ハインは、突如馬から降りるなり何かに駆け寄っていったローレンスの後を追ったが、その先に飛び込んできたものを見て目を見開いた。


なんと、ローレンスが倒れていた人を抱き起こしたのである。それも女ではなく男を。


「………殿下、そのお方は…?」


ハインはひたすらに瞬きをしながら、主人とその腕の中でぐったりとしている人物を交互に見つめた。倒れていたのは少年のようだ。


「どこの誰なのかは分からないが、呼ばれた気がしたのだよ」


ふ、とローレンスは静かに微笑むと、自分の片腕に乗せた頭をゆっくりと膝の上へと動かし、胸元からハンカチを取り出して泥だらけの顔を拭いていった。


一体どれほどの間、ここで意識を失っていたのだろうか。固く閉ざしている瞼が開く気配はなく、熱があるのか頬は火照り、息は乱れている。


「ハイン。申し訳ないが、今日の予定はキャンセルさせてもらうよ。急いで近くの宿を探してくれ」


「はっ! ではその方を運びます」


「いや、僕が運ぶよ。君は宿を」


ローレンスは外套を脱ぐと、びしょ濡れの少年に掛けて抱き上げた。すると、少年が頭部を覆うようにして被っていた布が、音もなく地面へ落ちていく。


ローレンスはそれを拾うために屈もうとしたが、あらわになった少年の髪の色を見て固まった。


たっぷりと水を含み、滴を落としていくそれは、愛する家族によく似た白銀色だった。



──ローレンス・ジェラール・アウストリア。

帝国の第三皇子であるローレンスは、ジェラール家が代々継いできた紫色の髪をタオルで拭きながら、中々目を覚まさない少年を見下ろしていた。


この少年の髪色は白銀色で、帝国の公爵家であるオルシェ一族が遥か昔から繋いできた色だ。滅多にお目にかかれるものではなく、ローレンスもこの髪色を見るのはオルシェの血を引く者以外で初めてだった。


(オルシェ家の血縁だろうか)


あの雨の中で倒れていた少年は、ローレンス自ら近くの宿に運び込んだ。速やかに医者を手配し、衣服を替えさせると、少年が静かに眠れるよう両隣の部屋の料金も払った。


医者は疲れが溜まっての発熱だろう、と言っていた。重い病ではないことに胸を撫で下ろしたローレンスは、隣の部屋で自分も着替えると、ハインからタオルを受け取り少年が眠る部屋に戻った。


ローレンスは少年が身につけていた服を手に取ると、その素材を確かめるように指でなぞっていった。


生地はどっぷりと水を吸っていても手触りがなめらかで、一見地味な色合いをしているが、金色のボタンは薔薇の花の形で、袖口の刺繍はとても繊細なものだった。下に着ていたブラウスも同様に、控えめながらも美しいデザインで、この少年がそこらの民ではないことを証明している。


貴族階級以上の出身だろうと考えたローレンスは、首にタオルをかけたままベッドサイドの椅子に腰を下ろすと、書類に目を通していった。



山積みだった書類が半分を切った頃、眠っていた少年がもぞりと動いた。その音でローレンスは立ち上がると、手に持っていたものを放り投げて少年の顔を覗き込んだ。


薄らと開かれた瞳は、綺麗な菫色だ。


「………う…え…?」



乾いた声が呟いたのは、この少年と親しい人間の名だろうか。

ローレンスは誰かと間違われたようだが、少年が意識を取り戻したことがただ嬉しく、にっこりと笑って頷いた。


「よかった、目が覚めたのだね」


少年はしばらくの間ぼんやりとローレンスを見ていた。だが、段々と状況が飲み込めてきたのか、突然弾かれたように上半身を起こすと、辺りをキョロキョロと見回した。


「……あの、ここは…」


「君は道端で倒れていたのだよ。熱があったようだから、ここに運ばせてもらった。僕は通りすがりの者さ」 


通りすがりの皇子さ、とローレンスは心の中で付け加える。当然聞こえるはずもない心の声だが、少年が嬉しそうに微笑んだのを見て、くすぐったいような気持ちになった。


「助けていただき、ありがとうございました」


「礼などいらないのだよ。人として当然のことをしたまでだ」


エッヘン、とローレンスは変な咳払いをすると、今一度少年のことを上から下まで眺めた。


柔らかそうな白銀色の髪に、大きな菫色の瞳。雪のように白い肌は人形のように美しく、肩や腕に触れなければ少女と間違えられても無理もない容姿だ。


あの堅物公爵のラインハルトに隠し子がいたのか、なんて想像をしてしまうほどに、少年はオルシェ家のような見た目をしていた。


「君の名前は? なぜあのような場所で倒れていたのか、訊いても構わないかね?」


「僕は……マリス。マリス・シーピンクと申します」


シーピンクという家の名にピンときたローレンスは、マリスと名乗った少年の容姿に納得がいった。


「マリス君か。シーピンク家の縁者だったのだね」


シーピンク家は帝国の北にある国、オーグリッド公国の貴族の名だ。公国の貴族階級以上の家の名には色が入っていて、有名な家門だとブルーレンスやレッドウィルなどがある。

シーピンク家は確か侯爵家で、その当主には夜会で何度か会ったことがあった。

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夜明けの花 -死に戻り皇女と禁色の王子- 北畠 逢希 @Akita027

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