悪夢(4)

翌日、クローディアは侍女のアンナと一緒に城下へ出かけた。町娘に見えるよう、地味なワンピースを着て帽子を被ったが、どこをどう見てもお忍びでやってきた貴族の令嬢のようだった。


建国千年祭を明日に控えている今、城下は警備のために騎士が巡廻していた。なんでも、こういうお祭り事があると人は気が抜けて、ついやらかしてしまうことがあるのだとか。


──だから決してアンナの傍を離れてはいけないよ。そうエレノスと約束をしたクローディアは、石造りの街の中をゆっくりと歩き出した。


時を遡る前、クローディアが嫁いだ王国の民は皆神の教えに敬信的で、お祝い事といえば王族の吉報と神が生まれた日を祝うことくらいだった。


それに比べ帝国は身分制度があることを除けば自由な国だ。

皇帝に仕える貴族がいて、貴族に仕える民がいて、民のために平和な世をつくる皇帝がいる。


そして皇帝を支える兄たちがいて、そんな兄たちが大好きな自分がいたが、これからは一国の皇女として、国と家族のために何ができるかを考えなければならない。

甘い言葉を囁いて、偽りの微笑みを浮かべるような男の元に嫁がないために。


「あ、見てください!皇…お嬢様!あれ、すっごく美味しいんですよ!」


早速自分のことを皇女様と呼ぼうとしたアンナを見てクローディアは苦笑した。お忍びで行くと言ったのに。


「真っ白ね。お菓子なの?」


アンナが指差した先にあるのは、お菓子を売っている屋台のようだった。白い雲のようなものが棒に挿さっている。


「ええ、お菓子です!今買って参りますので、少々お待ちくださいね!」


クローディアが興味を示したことが嬉しかったのか、アンナは財布を片手に店へと走っていった。

きっと兄にお小遣いをもらったのだろう。お小遣いをもらっても使い道が分からない自分とは違い、アンナは世の中のことをよく分かっているから。


クローディアは近くにあったベンチに腰を下ろし、青く澄み渡っている空を見上げた。


いくら皇女とはいえ、一人で街に行けないどころか、お金の使い方すら分からないのは情けないことではないだろうか。


これまで病弱だからという理由で、あれもこれもやらなくていいと言われ、皇族として必要な礼儀作法と知識、公務以外は何も触れてこなかった。


その為クローディアはこの国の人たちがどんな暮らしをしているのか、そもそもこのアウストリアがどのような国なのか、未だに把握しきれていないのだ。

それを兄たちに言ったところで、知らなくてもいいのだと甘やかされそうだが。


皇宮に帰ったらまずはこの国のことを知ることから始めよう。そう心に決めた瞬間、子供の泣き声が耳に入った。


クローディアはベンチから立ち上がり、声を頼りに駆け出した。どうして傍を離れたのかとアンナに怒られそうだが、理由を言えば分かってくれるはずだ。


「──離してぇっ!!」


クローディアが居た場所から四つほど建物を通り過ぎたところにある路地裏に、声の主はいた。


そこには子供が二人、大人の男が一人いた。見たところ泣いている子供を庇う男の子を男が怒鳴りつけたようだが、その手には太い棒が握られている。

それを見たクローディアは子供に駆け寄ると、小さな身体を自身の背に隠した。


「おやめなさい。こんな子供に何をしているのですか?」


突然現れたクローディアを男は物凄い形相で睨みつけると、足元に唾を吐き出した。


「あんたには関係のないことだ。どこのお嬢さんかは分からねえが、痛い目に遭いたくなかったらそこを退きな!」


振り上げられた棒を見て、クローディアは瞬時に子供を抱きしめて目を瞑った。


大丈夫、見回りをしている騎士が気づいて、きっとすぐに駆けつけてくれる。


そう信じて、痛めつけられるのを覚悟していたが、男の手に握られていた棒は呻き声とともに地面に転がり落ちていった。


「──ねえ。いくらなんでも無謀すぎない?」


凛とした声が頭上に降る。その声に閉じていた瞼を上げると、闇色が視界を覆った。


はたはたと風で揺れるそれはマントのようだ。足元にはシンプルなブーツ、紺色のズボン、白いブラウス。確かめるように上へ上へと顔を上げていくと、青い瞳とぶつかった。


「──っ…」


その青は、クローディアのことを大切にすると言っておきながら、暗がりに閉じ込め不幸にした男の目と同じ色だった。

クローディアは目を大きく見開いたまま固まっていた。


目の前にいるのはあの男ではない。危ないところを助けてくれた恩人だ。なのに何故身体が凍りついたように動かないのだろう。

そんなクローディアを余所に、黒いロングマントを羽織る恩人はクローディアの前にしゃがみ込むと、そっと手を差し出した。


「…怪我はない?」


そう優しく声をかけた瞬間、強い風が吹き荒れ、クローディアに手を差し伸べた少年が被っていたフードが舞い上がった。


「……あ…」


青い瞳の恩人は、まばゆい金色の髪を持つ少年だった。髪は肩の辺りで切り揃えられており、声を聞かなければ少女と見間違える容姿をしている。

兄ルヴェルグ以外で初めて金髪の人を見たクローディアは、吸い込まれるように見入ってしまっていた。


「……あの、俺の声聞こえてる?」


端正な顔がクローディアの目の前に来る。突然のことに驚いたクローディアは、そこでようやく我に返った。


「ごめんなさい、思わず見惚れてしまって。…あの、助けてくれてありがとう」


話せる状態であることに安心したのか、少年は緩々と口元を綻ばせると、クローディアをゆっくりと立ち上がらせた。


「怪我がないならいいんだけど。…いくら子供が危ない目に遭っていたからって、無茶すぎ」


「……そうよね。もう少し丈夫な格好で来ればよかった」


「は? いや、たとえ鎧で来たって、丸腰じゃ無理でしょ」


素っ頓狂な返答をするなり控えめに笑ったクローディアを見て、少年はやれやれといった風に肩を落とすと、子供の目の前で膝をついた。


「怖かったね。あのオジサンと何があったの?」


──オジサン? 物珍しい呼び方を聞いたクローディアはぱちぱちと瞬きをした。伯父なら分かるが、オジサンって何だろうと。


「…僕の妹が病気で、それで何か食べるものをと思って」


「だからって、盗みを働いたらだめだよ」


「だって、お祭りがあるからって、どれもみんないつもより高いんだもん…」


食べるものがなくて困ってるのに、と子供は泣き出した。一緒にいるもう一人の子供は妹なのだろう。ずっと泣いているうえ、顔色も悪く痩せている。満足に食事が出来ていないのかもしれない。


「…新しい王様は、子供は働いちゃ駄目だって決めたでしょう?そのせいで僕は妹にご飯を食べさせてあげられなくなって」


そう言って、男の子はクローディアへと視線を移した。縋るような眼差しを向けられ、クローディアの胸はちくりと痛んだ。


新しい王様は兄のルヴェルグだ。新たな改革を進め政治を行っているのは兄たちと政治家達であり、クローディアは何もしていない。

けれど、何もしていないことが罪のように感じられたクローディアは、金髪の少年の隣に腰を下ろし、小さな頭をそっと撫でた。

男の子はひとしきり泣くと、服の中に隠していたパンを取り出した。

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