再会(2)

兄妹で一番明るく社交的な性格をしているローレンスは、瞬く間に沢山の人に囲まれていた。商人、貴族、皇族に教会の人間など、帝国と取引がしたい人は皆、ローレンスに声を掛けては顔と名と商品を売ろうとしていた。


ローレンスは皇帝の弟だが、帝国の筆頭貴族・ジェラール公爵家出身の母親を持つ為、その人脈と幼き頃から積み重ねてきた為政者としての手腕は皇帝にも引けを取らない。


皇帝となっていたら歴史に名を残す名君になるであろうに、と思う者は多いが、美女を見ては花を贈りデートの誘いをする姿を見て、皆開きかけていた口を閉ざすのだ。残念な男だ、と。


「おや、共にいらっしゃるのはクローディア皇女殿下では?」


公の場に皇女を連れているのを見て、一部の貴族は皇女の伴侶候補を探し始めたのではないかとも考えていた。

帝国の成人は十五才、皇女は今年で十六となると、そろそろだろうと。


十代後半の息子がいる貴族達は、ここぞとばかりに皇女へと足を進めたが、一人の老人がそれを阻んだ。

その指には先の皇帝が贈った、紫色の宝石が埋め込まれた指輪が光っている。それを見た貴族の一人が、その老人の名を呟いた。──ロバート伯、と。


「暫くぶりですな、ローレンス殿下」


深みのある声に、ローレンスは弾かれたように振り返る。


「おお、爺ではないか!何年振りかね」


兄の嬉しそうな声を聞いて、クローディアも振り返った。そこには白い長髪の男が佇んでいた。

見た目は六十を過ぎた頃だろうか。整えられた髭とエメラルドの瞳が特徴的な男性で、静かな眼差しで二人を見つめていた。


爺、と呼ばれた男性の指にはアメジストの指輪が嵌っていた。それはローレンスらの祖父──二代前の皇帝の治世に、皇帝が最も信頼していた臣下の二人に贈ったものである。


一つは明晰な頭脳で皇帝を助けた宰相に、もう一つは戦で幾度も国の窮地を救った名軍師に。

後者はもうこの世を去ってしまっているが、前宰相であった目の前のご老人は、十年ほど前に職を辞してからはのんびりと暮らしているのだとか。


「ほっほっほ。最後にお会いした時は、まだ皇女殿下はお小さかったのぅ」


これくらい、と右手の親指と人差し指で円を作る老人を見て、ローレンスは「それではヒヨコではないか」と戯けたように返す。

そうでしたかなと惚ける男性の眼差しは、孫を見守る祖父のような温かさを持っていた。


「ディアよ、こちらは先代の宰相だったロバート殿だ」


──エーデン=フォン=ロバート。

その名は帝国で生まれ育った者なら誰もが知っている、名君の宰相として激動の時代を駆け抜けた男の名だ。


「ご機嫌よう、ロバート殿。クローディアでございます」


クローディアは深々とお辞儀をした。形式上では皇女であるクローディアが頭を下げる必要はないが、彼らがいたからこそ帝国は今平和な暮らしができていると言っても過言ではない。


「皇女殿下…暫く見ない間に美しく成長なされましたな」


深い翠色の瞳が柔らかに細められる。泣きそうな微笑みを見て、クローディアはハッと彼のことを思い出した。 


──私のことは爺とお呼びくだされ。…何故そう呼ぶのか?それは友と約束をしたからでございます。


いつの頃だったか。そう言って、クローディアの頭を撫で、お菓子をくれたエメラルドの瞳のお爺さんがいた。今思えば、あの人がロバート伯だったのだろう。


なんだか懐かしい気持ちになったクローディアは、ロバート伯を見上げて微笑んだ。

物心つく前に祖父は亡くなってしまったから、クローディアは祖父のことを名前しか知らないが、もしも生きていたとしたら──きっとこんなふうに自分のことを優しく見つめてくれる人なのだろう、と。


「…まことにソフィア様の生き写しですな」


ソフィア。オルシェ公爵家の現当主・ラインハルトの妹であり、クローディアとエレノスの生母。自分を産んで亡くなってしまった母の名を聞いて、クローディアは俯きそうになった。

とても美しい人だと、皆口を揃えて言っていた。銀色の髪に灰色の瞳を持ち、淑やかで百合の花のような人だったとも。


「…母上と私は似ていますか?」


恐る恐る問いかけたクローディアに、ロバートは柔らかに微笑み返した。


「似ていらっしゃいますとも。ソフィア様の瞳はグレイでしたが、それ以外はそっくりですぞ。可憐さは皇女殿下の方が勝っておりますが」


南の宮にある庭園でよく散歩をしていたこと。エレノスに読み書きを教えていたこと。子は望めないと言われていた身体だったこと。

自分の知らぬ母のことを聞いて、クローディアの胸に寂しさに似た何かが募る。それはアルメリアに抱いた感情とよく似ていた。


自分が生まれた日に母を亡くしたクローディアは、物心ついた時に自分には何故母がいないのかと尋ねたことがある。

母に代わり傍にいたエレノスは、いつも悲しそうに微笑んでは「自分がずっと傍にいるから大丈夫だ」と抱きしめてくれた。

あの時のエレノスの表情が、クローディアは今もずっと忘れられない。


「…私は、時折思ってしまうのです。私さえ生まれなければ、母は生きていたのではないかと」


「いいや、それは違いますぞ」


掠れた声で、ロバートは紡ぐ。

もういない両親と祖父母の代わりだとでも言うかのように。


「あの方は元より長く生きられなかったのです。子を産めないかもしれないとも言われておりましたが、それでも構わないと先の皇帝陛下に望まれ、ここに嫁がれた。…オルシェ公は猛反対されておりましたがのぅ」


「──喋り過ぎだ、爺」


故人のことを語るふたりの間に、よく聞き知った声が割って入った。颯爽と現われたのは、二人が懐かしんでいた人の兄だった。


「ご機嫌麗しゅう、皇女殿下」


「伯父様…!」


ラインハルトはクローディアに敬礼をすると、何でいるんだとでも言いたげな表情でロバートを見ていた。どうやら二人は仲良しのようだ。


「爺よ、何を話していた?余計なことを話してはいないな?」


「ほっほ。余計なこととは何のことでしょうかのぉ。…皇女殿下が初めて歩いた時に泣いて感動しておられたこととかですかな?」


「……爺」


いくらラインハルトが伯父とはいえ、うんと小さな頃から成長を見守られていたとは。


「ふふ、伯父様ったら」


密かに家族と同じように大切に想っていたことを知られたことが気恥ずかしかったのか、ラインハルトは誤魔化すように咳払いをする。


クローディアの知るラインハルトは、いつも険しい表情をしている自分にも他人にも厳しい人だった。

だが、時を遡る前の記憶がある今となっては、彼が自分のことを我が子のように想っていてくれていたことを知っている。


今日が終わったら、侍女たちに娘が父親に贈る物は何か聞いてみよう。そうしてラインハルトに日頃の感謝を伝えよう。そう考えたクローディアは、彼の好みを聞くためにもう到着しているであろうベルンハルトの姿を探した。


その時だった。


コロコロと、何かが足元に転がってきた。ゆっくりと視線を落とすと、そこには艶のある純白の玉が落ちていた。

見覚えのあるそれに、クローディアは息を呑んだ。


「──失礼、それは私のものです」


追い討ちをかけるように、その物の所有者の声が落ちる。自分の元へと転がってきた玉──海の宝石である真珠を信じられないという思いで見つめていたクローディアは、その声を聞いて背筋を凍らせた。

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