交差(1)
夕陽が射し込む長い回廊を、クローディアはローレンスと歩いていた。窓辺から吹き込む風が、季節の花の香りを運んでくる。
自ら育てるほど花が好きなローレンスは、髪が風に靡いて乱れていることにも気を留めずに、匂いに酔いしれている。
ふいに、ローレンスは足を止めた。釣られるようにクローディアも足を止め、兄を振り返る。
「聞いてもいいかね、ディアよ」
ローレンスは目に掛かった髪を払いのけると、柄にもなく真剣な面持ちでクローディアを見つめていた。
「…ええ。どうなさったの?」
「先日のヴァレリアン殿下が庇ってくださった日のことだが、事件が起こる前、ディアはフェルナンド王太子殿下に話しかけられていたそうだね。あの時、外に出たのと関係があるのか聞きたくてね」
「……それは、あの…」
言葉を濁したクローディアを見て、ローレンスは安心させるように微笑みかける。優しい箱庭で育ったクローディアは素直で純粋だ。すなわち誤魔化すということを知らない。
吃ったのを見て、ローレンスは自身の予想が当たっていたことに胸を痛めた。
とはいえ、聞きたいことはいくつもあるが、青褪めていくクローディアを前にあれやこれやと聞いていいものなのだろうか。
エレノスならばすぐに引き下がるだろうが、気になったらとことん調べてしまう性質のローレンスはクローディアの頭に手を置いて、ゆっくりと撫でた。
「話したくなかったらいいのだよ、話さなくても。だが、話してくれないと、力になってあげられないこともあるだろう?」
クローディアは小さく頷いた。次いで恐る恐る顔を上げ、ローレンスの紫色の瞳を見つめた。
話したくないわけではなかった。ただ、話す勇気がないだけだ。クローディアがそういう人間だとローレンスも理解しているから、次々と言葉を放っているのだろう。
「…前にディアが寝起き姿で僕の所に来るなり泣いていた時、ディアはオルヴィシアラがどうとか言っていたのだが、あの時から殿下と面識があったのかね?」
クローディアは瞳を揺らした。ローレンスはクローディアが目醒めた日のことを憶えているようだ。
辛くて苦しかった日々を超え、命を落とし──過去へと時が巻き戻ったあの日、恋しくてしょうがなかった家族を前にしたら、クローディアは泣いてしまった。
その時の情景がローレンスは忘れられなかったのか、此度の一件にオルヴィシアラの人間がいたことから結びつけたようだ。
「…ない、わ…」
「ならば何故、ディアは泣いていたんだい?」
平静を装って声を絞りだしたクローディアを見下ろす目が光る。確かめるというよりも、答え合わせをするかのような口調で問われたクローディアは、そっと唇を閉じた。
ローレンスは鋭い。何か言おうものなら、すぐに脆い箇所を見つけて突いてくるだろう。それならば何も言わない方が、この場はやり過ごせるのではなかろうか。
それでは駄目だと思いつつも、何一つ勇気を絞り出せなかったクローディアは、気づけば俯いていた。
「すまない、ディア。一人で喋り過ぎてしまった」
ローレンスは「これは僕の悪い癖だ」と苦笑する。
自分が答えられなかったばかりに、何も悪いことなどしていないローレンスに謝らせてしまったクローディアは、ぎゅっと唇を噛んだ。
「僕はただ心配なだけなんだ。君は僕の家族で、いつか僕の手を必要としなくなるその日まで、僕は君を守る義務があるからね。…もちろんどこかに嫁いだとしても、呼んでくれればいつでも飛んでいくが」
外交を行う政務官たちを導く職務に就いているローレンスは、忙しない日々を過ごしている。
女好きな皇子、変人奇人などとも言われているが、その裏では国のため、家族のために努力を積み重ねていることはクローディアも知っている。
そんなローレンスがクローディアの最期を看取ったことも憶えている。人前では決して涙を見せなかった兄が、自分を抱きしめ泣き崩れていたことも。
呼吸が止まったあの日、ローレンスはなぜ王国に来ていたのだろうか。もしかしたら知らぬうちに逢いたいと言い、それを誰かが伝えて呼び寄せてくれたのだろうか。
なんて、都合のいいように考えてしまったのは、ローレンスがあまりにも優しく笑うからだ。
「僕らの兄たちは優しい。だが、優しさだけでは人を守ることはできないのだよ。エレノス兄上もルヴェルグ兄上も、君が泣いたら抱きしめ、宥め、涙を拭うのだろうが、それだけでは解決とは言えまい」
アーモンド型の瞳が柔らかに細められる。
「僕は君が泣いていたら、何故泣いていたのかを聞き、今後どうしていくのかを共に考えたいと思っている。そうして、その後にあれからどうだったかと語れたら良いと思うのだよ」
「……ローレンス兄様」
「僕にとっての家族とは、港のようなものだからね。心の拠り所であり、何があろうと支え合う存在でありたいのだよ」
ローレンスはにっこりと微笑みクローディアの頭を撫でると、前を向いて歩き出した。
堂々と己が選んだ道を突き進んでいくローレンスは、いつだって格好よかった。
他人が何と言おうと信念を貫く強さも、最後にはいつも家族を選んでしまう弱さも。
彼が人に好かれ、その周りではいつも笑顔が絶えない理由をクローディアは分かった気がした。
「兄たちもきっとそう思っているはずだ。僕よりも優しい人たちなのだからね」
「…ローレンス兄様も優しいわ」
ローレンスは足を止めて振り返る。優しいと言われたのが心外だったのか、驚いたように目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべた。
「それは嬉しい言葉だ」
クローディアは微笑み返した。
こんなふうに、ローレンスはいつも足を止めて振り返ってくれる人だった。目的地で先に待つのがルヴェルグで、歩調を合わせて一緒に歩いてくれるのがエレノスならば、ローレンスは少し先を歩きながら後ろを振り返る人だ。
幼き頃から変わらないその優しさに、深い愛情に触れたクローディアは、ローレンスが愛する庭園へと視線を移す。
アルメリアはもう散っていたが、色とりどりの薔薇が蕾をつけていた。
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