交差(2)
それから数日後、フェルナンドを招いた晩餐会が催された。クローディアは何か理由をつけて参加を取りやめたかったが、全員出席するようにと皇帝からの命が下った為、渋々ドレスを選んだ。
「──ディアってば、フェルナンド殿下がいらっしゃるのにそれは地味すぎない?」
壁と同じ薄い黄色のドレスに身を包んだクローディアは、迎えに来てくれたベルンハルトに早速ぶつくさと言われていた。これでいいのだと訴えるが、それは皇女としてどうなのかとベルンハルトはぼやく。
「ベルったら、今日の主役は王太子殿下なのよ? 私が着飾る理由はないわ」
「確かに主役はフェルナンド様だけど、ディアは帝国の唯一の皇女なんだから、もっと着飾って殿下の目に焼き付けてもらわないと!」
「むしろ私のことなんて…」
視界に入れても記憶に残らない人間となりたいと願うクローディアは、そっとため息をついた。フェルナンドのために着飾るのは嫌なのだ。
「──二人とも、何を喧嘩しているんだい?」
支度が遅いことを心配してきたのか、たまたま立ち寄ったのかは分からないが、エレノスが不思議そうな顔をしながら現れた。
「聞いてくださいよ、エレノス閣下。ディアってばせっかくの晩餐会なのに、地味なんです」
見てくださいよそのドレス、とベルンハルトは嘘泣きをする。
「…確かにシンプルなドレスだが、ディアは何を着ても可愛いよ?」
「可愛いですけど、そうじゃないんです! 閣下なら分かってくださると思ってたのにー!」
クローディアのこととなると甘いエレノスにベルンハルトは肩を落とした。
◆
晩餐会は滞りなく終えた。フェルナンドと同じ列で、間に三人ほど人を挟んだ席──すなわちフェルナンドの視界には入らない席に座ったクローディアのことを皆は一度は不思議に思ったが、内気な性格をしている為だろうなどと考えていた。
夕食を終え、ワインを開けて親睦会のようなものを始めた男性陣を置いて、クローディアは一足先に退出をした。
リアンの部屋ですれ違ってから、フェルナンドとは一度も会っていない。晩餐会でも一言も交わさないどころか、挨拶をする時でさえ目を合わせなかった。
もしかしたら兄たちに無礼な皇女だと愚痴をこぼすかもしれないが、あの顔を見るより兄たちに小言を言われる方がまだマシだった。
外は少し肌寒かった。このままひとりで歩きたいと思っていたクローディアは、側にいた使用人にブランケットを持ってくるよう命じ、中庭へと身を投じた。
コポコポと音を立てている噴水の水面にぼんやりと月が映っている。その柔らかな光の色を見て、陽の色の髪を靡かせていたリアンのことを思い出したクローディアは、そっと目を伏せた。
リアンは元気にしているだろうか。傷はもう良くなっただろうか。痛くはないだろうか。
気になるなら逢いに行けばいい話だが、今の自分にその資格はない気がして、立ち止まって考えることしかできない。
何度目か分からないため息を吐いていた時、背後から足音が聞こえ、クローディアは振り返った。
「──やはりな」
闇に溶け込むような容姿をしている男が、じっとクローディアを見つめている。最も会いたくなかった人が現れ、クローディアの心臓が速度を上げ始めるが、ゆっくりと呼吸をして落ち着かせた。
「…フェルナンド王太子殿下?」
絞り出した声は少し掠れていた。軽く挨拶をしてすぐに立ち去ろうと、クローディアはドレスの裾を摘んだが、その数秒の間に、気づけば目の前にはフェルナンドの顔があって──。
「──その怯えたような目を見るのは久しぶりだな」
そっと耳元で囁かれた言葉に、クローディアは茫然自失した。
フェルナンドはくつくつと笑うと、クローディアを追い詰めるように足を進める。それはまるで獲物を見つけた熊のようで、その距離が縮まるほどクローディアの胸の鼓動は速度を増していった。
「……何を、仰っているのですか…?」
やっとの思いで出した声を、フェルナンドは鼻で笑う。
「知らぬふりはいらない。お前が私と同じなのは分かっている」
──同じ? フェルナンドと?
「こうして私のことを避けようとしているのが何よりの証拠だ」
何が同じなのだろう。クローディアのその問いは、フェルナンドに触れられた瞬間に喉元で消えた。
青い瞳がクローディアを捕らえる。未だにこの目で見たことのない海の色をしているというそれは、不気味で寒々としている。
フェルナンドはニィっと口の端を上げ、クローディアの細い手首を掴む手に力を強めた。
「久しぶりだな、クローディア。私のいない世界は楽しかったか?」
「……まさかっ…」
「そのまさか、だ。私も時を遡っている」
クローディアは目を大きく見開いた。自分の他にもそんな人間がいたことに驚いていたが、まさかフェルナンドもだとは。
フェルナンドはポケットから何かを取り出すと、クローディアの手に握らせた。それは純白の丸い玉──真珠というもので、かつてクローディアに求婚した時に贈ったものだった。
それを信じられないという思いで見つめるクローディアを、フェルナンドは感情の読めない目で見下ろしながら口を開く。
「処刑台の上で、青い空を見たのが最期だった。目が覚めたら帝国の建国際の十日前に時が戻っていた。まさか実の息子に背かれるとはな」
クローディアは真珠を握る手に力を込めながら、憎くて仕方がなかった男を見上げる。
この男はクローディアが死んだあの日から、どれくらいの月日を生きたのだろう。実の息子に背かれて処刑台に送られたというのは、何があってそんなことになったのだろうか。
聞きたいことは山ほどあるのに、どれを聞くべきか、どれから聞くべきか。様々な感情が入り混じり、思考が働かない。
そんなクローディアの脳裏に、いつかの夢で現れた銀髪の我が子の姿が浮かんだ。
──『母上の死後、私は帝国で育てられました。伯父上たちは優しく、私を慈しみ、とても大切にしてくださいました。…ですが、母上の死をきっかけに再び大きな戦が起きたのです』
アルメリアは帝国で育てられたと言っていた。つまりローレンスがクローディアを看取ったあの日か、それよりも後なのかは分からないが、アルメリアは帝国で成長した後、フェルナンドの言葉通りに実の父親と敵対したと考えられる。
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