希求(2)


「私は、運命とやらに抗いたいの。利用されて死にたくなどない」


運命──それは、フェルナンドが一方的に告げてきたものだ。彼の元に嫁ぎ、アルメリアを産んですぐに死ぬというもの。フェルナンドに騙され、利用されて死んだ、時を戻る前の自分だ。


そうなりたくがないために、リアンを夫にする。それはもう二度とアルメリアに逢えないことを意味しているが、時を戻すという奇跡をくれた未来の我が子にクローディアができることは、しなければならないことは──リアンの夢の先にある景色と同じなのだ。


それをリアンに明かすことは、この先きっとないだろうけれど。


「…運命って、あいつが言ってたこと?」


フェルナンドが言っていたことを覚えていたのか、リアンは確かめるように問いかけてくる。


「ええ、そうね。だから、貴方には私の夫になってほしい」


大陸の半分を征服した、帝国の皇女の夫君。誰もが首を垂れるその地位は、はっきり言ってリアンには魅力的でしかない。子供の暮らしを豊かに──未来への宝を育むことなど、すぐに叶えることができるだろう。きっと。


「…つまり俺は、ディアの形だけの夫になる代わりに、アウストリア皇家の後ろ盾を得られるってこと?」


クローディアは頷いた。皇女が他国の王族に嫁ぐことはよくあることだが、その逆はあまり例がない。

だからリアンがすぐに返事を出すのは難しいかもしれないが、案の定リアンは二つ返事で頷いた。


「俺には願ってもない話だ。──だけど、いいの? 俺で」


自分でいいのか──正妃ですらなかった女から生まれた、第二王子のヴァレリアンでいいのかとリアンは問いかける。


「俺はあいつの弟だよ。生きている限り。…王国と縁を結ぶことになるのに、いいの?」


この結婚は帝国と王国を結ぶことを意味する。さすればフェルナンドはクローディアの義兄となり、否応なしに顔を合わせなければならない機会が多々あるのはクローディアも承知の上だ。


「……あの人と一生関わりたくないのなら、リアンでなく他の人を選ぶべきなのかもしれない。でも、私は怖いの」


「怖いって、なにが…」


「信じた人に、裏切られるのが怖い。だから、裏切られてもいいって思えた人の手を取りたいの」


時を遡る前のクローディアは、物事を知らなさすぎたゆえに簡単に人を信じてしまい、悲しい結末を迎えてしまった。


だが、今の自分は──第二の人生を歩き出した今のクローディアは、自分の目で見たものを信じ、選んでいる。


リアンにならば、たとえ裏切られてもいい気がしたのだ。もしもそうなってしまったら、クローディアに人を見る目がなかっただけのこと。


(…それに、リアンは)


リアンは、人を騙したりする人間ではないだろう。傷つき、苦しみ、辛い目に遭ってきた人が、他人を自分と同じ目に遭わせるはずがない。


「……裏切らないよ。俺は」


ぽつりと小さくこぼしたリアンの声は、風にかき消されてクローディアの耳には届かなかった。何か言われたような気がしたクローディアは、風で乱れた髪を直すと「リアン?」と呼びかける。


「なんでもない。…その話、受けるよ」


リアンは唇を綻ばせると、その場で膝をついてクローディアの手を取り、手の甲にふわりと口付けを落とした。


「──貴女に私の生涯を捧げます。クローディア」


左手に灯った熱と柔らかな感触に、クローディアの心臓はパニックを起こしたように速度を上げて動き出す。果たして今、クローディアはちゃんと呼吸ができているのだろうか。


こんな──絵本の中で騎士が姫君にするようなことを何の前触れもなくされて、胸を高鳴らせない女などいないだろう。


「……ありがとう。ヴァレリアン」


胸の奥がきゅうと締めつけられるような感覚がして、どうにか絞り出した声がリアンに届いていたかは分からなかったが、リアンは柔らかに微笑んでいたから──きっと届いていたのだと思う。


リアンの優しさを利用して、クローディアは夫君の地位と引き換えに、フェルナンドとの間に挟むようなことをしたというのに。


何の曇りもない、綺麗な微笑を浮かべているリアンを見て、胸が痛くなった。



クローディアが皇帝である長兄・ルヴェルグに隣国の第二王子・ヴァレリアンとの結婚を願い出たのは、それから三日後のことだった。


「──結婚? ヴァレリアン殿下と?」


厳重な警備を越えた先にある皇帝の執務室は、職人たちが魂を込めて作った美しい調度品で溢れている。


中でも皇帝がほぼ毎日使用している机は、これ以上のものを作る人間はもういないとまで言われたほどの一級品だ。


その艶やかな黒塗りの机に書類を広げていたルヴェルグは、クローディアの突然の来訪に驚いたどころか、予想外のことまで言われ、思わず固まってしまっていた。


「はい、ルヴェルグ兄様」


クローディアはふわりと微笑む。リアンの瞳と同じ深い青色のドレスを着て執務室にやって来たクローディアは、今日は冬の花の精のようだった。


ルヴェルグは手に持っていた玉璽を置いて立ち上がると、クローディアの手を取り、部屋の角にある長椅子へと座らせた。自身はその向かい側にある一人用の椅子に腰を下ろすと、長い脚を組んでクローディアを見つめる。


「喜ばしいことだが、どうして急に?」


予想通りの質問をされたクローディアは、用意していた言葉を伝えていった。


あの一件──ヴァレリアンに助けられた日から、よく話すようになったこと。共に過ごすうちに、その人柄に惹かれていき、彼の夢を聞いた時に傍で支えたいと思ったこと。


そうクローディアが話終わると、ルヴェルグは驚いたように目を見張っていた。


ルヴェルグの知るクローディアは、子供の頃からよく寝込んでいてばかりいたせいか、いつも大人しくて控えめで、慎ましい少女だった。


乳兄妹であり従兄弟でもあるベルンハルトと共に育った影響か、好きなものや惹かれるものがあると、目を輝かせながら食いついてくる一面もあるのだが。


また、困り事や何かを選択する場面では、常に助けを求めるような目でエレノスを見上げていたというのに、いつの間にか、思ったことをはっきりと伝えられるようになっていたことに、ルヴェルグはとても驚いていた。


「そうか。皇帝として、何の利益も得られない国に嫁がせるのは気が進まないが、ディアがそう言うのならば──」


「私が嫁ぐのではありません」


ルヴェルグは耳を疑った。それはどういう意味なのかと問いたげな目でクローディアを見る。

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