皇女(8)

帝国歴一〇〇〇年、春の終わり。

オルヴィシアラ王国の王太子・フェルナンドに嫁いだ皇女クローディアは、王国の王太子妃となりアウストリアの籍を抜けた。


「うわああ! 見てください皇女様!オルヴィシアラって、水が凄く綺麗ですよっ!」


黒い婚礼衣装に身を包んだクローディアは、侍女であるアンナとベルンハルトの母・レリアナ夫人と共にオルヴィシアラに到着した。

アンナは生涯付いていくと言って聞かなかったので共に来たが、レリアナ夫人は母親の代役として宣誓式に参列する為に来てくれていた。


「アンナったら、クローディア様はもう皇女殿下ではなく王太子妃様となられたのよ。しっかりなさい」


宣誓式とは、神の前で誓いをする儀式だそうだ。オルヴィシアラ王国には、全国民が信仰している神がいるらしい。

妻となる人は母親とともに、夫となる人は父親とともに歩くという決まりがあるので、母を亡くしていたクローディアは乳母だったレリアナに頼んで来てもらっていたのだ。


「はい、しっかりします!何せあたしはクローディア様の一の!侍女ですから!」


「あたしではなく、わたくし、ですよ。全くもう」


レリアナはやれやれと言ったふうに笑うと、クローディアの身嗜みを今一度チェックしていった。

ラインハルトが直々にオルヴィシアラを訪れ、布に糸に装飾する宝石に至るまで自ら選び作られた黒いドレスは、皇女の美しさをよく引き立てていた。


「……まあ、あの人ったら」


クローディアの花嫁姿を見てあることに気づいたレリアナは、今頃仏頂面で仕事をしているであろうラインハルトの姿を想像して微笑んだ。


ラインハルトは寡黙で自分のことを中々語らないうえ、感情を表に出すことも少なかったので、クローディアからしたら滅多に話さない伯父と姪という関係だっただろうが、ラインハルトにとってはそれだけではないことをレリアナはよく知っていた。


ソフィアがクローディアを産んで亡くなった日は静かに涙を流し、ひとり遺された皇女を優しく抱き上げ、涙ながらに頬擦りしていたのを見ていたからだ。


(……これは、気づかないわね。ふふっ)


レリアナは小首を傾げているクローディアの頬をそっと撫でてにっこりと微笑んだ。

ラインハルトが贈った衣装は、遠目から見るとオルシェ公爵家の象徴である花・アルメリアが浮かんで見える仕掛けがされており、留め具にはオルシェ家の紋が一つ一つ丁寧に彫られていた。




宣誓式及び結婚式は、その日の夕刻に盛大に行われた。オルヴィシアラが信仰している対象が太陽の化身と云われていおり、その姿を見送りながら祈りを捧げる儀式があった為である。


宣誓式でフェルナンドと合流したクローディアは、その後結婚式を終え晴れて王国の王太子妃となると、夫婦で馬車に乗って王都を回り、その姿がお披露目された。

白銀の髪に紫色の瞳、王国の特産である真珠のような肌を持つ美貌の王太子妃は、この世の人とは思えないくらいに美しく、民は皆魂を抜き取られたかのように見ていた。


大陸の半分を征服した帝国の皇女と、母なる海と平和を愛する王国の王太子との婚姻は、もう大きな戦争が起きることはないのだと大陸全土の人々の未来に希望を齎すこととなった。

──だが。



「──ああ、この日をどんなに待ち侘びたか」


新婚初夜。緊張と不安に押し潰されそうになっていたクローディアの元を訪れたフェルナンドは、目を疑う物を手に持っていた。


「…フェル…ナンド様…?」


クローディアはフェルナンドが運んできたあるモノを見て息を呑んだ。ネグリジェ姿で現れたフェルナンドは、淡い茶色の髪の束を手に持っていたのである。

それはクローディアに仕えたいと言って共に帝国に来てくれた侍女アンナのものとよく似ていたからだ。


「ああ、置いてくるのを忘れてました」


フェルナンドは思ってもいないような顔でそう言い放つと、クローディアに向かって投げつけた。


「っ…?!」


「それ、何か分かりますか?」


クローディアは恐る恐る下を見た。目の前にあるそれは、どこからどう見ても、何度瞬きをしても、髪の束にしか見えない。結われていたものを無理矢理切ったのか、所々長さが違っている。


ふいに、癖っ毛だからさらさらの皇女の髪に触れる瞬間が、何よりの楽しみだとアンナが言っていたのを思い出した。

これはアンナのものではないと思いたいが、ならば何故今ここにアンナはいないのだろうか。それが答えなのかもしれない。

そんなクローディアを見て、フェルナンドは口元に笑みを浮かべながら伴侶となった者へと近づいていった。


「安心しなさい。侍女はまだ生きていますよ」


──まだ?

クローディアは顔を上げた。けれどそこにいるのはフェルナンドではなく、フェルナンドの姿をしている別の何かのようにクローディアの目に映った。


クローディアの夫となったフェルナンドは、優しく笑う人だった。誰よりも幸せにすると言って、真珠を贈ってくれた人だった。

その言葉を信じて、ここまで来たというのに。なぜこんなことになっているのだろう。

フェルナンドは茫然としているクローディアをベッドに押し倒すと、荒々しい手つきで服を引き裂き脱がしていく。


「侍女に手を出されたくなければ、帝国の後ろ盾を持つ王子を産め。そうしたら貴女はもう用済みだ」


クローディアは恐ろしさに全身を震わせながら、ぎゅっと目を閉じた。大丈夫だ、これは夢だと自分に言い聞かせるが、冷たい痛みが現実であることを知らせてくる。


(──助けて、お兄様)


クローディアはぽろぽろと涙を流した。

フェルナンドの妻となり、二人で幸せになるのだと思っていたのに、初夜で侍女の髪を投げつけられ荒々しく抱かれ、しまいには子を産めば用済みだとまで言われ。


(帰りたい。お兄様のところに)


クローディアはひたすらに欲望をぶつけてくるフェルナンドから窓の外へと目を動かした。

真っ黒な空に、月がぼんやりと浮かんでいる。その景色に大好きなエレノスの姿を重ねたクローディアは、ゆっくりと意識を手放していった。



それから、フェルナンドは夜になると毎日のようにクローディアの元を訪れては、何の感情もなく抱いていった。

アンナの代わりに王太子妃の世話を命じられた侍女は、日に日に痩せ細っていくクローディアを見ては泣いていた。


どうして王太子妃がこのような仕打ちを受けないといけないのか。これが帝国に伝わったら王国はどのような目に遭うのか、フェルナンドは考えたりしないのだろうか。

そう思ってはいても、口に出すことは叶わない。そうしたら最後、次は自分もアンナのような目に遭ってしまうかもしれない。

クローディアを憐れみ同情はしても、我が身可愛さに行動を起こすことができなかった侍女は、その罪を償うかのように献身的にクローディアの身の回りの世話をしていった。



それから一年くらいが経った頃だろうか。

オルヴィシアラ王国に嫁いでから一年と半分が経った頃、王太子妃クローディアは男児を出産した。帝国の血を引く王子の誕生に、王国中が喜びに満ちていた。

ただ一人、クローディアを除いて。


「……王子殿下は、アルメリア様と名付けられたそうです」


王国の世継ぎが誕生してすぐに、フェルナンドは王位を継承した。孫の誕生に歓喜したフェルナンドの両親が、二つ返事で譲り渡したそうだ。

それを侍女から聞いたクローディアは、今は寂れた離宮に移されていた。元より身体が弱かったせいか、産後の肥立ちが悪かったのだ。


クローディアは今日もベッドの上で寝たきりだったが、王子の名を付けたのが兄ルヴェルグだというのを侍女から聞いて、静かに涙を流していた。

フェルナンドの即位に伴い、王妃となったクローディアだが、まだ我が子の顔を見たことがないどころか、抱くことすら叶っていなかったのだ。

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