糸絡(3)

──フェルナンド=サンス=オルヴィシアラ。


穏やかな水の民が暮らすオルヴィシアラ王国の現王太子で、王家が代々受け継いでいる黒髪と青い瞳を持つ青年。穏やかで真面目な人間だとエレノスは聞いていたのだが。


「──ああ、エレノス閣下っ…! 私の弟ヴァレリアンは本当に無事なのですか!?」


エレノスが急いで応接間に到着すると、涙で顔をぐちゃぐちゃにしているフェルナンドが駆け寄ってきた。随分と情報と異なる人のようだ。


「……フェルナンド王太子殿下、ですね?」


「ええ、ええっ…!私はオルヴィシアラのフェルナンドにございます。本日帰国予定でしたが、ヴァレリアンが心配で心配でっ…」


エレノスは困ったように眉を下げた。心配なのは分かるが、ヴァレリアンは会いたくないと言っていたのだ。


「先ほどローレンスが申し上げたと思うのですが、ヴァレリアン殿下はお休みになられています。日を改めて頂けますか?」


「そんなっ…! 愛する弟の顔を見ることも叶わないのですか!?」


縋り付くような眼差しで膝をついているフェルナンドを立たせ、エレノスは「心中お察しいたしますが」と言葉を濁らせた。


立ち上がったフェルナンドはエレノスの両手を掴むと、瞳を潤めかせながらエレノスを見つめる。


「閣下には妹君であられるクローディア皇女がいらっしゃいますよね!? 仮に皇女殿下が怪我をされたら、見舞いたいと思われないのですか? 愛する家族を置いて帰れますか?」


「……それは」


エレノスはちらりとローレンスを盗み見る。おそらくローレンスも同じことを言われて困り、エレノスに助けを求めてきたのだろうが、エレノスも困ってしまった。


もしもクローディアがヴァレリアンと同じ目に遭ったら──エレノスもローレンスも、衛兵を薙ぎ倒してでも見舞うに決まっているからだ。


困り果てたその時、皇帝の訪れを報せる侍従の声が響いた。全員で部屋のドアの方を向き、深々と敬礼をして待っていると、開かれた扉から今日も凛々しいルヴェルグが現れる。


ルヴェルグは部屋の面々を見渡し、エレノスを見て苦笑を漏らすと、ゆっくりとした足取りで弟たちのところにやって来た。


「──顔だけでも見せて差し上げたらどうだ?無事を確認したいのだろう」


「…陛下」


「それに、家族が怪我をしたら見舞うのは当然のことだろう?」


ルヴェルグの言葉にエレノスは頷くしかなかった。皇帝である兄がそう言うのだ。従うほかない。


「…分かりました。ご案内いたします」


エレノスは部屋の隅にいる使用人にフェルナンドを案内するよう命じると、身を投げるようにしてソファに座った。


(申し訳ございません。ヴァレリアン殿下)


会いたくないと言って、布団に潜り込んでいたヴァレリアンの姿が甦る。


会いたがっていた兄と、会いたくないと言った弟。ヴァレリアンの気持ちを尊重したかったが、弟想いなフェルナンドを見たら、家族想いで優しいエレノスの心は揺れてしまった。


──どうか兄の来訪に気づかず、眠っていてほしい。

そう願うことしか、エレノスにはできなかった。



ヴァレリアンが眠る客室へと、黒い人影が伸びる。少し癖のある漆黒の髪、海の色の瞳、青白い肌。我らは太陽神に仕えていた眷属の末裔なのだと誇る一族で生まれたフェルナンドは、国宝の壁画に描かれている太陽神のような見た目で生まれた弟・ヴァレリアンの存在が許せなかった。


「生きていたのか、ヴァレリアン」


フェルナンドは部屋に入ると、リアンが布団に潜り込んでいるのを見て鼻で笑った。


「寝たふりをしても駄目だぞ。お前は昔から、何かあるとすぐ布団の中に逃げていたからな」


逃げる、と言われたことが気に障ったのか、リアンは布団から飛び起きると、フェルナンドを睨むような目で見る。


「……やはり兄上の差金ですか? あの男は」


「誰に向かって口を聞いている!」


フェルナンドは声を荒げると、リアンの胸ぐらを掴んだ。突然のことに、リアンは目を見開いて兄を凝視した。


リアンは兄であるフェルナンドに逆らうことができなかった。なぜならリアンが生を受けた時──神を冒涜する子だからこのまま水に落とそう、と誰もが口々に言う中で、フェルナンドだけが涙を流し、命を尊んだのだ。


それにより人々はフェルナンドを敬愛するようになり、リアンのことはいない者として扱うようになった。

ただ一人、兄であるフェルナンドを除いて。


「いいか、お前は僕のお陰で生きていれるんだ! 僕が望めば、お前の命など簡単に──」


「リアンに何をしているの!?」


リアンが全てを諦めようとした時、部屋の入り口からいるはずのない声が響いた。


「……ディア」


どうしてここに、とリアンは問いかけようとしたが、クローディアの足元に散らばる花瓶の破片とたくさんの花を見て察した。あの後花を摘みに行ってくれていたのだろう。


フェルナンドの手がリアンの胸元から離れ、その頬ににぃっと気味の悪い笑みが飾られる。それを見てリアンは吐きそうになった。


「……これはこれは、クローディア皇女殿下。ご機嫌麗しゅう」


クローディアは固まった。なんと、リアンを襲っていた男がフェルナンドだったからである。


オルヴィシアラの王太子であるフェルナンドが何故ここにいるのか。二人の関係性を知らないクローディアは、胸の鼓動が速くなっていくのを感じながら口を開いた。


「……リアンに、何をなさっているのですか?」


「貴女には関係のないことです」


フェルナンドはにっこりと微笑むと、クローディアに近づいてきた。その距離が縮まるほどに、泣きたいような、逃げ出したいような思いが迫り上がってくる。


だが、逃げるわけにはいかない。今クローディアがいなくなったら、リアンがまた襲われてしまう。非力な自分でも、仮面を被った悪魔からの盾くらいにはなれるだろうから。


一歩、二歩、三歩と。ゆっくりとした足取りでフェルナンドはクローディアの目の前に来ると、耳元でそっと囁いた。


「…クローディア皇女。間違ってもヴァレリアンに心を開かないよう。その者はオルヴィシアラ王国の神を冒涜する存在ですからね」


「オルヴィシアラ…?リアンと何の関係があるのですか?」


「おや、ご存知なかったのですか? こいつはこんな身形ですが、オルヴィシアラの国王の息子ですからね」


クローディアは息を呑んだ。

リアンはオルヴィシアラの王子で、フェルナンドの弟だったのだ。

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