呪縛(4)
この一室のために造られたと言っても過言ではない煌びやかなシャンデリアが輝くのは、皇城の中でも限られた人間しか入ることが許されていない皇族専用のスペース──所謂皇帝一族の団欒部屋にある。何度見ても眩しいそれを見上げていたクローディアは、ルヴェルグの到着を報せる声で我に返った。
「──遅くなってすまないな」
時刻は黄昏時。待ちに待った月に一度の家族の晩餐会に遅れてやってきたルヴェルグがテーブルに着くと、皆も続いて座った。集まったのは皇帝とその兄弟であるエレノス、ローレンス、クローディアとその夫であるヴァレリアンだ。
ルヴェルグがワイングラスを手に皆に労いの言葉を掛けると、家族の食事会が始まった。
「エレノス、まとまった休暇を取るよう言い渡したはずだが、もう復帰しているとは。身体は大丈夫なのか?」
「ご心配をおかけしました、兄上。この通り、もう元気ですよ」
「いやはや何を仰っているのだ、兄上よ。ただでさえ細いというのに、更にお痩せになられて、その優雅な服の下が痩せこけのホネホネでポッキリ寸前だと部下が嘆いていたのだが」
ローレンスの言葉に吹き出しかけたエレノスは、白いクロスを口元に当てながら天井へと目を逸らした。
「エレノス、どういうことだ?」
「……痩せたのは認めますが…」
ルヴェルグは呆れたように笑うと、ワインを一口喉に流し込む。
「仕事が好きなのは良いことだが、身体を壊しては元も子もない。明日から三日間は休むように。…これは命令ではなく、家族を想う兄の願いだ」
皇帝の仮面を外したルヴェルグは心配そうな目でエレノスを見つめる。その想いが伝わったのか、エレノスはふっと優しく笑うと、真摯な眼差しでルヴェルグを見つめ返すと頷いた。
「ふふ、分かりました」
そんな微笑ましいやり取りを眺めていたクローディアは、料理長がこの日のために腕によりをかけて作った料理を口に運んでいた。
「それはそうと、ローレンス」
「なにかね兄上」
いつになく芸術的な盛り付けがされていたある一品を見て楽しんでいたローレンスは、話しかけてきたエレノスへと目を向けた。優しげな菫色の瞳が一瞬不安げに見えたのは、気のせいだろうか。
「……南宮の庭園で、アルメリアが蕾をつけたそうだね」
白い花を咲かせるのだろうか、とエレノスは言うと、グラスに口をつけた。
「そうなのですよ。まさか兄上もその花を心待ちにしていたとは」
「他にも好きな人がいるのかい?」
「クローディアも好きなのだよ」
カラン、とフォークが大理石の床に落ち、音を響かせた。それは今の今までクローディアの手に握られていたものだ。
「………ディア?どうかしたのか?」
「な、なんでもないわ」
クローディアはぎこちなく笑うと、迅速に新しいものを持ってきてくれた使用人に礼を告げた。その顔から表情が消えていたのは言うまでもない。
(………どうして、アルメリアの話を?)
どくどくとクローディアの心臓が忙しない動きをし始める。この落ち着きのない気持ちが表に出ないよう、平静を装いながら微笑んでみせたが、兄たちは誤魔化せないようだ。
そんなクローディアのことを誰よりも見つめていたエレノスは、テーブルの下で片手を握りしめていた。
どうしよう、どうしたらいいの。ただその二言しか頭に浮かんでこないクローディアは、心配そうに自分のことを見てくる兄たちからどうしたら逃れられるか、そればかり考えていた。
そんなクローディアの右肩に、淡い熱が灯る。右隣に座っているのはリアンで、兄たち同様に心配そうな目でクローディアを見ていたが、その瞳には兄たちにはない色があった。
「……まだ具合が悪そうだね、ディア」
「え……」
長い睫毛が縁取る、深い青色の瞳。それには泣きそうな顔をしている自分が映っていて、クローディアは思わず目を見張ってしまった。
リアンはクローディアに柔らかに微笑みかけると、流れるような動作で立ち上がった。
「寒い中外に出たからか、顔色悪いね。酷くなる前に戻ろうか」
そう言って、ここに来るまでに羽織っていた厚めの上衣をクローディアの肩に掛けると、ルヴェルグらに向かって一礼した。
「折角の晩餐ですが、見ての通り、ディアの体調が良くなさそうなので……お先に失礼させて頂きます」
「そうか。残念だが、身体が第一だからな。ゆっくり休めてくれ」
「僕は明日滋養のあるものを届けさせるとしよう」
「……お大事にね、ディア」
クローディアはこくりと頷いて、深々と頭を下げた。そうして顔を上げると、リアンの瞳とぶつかる。
「行こうか、ディア」
リアンはクローディアの身体を支えるように手を添えると、外へと向かって歩き出した。その手つきはどこまでも優しく、温かく、ただただクローディアのことを労っているようだった。
突然アルメリアの名が出て、動揺してしまったクローディアのことを、リアンはどう思っただろうか。
逃げるようにして晩餐会の会場を出た二人は、馬車に乗って南宮へと戻った。その道中で会話はなかった。クローディアのことを本当に具合が悪いと思ったのか、他に考え事をしていたからなのかは分からないが。
やがて二人の住まいである南宮に到着すると、リアンはクローディアの手を引いて寝室まで連れて行った。
リアンは首元のタイを緩めてボタンを一つ外し、クローディアは堅苦しいドレスから部屋着用の簡素なものに着替えた。そうしてリアンは使用人を全員下がらせると、クローディアは一人掛けのソファに、リアンはベッドサイドに腰を掛けた。
しばらくの間、二人の視線が交わることはなかったが、意を決したように立ち上がったリアンがクローディアの目の前で蹲み込んだ時、それは叶った。
「…今日の晩餐会で、何があった?」
どうやらリアンはクローディアの体調を気遣うふりをして、あの場所から連れ出してくれたようだった。クローディアの中で何かが起きていたことにも気づいているようだ。
(………言えないわ)
だからと言って、その原因となった理由は言えなかった。言えるわけがなかった。あの花の名は、ただの花の名ではないから、だなんて。
クローディアは自分の元へと歩み寄ってきてくれたリアンから目を逸らし、顔を俯かせた。
「……俺、そんなに頼りない?」
違う、とクローディアは首を横に振った。まだ目を合わせられないでいるクローディアの手に、リアンの手が重ねられる。その温もりからは、ただ純粋にクローディアのことを心配しているリアンの想いが伝わってきた。
だがその優しさは、今のクローディアにとって辛かった。傷口を水に浸した時のような痛みを感じてしまうのだ。
「…誰にだって、誰にも言えないことはある。でも、言えずにいて苦しいのなら、打ち明けてほしい」
「…リアン……」
「俺には、言えないこと?」
その問いかけに答えるために、クローディアは顔を上げた。そうして深い青色の瞳を見つめ返すと、小さく頷く。
「……言えないわ。ごめんなさい」
これはリアンだけに言えないことではないのだ。愛する兄たちにも、この世の誰にも言えないこと。
あの花の名が、時が巻き戻る前の自分の子と同じものであるからなんて、誰にも言えないことなのだ。
「そう、分かった」
リアンはクローディアがようやく目を合わせてくれたことに安堵したのか、そっとクローディアから手を離すと、静かに部屋を出て行った。
扉が閉まり、一人きりになると、クローディアは深いため息を吐いた。
いつか、あの花を、あの花の名を──特別に想っている理由を、誰かに言える日は来るのだろうか。
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