変化(1)

ローレンスの薔薇園の花たちが満開になった頃、フェルナンドはオルヴィシアラに帰国した。


あの一件以来顔を合わせないようにしていたクローディアは、体調不良を理由に見送りを断り、自室で静かに過ごしていた。


何度かフェルナンドから手紙が届いたが、それらは全て目を通す事なく暖炉の火に焚べた。


フェルナンドは隙あらば事を起こしそうな人間だが、帝国内ではあれ以上皇女に手を出せないことを身を以て知ったのか、それ以上は何もしてこなかった。



嫌な人間が去ってから半月後、侍女のアンナを連れて庭園を散歩していたクローディアは、その帰り道でローレンスとリアンに遭遇した。


「おや、ディアではないか。ご機嫌いかがかな?」


意外な組み合わせの二人にクローディアは驚いたが、すぐに笑みを浮かべて軽くお辞儀をした。


「ご機嫌よう、ローレンス兄様。ヴァレリアン殿下」


ローレンスは今日はオフなのか、シンプルなブラウスに黒の細身のパンツというラフな格好をしていた。

その隣にいるリアンは帝国式と呼ばれているデザインの上着を羽織っていた。その違和感のなさに驚いたクローディアは、リアンに見入っていた。


「…ご機嫌麗しゅう、クローディア皇女」


リアンは見つめられるのが恥ずかしかったのか、少し困ったように微笑むと、助けを求めるようにローレンスを見上げる。

ローレンスはリアンの肩に手を置くと、満足げな顔をしながら語り始めた。


「ふふ、さすがのクローディアも驚いたようだね。どうだい、よく似合っているだろう?」


クローディアはにっこりと笑って頷いた。どうかと訊かれたのは、リアンが今着ている上着のことだ。


昔から帝国の貴族階級以上の人間が着ている、通称帝国式と呼ばれているデザインのコートを羽織っているリアンは、思わず見入ってしまうほどに似合っていた。


色合いからしてローレンスが選んだものだと思うが、赤はリアンの鮮やかな金髪と美しい顔を引き立てており、どこからどう見ても帝国の貴族にしか見えない。


「ええ、とってもよく似合っていらっしゃるわ」


「そうだろうとも! 何せこの僕が選んだのだからね!」


ローレンスはリアンを四方八方から見直すと、うんうんと何度も頷く。


「やはり僕の目に狂いはなかったな。次は何を着せようか…」


“着せる”という言葉にリアンはビクッと肩を震わせた。今着ているもの──ローレンスを満足させたこの上着に辿り着くまで、リアンは着せ替え人形にされていたのだ。


リアンはぶつぶつと独り言を唱え始めたローレンスの手を握ると、困ったように眉を下げながら瞳を潤ませた。


「ローレンス殿下。貴重な体験をさせて頂き光栄ですが、私は五日後には帰国する身なので、滞在中に美術館や博物館に行ってみたいのですが…」


うるうるとした目で、しかも下から可愛らしい攻撃をされたローレンスは、ウッと怯んだ声を出す。


「…これは失敬。僕としたことが。…殿下があまりにも我が国のものが似合うので、つい興奮してしまってね」


ローレンスは空いている方の手で横に流している長い前髪をさらりと払うと、胸に咲かせている花を手に取り、リアンの耳の上辺りに挿し入れた。


「殿下は真珠よりも、この紫の薔薇が似合う」


リアンは絶句した。ローレンスが変わり者だとは聞いていたが、まさか花を贈られ、女性に囁くような言葉まで言われるとは。


苦笑をしているクローディアを見れば、ローレンスに他意はなく、純粋にそう思って言っていることだと理解はできたが、飲み込むまで時間がかかった。

しばしの沈黙ののち、リアンは口を開く。


「……お世辞でも、嬉しいです」


寧ろお世辞であったのなら、笑って受け流すことが出来たのに、とリアンは心の中で項垂れた。


あの事件以来、特にリアンを親切にしてくれたのが、皇帝の弟であるローレンスだった。


皇帝ルヴェルグもその弟とエレノスも何かと気にかけてくれていたが、ローレンスは頻繁にリアンの顔を見に来ては外に連れ出し、楽しい話を聞かせてくれた。ひっそりと生きてきたリアンにとって、ローレンスが教えてくれたものは何もかもが新鮮だった。


今日、二日ぶりにリアンの元を訪れたローレンスは、帝国の貴族のような煌びやかな格好をさせて、城内を散策していたのだが、その先で二人はクローディアとばったり会ったというわけだった。


「ふむ、芸術か。帝国の文化は僕よりもエレノス兄上の方が詳しいのだが、兄上は忙しそうだからな…」


ローレンスは顎に手を添えながらしばしの間考え込んでいたが、何かを閃いたのかクローディアを見る。


「ディアよ、この後何か予定はあるかね?」


クローディアは首を傾げた。予定を聞かれるとは、何かの誘いだろうか。


「いいえ。特にないわ」


「ならば殿下を案内して差し上げてくれ。グロスター美術館はディアも行ったことがあるだろう?」


殿下、すなわちリアンを案内して欲しいという頼み事に、クローディアの鼓動は跳ねた。ここで偶然会っただけでも、何故か胸の辺りがざわざわとしているというのに。


「…あるけれど、うんと小さい頃の話よ?」


「ならば尚更だ。これを機に我が国の歴史ある文化を、殿下とともに見てくるといい」


国宝級の美術品が並ぶグロスター美術館には興味がある。だが、リアンと二人きりとなると、興味よりも緊張が勝ってしまう。


ローレンスは自分やエレノスが行けないから、代わりにとクローディアに頼んでいるのだろう。部下や専門家ではなく、家族であるクローディアに頼むということは、ローレンスにとってリアンはただの客人ではないようだ。


しばし考えたのち、クローディアは微笑んで頷いた。


「…分かったわ。では支度をして参ります」


これはクローディアにとってもいい機会だった。物心ついた頃から城から出たことは殆どなく、オルヴィシアラに嫁いだ時が最初で最後だったと言っても過言ではない。新しい景色を、自国のことを知るのは良いことだろう。


「ではヴァレリアン殿下、半刻後に門で待ち合わせしましょう」


クローディアはリアンに軽く退出の礼をすると、後ろに控えている侍女アンナと共に自室へと向かって歩いていった。

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