皇女(3)

「──アウストリア帝国皇帝、ルヴェルグ皇帝陛下の御成っー!!」


その声とともに、皇帝を迎えるファンファーレが奏でられる。赤い薔薇を敷き詰めたような絨毯が階段に敷かれ、颯爽と現れた皇帝・ルヴェルグはその上を優雅な足取りで歩き始めた。


国の最高権力者を出迎えるかのように吹き荒れた風が、ルヴェルグの長い髪を揺らす。緩くウェーブがかかっているその髪は黄金色で、切れ長の瞳は王族の象徴である紫色だ。

階段を降りたルヴェルグはエレノスから剣を受け取ると、それを左手に握りながらぐるりと皇宮内を見渡した。


「皆、面を上げよ」


アウストリア帝国の現皇帝であるルヴェルグ一世は、今年で即位五年目を迎える。この五年間でいくつもの国を征服し、長きに渡った戦争を終結させるなど、その能力の高さは目を見張るものである。


生母は林業が盛んな伯爵家の出身で、四人兄弟の中では一番母親の身分が低いことを即位前は気にしていたようだが、終わらない戦から家族と民を守るために自ら皇位を継いだ。


皇族に生まれた誇りと威厳に満ちており、自己にも他者にも同様に厳しい性格をしていて、皆ルヴェルグを前にすると言葉を詰まらせてしまったり、頭の中が真っ白になるが、ルヴェルグは怪我をした鳥を執務室で自ら献身的に世話をするなど意外な一面もある人物だった。


式典の挨拶を終えたルヴェルグは家族三人を連れて二階にある皇族のスペースに行くと、執事にワインや軽食を持ってくるよう命じ、ワインレッドのソファに腰を下ろした。その手にはエレノスから受け取った紫色の薔薇があり、指先でくるくると玩んでいる。


「我が弟エレノスよ。そなたが花を持ってくるとは珍しいものだな」


エレノスは柔らかに微笑むと、花を奪われ拗ねているローレンスの肩に手を置いた。


「我らの弟、ローレンスが育てたものです。一番美しく咲き誇ったものを陛下に、と」


そんなわけあるか、とルヴェルグは心の中で吹き出した。ローレンスは女好きで、年中貴族の娘たちに花を贈っては口説いている。今日だけは大人しくしていろという意味を込めて、エレノスは花を取り上げルヴェルグに渡したのだろう。


「ははっ、どこぞの令嬢ではなく私に贈られるとは、後が怖いな」


兄たちの微笑ましい会話を聞いていたクローディアは、久方ぶりに会うルヴェルグの姿を見て頬を綻ばせていた。その視線に気づいたルヴェルグは、長い指でクローディアの頬をそっと撫でると微笑みかけた。


「皇女クローディア。息災か?」


「ご機嫌麗しゅう、皇帝陛下。陛下のご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります」


「堅苦しい挨拶はよい。ここには我ら家族しかいないのだ」


下の階、すなわちホールは他国からの賓客や貴族たちが大勢来ているため、皇族として立ち振る舞いには気を遣わなくてはならないが、現在地は皇族しか立ち入ることが許されていないスペースだ。


肩の力を抜きなさいと遠回しに言われたクローディアは、ルヴェルグに差し出された手を取り傍らに座った。


ルヴェルグはクローディアの好物であるドライフルーツを手に取ると、口元に運んで食べさせた。いつもはエレノスがしていることだがたまにはいいだろう。帝位に就いてからは月に片手で数えるほどしか会えていないのだから。


「…少し窶れたな。夜は眠れているか? 食事はちゃんと摂っているのか?」


「ルヴェルグお兄様…」


年頃の娘にしては細すぎるクローディアは、転んだだけで大変なことになってしまいそうなくらいに危うく儚げな雰囲気をしている。

会うたびに妹が痩せている気がしてならないルヴェルグは、侍女に食事の記録表でも提出させようか考えてしまっていた。


「このような場は苦手であろう。エレノスと一曲踊り、民衆の前に顔を出したら自宮に戻って休むといい」


クローディアは幼い頃から病気がちで、長時間の外出や公務で無理をさせると熱を出してしまっていた。その為、兄たちが積極的に公務を行い、皇女は極力外には出さないようにしているが、今日だけは無理をせざるを得なかったらしい。


愛しい妹の手が熱を持ち、少し呼吸が乱れていることにいち早く気づいたルヴェルグは、クローディアの頭をそっと撫でた。


「ですが今日は建国千年祭…。他国の王族の方もお越しになるので、そういうわけには参りません」


「確かに来賓は多いが、エレノスとローレンスがいる。今日はオルシェ公とベルンハルト公子も来ているから問題ないだろう」


ベルンハルト公子の名が出た途端、クローディアはぱっと顔を輝かせた。


「まあっ、ベルがっ…!?」


おやつを待っている仔犬のように嬉々とした表情を浮かべているクローディアは、今にも駆け出しそうだ。予想通りの反応に思わず笑ってしまったルヴェルグは「行ってくるといい」と声をかけた。


パタパタと駆けていく妹の後ろ姿は、まるで魔法が解ける前に行かなければと急ぐ童話の主人公のようだった。



幼馴染の来訪の報せを聞いて飛び出していったクローディアを見送った三人は、仕切り直すようにワインで乾杯をすると、その場から使用人を全員下がらせた。


「そなたとディアの従兄弟であるベルンハルト公子が、やはりディアの結婚相手に相応しいか?」


ルヴェルグの視線の先には、エレノスとクローディアの亡き母君の兄である男性・オルシェ公爵がいる。


オルシェ公爵家は、遥か昔の皇帝の兄弟が臣下となり初代当主となった歴史ある一族だ。妃を輩出したり、皇女が降嫁したりと、皇族とも縁が深い。


「…敢えて挙げるならば、ですね。他国の王族に嫁がせるよりはずっといい」


エレノスはひっきりなしに挨拶をされているベルンハルト公子を見つめていた。

ベルンハルトはエレノスとクローディアと同じ銀髪で、大きなダークグレイの瞳をしている。堅物と言われているオルシェ公の息子だというのに、純粋で真っ直ぐで、いつも笑顔を絶やさない心優しい少年だ。


「ベルンハルト公子の父君であるオルシェ公は、我らの伯父上ですから」


「亡きソフィア皇妃の生家であるオルシェ公爵家の次期当主、か。降嫁させるには申し分ない身分だが、血が近いのが悩ましい」


「あんなに小さかった我らのディアは、今年で十六。釣り合う身分で、ディアを幸せにしてくれる者が現れると良いのですが」

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