糸絡(1)

『──汚れた血が』


その言葉は、生まれた時から言われてきたことだ。


太陽神アターレオを唯一無二の神とし、崇め奉るオルヴィシアラ王国にとって、陽光の色である黄金は神色──すなわち人が触れてはならない禁色とされた。


金色の髪をしているリアンが生まれた時、人々は神がお怒りになったのだと嘆いた。


リアンと同じくその母親も生まれながらに金髪で、先祖を辿るとこの大陸の南地方出身であることは神官も知っていたというのに、まるで突然化け物が生まれてしまったかのように、リアンは人々から疎まれていた。


──いっそころしてくれればいいのに。


幼き頃より、リアンはいつもそう思っていた。しかし、王国は生命を尊び、それを自ら絶つことと殺めることは決してしてはならないという神の教えがあり、リアンは死ぬことも許されなかった。


だからだろうか。刃物を持った男が飛び出してきた時、繋いでいた少女の手を強く引いて、自ら盾となったのは。

これでようやく楽になれると、そう思っていたのに──。


『リアン…リアンっ…!!』


菫色の瞳の少女は、母に置いていかれた子供のように、声を上げて泣いていた。人目も気にせずに、繋いでいた手を離さないまま、顔を歪めながら涙をこぼしていた。


互いに本当の名も家の名も知らない、ただ偶然出逢っただけの何の関係性もない自分のために、少女は泣いてくれたのだ。そんな優しい存在を前にして、このまま楽にさせてくれとは言えなかった。


(──やっと、笑ってくれたのに。そんなに泣かないでよ)


薄れゆく意識の中でそっと掛けた願い事は、神の耳に届いただろうか。



「──リアンっ…!!」


目を醒ましたリアンの前にはクローディアがいた。共に踊った夜からどれくらいが経っているのだろうか。意識を取り戻したリアンを見るなり、クローディアは目を潤ませていた。


その後方にはアウストリア帝国の皇帝の弟であるエレノスとローレンスの姿もあった。豪華すぎる顔触れにリアンは体を起こして挨拶をしようと思ったが、脇腹に鈍痛が走り、思うように体が動かない。


「そのままで大丈夫ですよ。ヴァレリアン王子殿下」


無理に体を起こそうとしたリアンにエレノスはそのまま寝ているよう気遣うと、クローディアへと視線を動かした。


クローディアは今にも泣きそうな顔でリアンを見つめていた。


「……リアンは…」


リアンと呼んでいた少年は、本当は他国の王子だった。知らなかったとはいえ、愛称で呼び礼儀を欠くなど皇女失格だ。


どうして本当のことを教えてくれなかったのだろう、と責める資格はなかった。それはクローディアも同じで、自分の名はディアだと伝えてしまったから。


黙り込むクローディアとリアンを見て、エレノスは気を利かせてくれたのか、ローレンスを連れて部屋を出て行った。


きっと二人きりで話したいことがあるはずだ。それは“ヴァレリアン”の名を出した時に、クローディアが驚いたような表情をしていたのを見れば分かることだった。



何から話せばいいだろうか。何から話すべきだろうか。二人は長い沈黙の中で、互いに同じことを考えていたが、そこから先に抜け出したのはリアンだった。


「──ごめん、ディア」


リアンは弱々しい声でそう呟くと、痛む体に鞭を打ってゆっくりと起き上がった。そうしてまで伝えたいことがあるのだ。


「……それは私もよ。リアン…」


クローディアはリアンの背に大きめのクッション置いて、ベッドの隅に腰を掛けた。そして真っ直ぐにリアンの目を見つめ、震える唇を開いた。


「リアンは、王子…なの?」


縫い付けられたようにベッドシーツを見つめていた瞳が、ゆっくりとクローディアへと向けられる。その目は今日も澄んでいて、綺麗な青だった。


「そうだよ」


リアンはクローディアを見つめ返し、はっきりと言った。そしてクローディアの指先にそっと指を絡めると、前を見据えたまま声を放つ。


「ディアは、帝国の皇女のクローディア、でしょ?」


クローディアはこくりと頷き、リアンに触れられている場所へと目を動かした。


リアンの手は今日も冷たかった。だけど、触れられると胸の辺りが温かくなったような気がして、こうしてまた話ができていることがたまらなく嬉しかった。


あのまま二度と目を開けなくなってしまっていたら、後悔してもしきれなかっただろう。出逢ったことに、その手を取ったことに。

リアンはクローディアの心に、灯火をくれた人だったのだから。


「…私は、クローディア=オルシェ=アウストリア。皇帝の妹よ」


クローディアが名乗り終えると、リアンは絡めていた指先を解き、そのまま髪へと手を伸ばし一房掬い上げ、そっと口付けを落とした。一瞬の出来事だったが、クローディアの目には酷くゆっくりと映っていた。


「…黙っていたのはごめん。言い訳がましいんだけど、騙すとか、言いたくなかったからとか、そういうのじゃないんだ」


「…ええ、それは、私も同じ」


ならよかった、とリアンは悲しげな微笑みを飾る。


「だったら何なのかっていうと……それは、ヴァレリアンとしてじゃなかったからって言うのが近い気がする。上手く言えないんだけど、いつもの俺だった。ディアと街で会った時の俺は」


リアンがクローディアと会った時は、息苦しい世界から解放された場所だったのだ。王国とは違った文化で溢れている帝国の街並みを見て、ただただ美しいと感じていた。その時のリアンは、王子ではなくただの一人の人間だったのだ。

そう伝えたいが、上手く言葉にすることができない。


「本当は、ディアが帝国のお姫様ってことも気付いてた。白銀の髪に菫色の瞳をしている皇女のこと、知らない人はいないし。…だけど、ディアはディアだって名乗ったから、ああ、俺と同じなのかなって…」


自分と同じく、ありのままの自分と出会ったから、本当の名を名乗らなかったのではないだろうか。そんな願いにも似たことを考えてしまったのだ。


「…ねぇ、リアン」


弱々しい声で、クローディアはその名を呼ぶと、リアンの手を握った。今度は自分の番だとでも言うかのように。


その手の温かさに泣きそうになったリアンは一度だけ頷くと、光を宿した菫色の瞳を見つめた。


「私にとって、リアンはリアンよ。王子様だって聞いた時は驚いたけれど、そう教えてくれなかったのは、私のことをディアとして見てくれていたからでしょう?」


クローディアにとって、リアンはリアンだ。ヴァレリアンでも王子でもない、一人の男の子。それはリアンにとっても同じで、ディアはクローディア皇女だが、リアンにとってはディアという少女だった。

それは、ありのままの姿でいた時に出逢ったからかもしれない。


「……うん。ディアはディア。綺麗な目をしてる、女の子」


「なら、それでいいの。…ありがとう」


リアンは瞳を揺らした。ありがとうと言われたことに驚いたのだ。

ひょいっと何かを抜かれたような顔をしているリアンを見て、クローディアは花開くように微笑んだ。


「私と出逢ってくれて、ありがとう。リアンがいなかったら、私は今こうしていられなかったかもしれない」


「…大袈裟だな。俺なんて……」


そんな風に、真っ直ぐにありがとうと言ってもらえる資格なんてない。そう言いかけたが、リアンは途中で言葉を飲み込んだ。


「……こちらこそありがとう。ディア」


クローディアの笑顔は果てしない雪原で見つけた一輪の花のようだった。今にも消えてしまいそうな儚さを持っているというのに、強かで美しい。


穢れのない微笑みを前に、本当はあのまま死んでも構わなかったのだと告げることは、できなかった。

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