第30話 荒野の男
「きゃっ!?」
がしっと肩を掴まれ、エルシャは顔を上げる。目の前には一人の男の姿があった。
「お前、エルシャ・ガーランドだろう!? こんなところで生きてたなんてな!」
「あなたは……!」
エルシャははっと息を呑む。
……が、すぐに真顔になった。
「……。……。……誰ですか」
「なんだとぉ!?」
男は憤慨した様子で己の胸を叩く。
「俺はボール子爵だ! 忘れたとは言わせないぞ!!」
その言葉でほとんど忘れかけていた記憶が引っ張り出される。その男はエルシャの結婚相手になるはずだった人物――ボール子爵だった。
「え? ……あ。ああ〜」
「何だその微妙な反応は!」
「いえ、なんだか前と雰囲気が違ったので誰かと……」
「誰のせいだと思ってるんだ! あの後大変だったんだからな!? 教会は焼け落ちるし髪の毛は燃え尽きるし……全部お前の仕業なんだろう!? この悪魔め!」
元から寂しげだった頭頂部には覆うものが何もなかった。もう二度とこの荒野に草木が芽吹くことはないだろう。
雰囲気が違うと感じたのはあの頭のせいだったのだ。
エルシャはふむ、と考え込んだ。
(この人の言う通り、あの雷を起こしたのは私だったのよね。つまり、あの人の髪が燃え尽きたのは私のせいってことになるわね)
初めて会ったとき、ボール子爵の頭頂部には少ない髪を必死に掻き集めた努力の跡が見えた。人によっては髪も宝石に匹敵するほどの財産なのだろう。
そう考えると少し悪いような気もしてきて、エルシャは素直に頭を下げた。
「すみませんでした。とにかく怪我なくてよかったです」
「毛がなくてよかった!? なんだと!?」
……なぜか憤慨された。
(優しい言葉をかけたのに怒られるなんて、社会って難しいわ……)
やはり自分には常識が足りないのだろう。そう痛感し、エルシャは溜め息を吐いた。
「人の頭を見て溜め息を吐くな! 増毛の魔法を求めてはるばるこの国まで来た私の努力を馬鹿にするんじゃない!」
「馬鹿になんてしてませんよ。『神』を信じましょう。きっと努力は報われます」
「『髪』!? 髪の話をするな小娘!」
「……あっ、『もうこん』な時間? そろそろ戻らないと……」
「『毛根』!?」
「え?」
だんだん子爵が怒りに震えていく。エルシャは首を傾げた。
(こんなに震えて……。やっぱり髪がないと防寒力に欠けるのかしら)
エルシャはカバンからレースの付いたピンクのハンカチを取り出すと、そっと子爵の頭に被せた。
「夜は冷えます。よかったら、どうぞ」
「な――」
エルシャは優しく微笑む。その瞬間子爵の堪忍袋の緒はプツンと切れた。
「お前……っ!」
子爵は顔を真っ赤にすると手を高く振り上げた。
「えっ、ハイタッチですか? 急に?」
「そんなわけあるか! お前、私を馬鹿にしているな!?」
「そんなつもりは……」
「失礼な奴め! あんまり調子に乗ると……」
「――調子に乗っているのはどちらだ」
どこかから低い声が響く。
それと同時に振り上げた子爵の腕が凍り付いていく。
「うわああああ!? 冷たい! 痛い!! 何だこれはッ!?」
子爵は絶叫しながら氷を払おうと必死に腕を振り回している。
気が付けば隣に冷たい顔をしたオズヴァルドが立っていて、エルシャは軽く目を瞠った。
「遅いから探しに来てみれば……誰だ、こいつは」
「オズヴァルド、いつの間に……」
「見たところ獣人ではないな。まさかとは思うがエルシャの知り合いか?」
「ええと。私の結婚相手……に、なる予定だった人……? ですかね」
「は?」
その瞬間、周囲の温度が急落する。吹雪が吹き荒れ、風圧で窓ガラスが次々砕け散る。
エルシャはぎょっとしてオズヴァルドを見上げた。その横顔は人を射殺しそうな殺気に満ちていた。
(よ、余計なこと言っちゃったかしら……)
「うわあ、なんだこれ!? こ、この化け物!!」
「貧相な頭だな。私が見栄えをよくしてやろう」
そう言うと子爵の頭上で冷気が渦巻き、瞬く間に氷が頭頂部を覆った。まるで氷で出来た冠だ。見た目こそ美しいが、地肌が凍り付く痛みに耐えかねて子爵はのたうち回った。
「ひいいいやめてくれ! 痛い痛い痛い!」
「フン……。当然の報いだ。さて、次はどこを凍らせてやろうか」
指示を待つかのように、オズヴァルドの周囲を冷気が漂う。嫌な予感がしてエルシャはオズヴァルドの腕を掴んだ。
「オズヴァルド、待って!」
「何故止める」
「もう十分です! やりすぎると死んじゃいます!」
「それの何が問題だ」
(またオズヴァルドのダークな一面が出てる!!)
正直子爵のことは苦手だが、こんなところで死なれると後味が悪い。エルシャはどうにかオズヴァルドが反応しそうな言葉を絞り出した。
「前に、私の前では暴力は控えるって言いましたよね。約束を破るんですか?」
その言葉でオズヴァルドの動きが止まる。
エルシャはその隙にオズヴァルドの白い頬を両手で包み込み、無理やり自分の方を向かせた。
「それに風邪を引いたらどうするんですか。オズヴァルドの身体っていつも冷たいでしょう? 冷やすと身体によくないですよ。……ほら。今もこんなに冷えてる」
「……!」
次第にオズヴァルドの顔から殺気が抜けていき、嘘のように吹雪が止む。
ややあって、子爵の肌を覆う氷もパラパラと剥がれ落ちる。それに気付いた子爵は半狂乱でその場から逃げ出した。
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