第44話 決意
空が白んでいく。長い夜が明ける。
その様子を小さな格子窓から眺めながら、エルシャは硬く冷たい床の上で息を吐く。
「もう朝ね」
これで、夜会の夜から数えて二度目の朝だ。
アンブローズの攻撃を受けて気を失った後、気が付くとエルシャは牢の中にいた。
窓の外の風景から察するに、どうやらここは王宮の外れにある塔の中らしい。
当然ながら鉄格子には鍵がかかっており、脱獄などは不可能だ。これまでの時間、エルシャはただじっと待つことしかできなかった。
(オズヴァルド、大丈夫なのかしら……)
今この瞬間も魔力暴走を起こして苦しんでいるかもしれない。
しかし、解毒薬はもうない。――あの提案を断ってしまったから。
糸を切ることを拒否したのは正しかったのだろうか。解毒薬を受け取った方がよかったのではないか。身動きが取れないせいか、そんなことばかり考えてしまう。
何が正解で何が間違いなのか、エルシャにはもうわからなかった。
「オズヴァルド……」
左手の薬指にそっと触れる。
ただ、無事でいて欲しい。
エルシャの願いはそれだけだった。
そのとき、誰かの足音が響いた。
(看守の見回り?)
エルシャは深く考えずに振り返る。そして、鉄格子越しに見覚えのある人物の姿を見つけ――目を見開いた。
「エルシャ様ぁーっ!」
「ルネ!?」
ふわふわの金髪に大きな瞳。
そこに立っていたのは紛れもなくエルシャの侍女――ルネだった。
エルシャは慌てて立ち上がり鉄格子の前に駆け寄った。
「エルシャ様、ご無事でしたか?」
「ええ。平気よ。……どうやってここに来たの?」
「顔見知りの騎士をツテに、粘りに粘ってよーやく入れて貰えたんです。来るのが遅くなって申し訳ありません」
それまで平気だったのに、いつもと変わらぬルネの姿を見ていると涙が出そうになった。
だが、泣いている場合ではない。エルシャはぐっと涙を堪えた。
「エルシャ様、ちゃんと食べてます? 随分とやつれて見えますよ……」
「あまり、食欲がなくて……」
「それはいけません!」
ルネはすかさず鉄格子の隙間から小さなバスケットを差し入れた。中には具沢山のサンドイッチがあり、親切にケチャップとマスタードのソースボトルまで添えてあった。
「これ、厨房に言って用意してもらったんです。絶対に食べてくださいね」
「まあ、わざわざ持ってきてくれたの?」
「はい。なので絶対に食べてくださいね。いいですか? 絶対ですよ!」
そこまで念押しされてしまえば断れない。
エルシャは苦笑いを浮かべ、頷いた。
「貴女の顔を見たら少し安心したわ。外は今、どういう状況なの?」
「殿下は未だ行方不明だそうです。状況から見てラフルさんと行動を共にしているようです」
「そう、なのね。ラフルさんが一緒ならよかったわ」
行方不明ということはまだアンブローズには見つかっていないということだ。
「そしてオズヴァルド殿下に対する貴族達の態度ですが……完全に二分していますね。代わらず殿下を支持する声もありますが、オズヴァルド殿下を廃位してアンブローズ殿下を王太子にすべきとの声も大きいです。……やはり、大勢の前で魔力暴走を起こしたことと、国王陛下を攻撃してしまったことが効いているのでしょう」
「そんなことになっていたのね。……そうだ。国王陛下のご容態は?」
「また以前のようにお眠りになられたそうですが、命に別条はないそうです」
「そう。よかった……」
これで国王が亡くなりでもしていたら、この程度の騒ぎでは済まなかったはずだ。状況は決して良くないが、最悪の事態だけは免れている。
「それじゃあ、あの人……アンブローズ殿下が王太子になるってこと?」
「可能性はあります。この国で最も影響力のある三大公爵家のうちローネイン公爵家はオズヴァルド殿下派ですが、メイヤール公爵家はアンブローズ殿下派みたいですからね」
「……残りの一つは?」
「カドリップ公爵家のことですか。あそこは中立の立場を取っていますね。そこが動けば世論も大きく変わるのでしょうが……」
(カドリップ公爵家?)
聞き覚えがあるような気がしたが、どこでその名前を聞いたのか考えるうちにルネの話は進んでいて、エルシャははっと意識を戻した。
「それにしても王宮は異様な空気ですよ。アンブローズ殿下が王宮の主人にでもなったかのように振舞っているのです」
「……曲がりなしにもこの国の王子ですものね。だけど、いくらオズヴァルドに悪評が立ったとはいえ、ぽっと出の王子が支持されるものなの?」
「うーん。それは、騎士団長さまがアンブローズ殿下に従っていることも大きいですね。騎士団長さまは前国王陛下の代からこの国に仕える英雄です。彼の影響力は計り知れないものです」
「それじゃあ王立騎士団もアンブローズ殿下の手の内ってことね」
(……そういえば、オズヴァルドが魔力暴走を起こした最中には会場に騎士が一人もいなかったわね……)
あれだけの騒ぎが起きたのだから、すぐに騎士達が駆け付けてもおかしくなかった。それなのに、アンブローズが現れるまで誰一人として騎士が現れなかった。
……まるで、誰かの指示を受けているかのように。
(初めからアンブローズ殿下と騎士団長は手を組んでいたのかもしれないわね)
騎士団長側の動機まではわからないが、この一連の出来事は仕組まれたものなのだろう。
アンブローズが王太子の座に就き、いずれ王位を継ぐために。
「ぐぬぬぬ。騎士団長さまはどうしてあの方の肩を持つのでしょうか! これまで王太子として国王陛下の代わりに国を支えてきたオズヴァルド殿下のお姿を見てきたはずなのに〜!」
ルネもエルシャと似たようなことを考えていたのだろう。すっかり憤慨した様子で鉄格子を殴っている。
もちろんそんなことで鉄格子が外れるわけもないのだが、彼女の変わらぬ明るさが今はありがたかった。
「そうだ、エルシャ様。もう一つお伝えすることがあります」
「なにかしら」
「その、知り合いの侍従から聞いた話なのですが……。アンブローズ殿下はオズヴァルド殿下が見つからないことに苛立ちを覚えているようで、エルシャ様を人質として、オズヴァルド殿下をおびきよせるつもりみたいなんです」
「何ですって!?」
エルシャは一瞬にして青ざめた。
罠だとわかっていても、オズヴァルドなら必ずここに戻ってくる。今のエルシャにはそう確信できてしまった。
(私がここに囚われていることでオズヴァルドを危険に晒してしまう……)
「エルシャ様? 顔色が……」
「……ねえ、ルネ。ここに長居するとよくないんじゃない? そろそろ戻ったほうがいいわ」
「ですが……こんな場所にエルシャ様をお一人にするなんて……!」
「私は平気だから気にしないで」
「うう……。レーナもエルシャ様のことを心配してましたよ。だから、ちゃんとご飯を食べて元気でいてくださいね」
「ええ。わかったわ」
ルネは一度その場を離れようとしたが、名残惜しそうにこちらを振り返る。エルシャは小さく笑って早く行くように促した。
「またね、ルネ」
そう言って手を振るとようやくルネは階段を下っていく。
こうしてエルシャは再び一人になった。
「……ふう」
窓の外を見上げる。青空をゆっくりと雲が流れていく。
「こうしていると、あの部屋にいた頃を思い出すわね」
生まれ育ったあの部屋はここよりも快適だったけれど、あの頃の自分は今よりももっと不自由だった。
希望を持つことすら諦めて、一人でただ時間が過ぎ去るのを待つしかなかった。
(……でも、今の私には仲間がいる)
エルシャは床に置かれたバスケットに目を留める。そして、中のサンドイッチを一口食んだ。
「……おいしい」
エルシャはサンドイッチを食べ進めていく。
初めは小さな一口でゆっくりと、そして次第に大きな口で齧り付いていく。
そのうちに、涙が頬を伝った。
その涙は無力な自分への悔しさであり、大切な人達を傷付けられたことへの怒りでもあった。
私を大切に思ってくれる人達がいる。だからこそ、私も彼らに報いたい。
このままここでじっとしているわけにはいかい。みすみす利用などされてたまるものか。
(まずはここを出なきゃ)
……でも、どうやって?
エルシャは視線を彷徨わせる。
そして、バスケットの中に目を留めた。
「……いいことを思いついたわ」
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