第31話 星空の贈り物
(何とか気を逸らせたみたいね……)
エルシャは安堵の溜め息を漏らす。
オズヴァルドの顔に冷静さが戻っているのを確認してから、そっと手を離した。
そのとき、オズヴァルドの呟きが落ちた。
「……すまなかった」
「本気であの人を殺すつもりだったんですか?」
「ああ」
即答だ。
(オズヴァルドは相変わらず過激ね……)
「……私のことを嫌いになったか?」
窺うような視線を向けられ、エルシャは言葉に詰まる。何と答えればオズヴァルドを傷付けずに思いを伝えられるだろうか。
「……正直に言うと、少し怖かったです」
「……ああ」
「でも、私のために怒ってくれたんでしょう? 嫌いになんてなれませんよ」
オズヴァルドが来てくれなければ子爵に暴力を振るわれていたはずだ。やり方はどうであれ、彼に助けられたのは紛れもない事実だ。
「オズヴァルド、ちょっとしゃがんでください」
「こうか?」
オズヴァルドはさっと身を屈める。エルシャはそっとその頭に触れ、優しく撫でた。
「助けてくれてありがとう。そんな悲しそうな顔しないでください」
「……許してくれるのか?」
「もちろん」
そう答えると同時に、ぐい、と引き寄せられる。気が付くと、エルシャはオズヴァルドの腕の中にいた。
(!?)
身体を強く抱き締められ、彼のほんのりと冷たい体温を感じる。
突然の出来事にエルシャは身を固くした。
「オズヴァルド……!? あ、あの……」
「……よかった」
耳元で聞こえた声はやけに柔らかい。
ちらりと視線をやると、オズヴァルドは心底安堵したような表情を浮かべていた。
(そんなに私に嫌われないか不安だったの……?)
王太子という身分に加えて魔法の実力もあって、恐れるものなど何もないはずの人だ。
それなのに、こちらの言動一つでこんなに動揺を見せるなんて。
(なんか……ちょっと可愛いかも)
これがギャップ萌えというやつだろうか。
以前ルネが教えてくれた。普段の印象とは違う一面にときめきを覚えることを、巷ではそう呼ぶそうだ。
(まさかオズヴァルドが可愛く見える日がくるなんてね)
出会った頃のオズヴァルドは何もかもが完璧に見えて、住む世界が違う人だという考えが拭えなかった。
しかし彼のいろんな姿を知る中で、いつからか『オズヴァルド・ルスローレル』という一人の人間として彼を見るようになった。
彼との関係性も以前とは大きく変化したような気がする。
やがて腕を解かれ、二人は向かい合う。
「……そうだ。もう一箇所見せたい場所があるんだ。付いてきてくれるか」
「構いませんけど……」
そう答えると、オズヴァルドは割れた窓の外を眺めた。
「もうすっかり夜だな。馬車で行くと遅くなるか。……よし」
レイヴンは身を屈めると、シルクをひょいと抱え上げた。突然横抱きにされたエルシャは目を見開く。
オズヴァルドはエルシャを抱えたままガラスのなくなった窓の桟に飛び乗る。皮靴がガラスの破片を踏んでザリ、と音がした。
「さあ、行こうか」
「行くって……」
エルシャはそっと視線を下に向けた。
地面が遠い。ここから落ちれば無傷では済まないだろう。
「オズヴァルド。あ、危ないです……」
オズヴァルドは返事の代わりににこりと微笑み、窓の桟を蹴る。すると二人の身体は真っ直ぐに落下していった。
「きゃああああああ!?」
あっという間に地面が眼前まで迫ってきて、エルシャはきつく目を閉じた。
(落ちる!!)
刹那、バサリと大きな音が響く。
「……?」
エルシャは身構えたが、いつまで経っても衝撃が来ない。その代わりに妙な浮遊感に襲われ、エルシャはゆるゆると目を開く。
そして、呼吸を忘れた。
「――――!?」
目の前に広がっていた光景。それは、今日一日二人で歩いた王都の街並みだった。しかし、建物も石畳の道も人も、その全てがミニチュアのように小さかった。
(これってまさか……)
耳元で風の音がする。
視線を動かすと、オズヴァルドの背で一対の翼が揺れているのが見えた。艶やかな黒い鱗に覆われた、立派なドラゴンの翼だ。
(空を飛んでるの!?)
「どうだ。綺麗な景色だろう?」
景色を楽しむ余裕などない。返事すらできず、エルシャは涙目になってオズヴァルドの首にしがみついた。
「ははは。怖いのか?」
鳥のように空を飛べたらどんなに素敵かと夢想したこともあったが、これほどに恐ろしいことだったとは。
(もう鳥に憧れたりなんてしないわ!!)
エルシャはそう決心し、固く目を瞑ったのだった。
「……着いたぞ」
浮遊感がやみ、エルシャはようやく瞼を開く。遠くには街の明かりが見えた。
「ここは……」
「王都で一番高い塔の最上階だ。ここからならば街並みが一望できるだろう」
風が強い。揺れる髪をこめかみの辺りで押さえつつ、手摺りから街を見下ろした。
先程は緊張で見られなかった王都の街並みがよく見える。街灯や民家から漏れる灯りが点々と散らばっており、夜空の星々と鏡合わせになっているようだった。
「綺麗……」
溜め息のような言葉が漏れる。
そのとき、一筋の光が空を流れていった。
「流れ星!」
その光は尾を引いて夜空を飛んでゆく。
そして文字通り瞬く間に夜闇の中に消えた。
「もう消えちゃった……」
未練がましく空を眺めても、もうどこにも流れ星は見当たらない。もっとよく見ておけばよかった。エルシャはしゅんとした。
その様子を見ていたオズヴァルドはほんの少しだけ思案顔になると、空に視線を戻し軽く指を鳴らした。
「……えっ!?」
そのとき、再び星が夜空を流れていった。
初めは一つ二つだった星は次々増えていき、光の軌跡は空を覆った。
「すごい、流れ星がこんなにたくさん……!」
もはや目では追いきれないほどだ。それでも一つも取りこぼしたくなくて、エルシャは空を見上げることに夢中になった。
「すごく綺麗。ねえオズヴァルド!」
ふと隣に目をやると、いつからそこに立っていたのか、こちらを見つめる紫の瞳と目が合う。
息を呑むほど綺麗な微笑。
それに目を奪われていると、そっと彼の顔が近付いてくる。
(えっ……?)
――そして次の瞬間、唇を奪われていた。
「ん……っ」
彼の体温は冷たいのに、触れる唇は少し熱い。
思わず身じろぎすると、後頭部を押さえられ、さらに深く口付けられる。
(何が起きてるの……!?)
身体が熱い。
甘い痺れが頭を支配して、余計なことは考えられなくなってしまう。
(息が出来ない……!)
目の端に生理的な涙が浮かび、指先がぷるぷると震える。
そのときようやく唇が離れ、エルシャは大きく息を吸い込んだ。
「な、なにするんですか……!」
涙目でそう叫んだとき、オズヴァルドはふ、と悪戯っぽく微笑んだ。
「~~~~」
その瞬間羞恥心に襲われて、エルシャの頬がかっと赤くなる。
いつしか流れ星はやみ、元の夜空に戻っていた。熱を帯びた頬は夜風を浴びても冷めてくれそうになかった。
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