第4話 既に叶っていた願い

「え。俺のこと、わかりません?」

「だって、私たちって昨日会ったばかりでしょう」


そう答えると、青年はあからさまに落ち込んでいく。


「えっと……。どこかで会ったことあったかしら? 親戚とか? それとも……えっと、ええっと……」

「わかんないならいいです」

「そんな悲しい顔しないで。もう少し考えるからせめてヒントを……!」


そう言いかけて、はたと止まる。

そういえばこの青い髪と瞳には、不思議と見覚えがあるような……。


「貴方の髪……」

「はい?」


エルシャは半ば無意識に青年の髪に触れ、その頭を撫でた。やはりこのふわふわと柔かい感触、記憶にある。


(何だったかしら。一体どこで……)


「え、エルシャ……? どうして頭を……!?」


先程まで落ち込んでいた青年はみるみる赤くなっていく。そのことにも気付かずに無心で頭を撫で続けていたとき、ぴょこん、と青年の頭上にふわふわの耳が飛び出してきた。


「…………え」

「あっ」


その瞬間、あの部屋での記憶がフラッシュバックする。この柔らかい耳は、まさか――

エルシャは空色の瞳を覗き込んだ。


「もしかして貴方――私の可愛いキツネさん?」

「……!」


その言葉にぴくりと耳が揺れる。やがて青年は顔を綻ばせた。


「そうです。俺です。エルシャ!」


口元には八重歯が覗いている。しっぽも楽しげに揺れている。確かにキツネだったときの面影がある。

あのキツネは普通の動物ではなかったのだ。


「貴方、もしかして……山の向こうから来たの?」


ユホエラ王国の隣にはルスローレル王国という国がある。しかし隣国とはいえ二国の国境には険しい山があり、行き来は容易ではない。そのため正式な国交もなかった。

そのせいか、ルスローレル王国は獣達が暮らす蛮国なのだという不確かな噂だけが届いていた。

そんな噂を鵜呑みにしていたわけではないが、それほど離れた場所にならエルシャの知らない種族がいてもおかしくない。


「そうですよ。ルスローレル王国は獣人たちの王国ですから」

「獣人……だったのね。獣人は魔法を使えるの?」

「ええ。全員じゃないですけどね」

「へえ……」


(やっぱり、噂は噂ね)


野蛮な獣ではなくこんなにかわいい獣人が住んでいるだなんて。世の中には知らないことばかりだ。


「……というか、今エルシャがいるここだってルスローレル王国の領内ですよ」

「えっ。あの山を越えてきたってこと?」

「はい。ちなみにその山の中にあるのがこの家です」

「嘘でしょ……」


登山家ですら音を上げるという山を、エルシャを抱えて越えてきたというのか。

エルシャの心を読んだように、青年は「体力には自信があるので!」と答えた。


(見た目によらずタフなのね……)


「そうだ。まだ名乗ってませんでしたよね。俺の名前はシアンです」

「シアン……」

「はい!」


名前を呼んだだけで嬉しそうにしっぽが揺れている。こうして見るとあのキツネそのままだ。

エルシャがうっすらと抱いていた警戒心はどこかに消え失せ、目の前で揺れる魅惑的な物体への興味に塗り変わっていった。


「もふもふ……」

「え?」


エルシャの瞳が見たことがないほどにキラキラと輝いている。シアンはぽかんとした。


「エルシャ?」


エルシャはごくり、と生唾を飲み込んだ。

ふわふわの毛並みが触ってくれと言わんばかりにエルシャの心を誘惑してくる。

キツネの姿とでは手触りに違いがあるのだろうか。直接確かめたい。我慢ができない……!

次の瞬間、エルシャは欲望に抗えずしっぽを触りたくった。


「う、うわぁ!?」

「もふもふ……」

「ひっ、くすぐったいですって!」


エルシャはしっぽに抱き着き、取り憑かれたようにその毛並みを堪能している。それに比例してシアンの顔も赤くなっていく。


「ちょっ、もう! これ以上はダメです!」


スっと耳としっぽが引っ込んでいく。エルシャは残念そうな顔をしたが、シアンは取り合おうとはしなかった。

……少しやりすぎたのかもしれない。

もふもふを堪能することは諦め、エルシャはもう一つ気になっていた質問を投げかけた。


「ねえ、シアンはどうして私のこと助けてくれたの?」

「そんなの、友達だからですよ」

「友達?」

「アレッ……違うんですか?」


エルシャが黙り込むと、シアンはみるみる不安げな顔になっていく。


「友達……」


エルシャは静かにその言葉を噛み締めた。それは生まれて初めて口に出す音の響きだった。

そしてエルシャがかつては切望し、やがて諦め、もはや望んだことすら忘れていた願いの一つでもあった。

炎に巻き込まれ死を覚悟したとき、願いは何一つ叶わなかったと思った。だが、既に一つは叶っていたのだ。

エルシャはふ、と柔らかく微笑んだ。


「そう。私達……友達だったのね」

「あっ、笑った」

「……? 笑うのがそんなに珍しい?」

「ええ。超レアです。エルシャは表情が薄いほうですから」

「そうだったの」


愛想がないと言われたことはあるが、正直『愛想』の意味がいまいちわかっていなかった。しかし、こうして表情豊かなシアンに指摘されると少し気になってくる。


(笑顔……)


エルシャは真剣な顔で己の頬をむにむにと引っ張った。表情筋をまともに使わず生きてきた弊害だろうか。どれだけ頑張っても引き攣った笑顔にしかならなかった。


(どうしたらシアンみたいに笑えるのかしら)


鏡と真剣に向かい合うエルシャをシアンは楽しげに眺めていた。


「……そうだ。エルシャに見せたい場所があるんです。この後一緒に行きませんか」

「……見せたい場所?」

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