第5話 青空に手が届く

「きゃっ……」


木の根に足を取られてエルシャが躓く。それに気付いたシアンがさっとその身体を支えた。


「大丈夫ですか?」

「ええ。シアンが助けてくたから」


その言葉に、シアンは返事の代わりに微笑んだ。


――エルシャとシアンの二人は草木生い茂る山中を並んで歩いていた。

シアンは慣れた足取りで進んでいくが、山道を歩いたことのないエルシャにとってはなかなかの苦行だった。

そのせいか何度も転びそうになり、その度にシアンに支えられ、エルシャはすっかりへとへとになっていた。


「疲れましたか? 休憩します?」

「ううん、平気。だけど、あとどのくらい歩くの?」

「もうすぐ着きますよ」


その言葉通り、さらに進むと一気に視界が開けていく。そこには色とりどりの花畑が広がっていた。


「わぁ……」


エルシャはその景色に魅入られて花畑の中を進んでいく。そして花弁に顔を寄せてその香りを確かめた。


「いい香り……」

「ここ、俺のお気に入りの場所なんです」

「本当に綺麗ね」

「よかった。エルシャも気に入ると思ってました」


そのときふと、あの部屋に置いてきた花瓶のことを思い出した。シアンが毎日持ってきてくれた花はここに咲いているのと同じ種類だ。


(もしかして、毎日ここの花を摘んできてたの……!?)


いくらガーランド伯爵邸が国境近くに位置しているとはいえ、楽な道のりではなかったはずだ。

どうしてそこまでして自分の元を訪れていたのだろう。


(『友達』だから?)


そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなっていくような気がした。

そのとき、頭に何かが触れて顔を上げる。エルシャの頭上には花冠が乗せられていた。


「綺麗です。エルシャ」


そう言ってシアンは微笑む。

背後の青空と同じ、澄んだ瞳。その目で見つめられ、微笑まれると何故だかくすぐったい気持ちになる。


「ありがとう。お世辞だとしても嬉しいわ」

「お世辞じゃありません。エルシャは本当に綺麗です」

「本気で言ってるの?」

「本気ですよ」

「……私が?」

「知らなかったんですか?」


エルシャの言葉は謙遜などではないと悟り、シアンは「周りにまともな感覚の人がいなかったんですか?」と呆れ返っている。

エルシャは目をぱちくりとさせた。


……いつも、『綺麗』は気味悪さを強調するための枕詞に過ぎなかった。


『いくら綺麗な顔をしててもあんな目じゃねぇ……』


『綺麗だからこそ尚更気味が悪いわ。人間じゃないみたいで』


そう言って、侍女達が自分を蔑む声を幾度も耳にしてきた。

だから、誰かに褒められるのは生まれて初めてのことで、エルシャは酷く戸惑った。


(シアンが嘘を言ってるようには見えないし……)


「まさか俺の言葉を疑ってます?」

「だって、この赤い目が気持ち悪いってみんな言うから……」

「誰がそんな酷いことを!? 綺麗な目じゃないですか!」

「…………本当?」

「本当です」

「シアンって変わった趣味なのね」

「……エルシャ、自己評価低すぎません? 俺、変な男に騙されないか心配になってきましたよ」


シアンはやれやれ、と肩を竦める。初めて巣から出た小鳥のように世界を知らなすぎる。放っておけばどこぞの猛獣にぺろりと食べられてしまいそうだ。


(俺がエルシャを守らなきゃな……)


密かにそう決意を固めるシアンであった。


「そうだ。向こうには湖もあるんです。一緒に行きましょう」


シアンはそう言ってエルシャの手を取る。青空の下、二人は陽の光を浴びながら花畑の中を歩いていった。

青空そのもののような青年の後ろ姿を眺め、エルシャは目を細めた。


(眩しい……)


いつも部屋から見上げていた青い空。それはエルシャにとっては自由そのものだった。どれだけ手を伸ばそうと届かない、美しくてあまりに遠いもの。

決して触れられないと思っていたものに初めて手が届いたような気分だ。


エルシャは繋いだ手を見つめた。炎の中から自分を救い出してくれた、大きくて温かな手だ。

その温もりが嘘でないことを確かめるように、エルシャはそっと手のひらを握り返したのだった。

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