第3話 青年の正体
ゆっくりと意識が浮上していく。
長い夢を見ていたような気がする。白いドレスを着て、燃え盛る炎の中、誰かに手を引かれて――……
「ん……」
ふと、近くに人の気配を感じてエルシャは薄く瞼を開く。すると何か青いものが目に飛び込んできた。
あれは、青空? ……いいや。
(……人?)
ぼんやりとした輪郭は次第に像を結び、空色の髪の青年になった。
ぱちりと目が合うと青年はにっこりと笑った。
「おはようございます、エルシャ」
「へ……」
エルシャがゆっくり上体を起こすと青年が側に駆け寄り、エルシャの額に手を当てた。
「熱もないみたいですね」
「え。あ、あの……」
「朝ごはんも出来てますよ!」
青年はすぐにキッチンに向かっていく。その後ろ姿を少し眺めた後、エルシャは辺りを見渡した。
どうやらここはどこかの民家らしい。窓の外には青空と木々が広がっている。
森の中……だろうか。
「ここは……」
「俺の家です」
そう答えながら、青年はテーブルに皿を並べていく。二人分の配膳を済ませると、さっと椅子を引いた。
「どうぞ」
「……」
青年はにこやかな表情でエルシャが座るのを待っている。恐る恐る席に着くと、青年も向かいの席に座った。
テーブルの上にはスープやサラダ、パンと果物が並んでいた。いい香りが鼻腔をくすぐる。
(これ、本当に食べてもいいのかしら)
ちらりと視線を戻すと、青年はこちらの挙動を見守っていた。エルシャが料理に手をつけるのを待っているらしかった。
エルシャはおずおずとスープを口に運ぶ。そして軽く目を見開いた。
「……おいしい」
「本当ですか? よかった〜。おかわりもありますからね!」
「え、ええ……」
(この人、どうしてご飯を食べただけでそんなに嬉しそうなのかしら……)
エルシャは困惑しつつも黙々と食事を口に運ぶ。そのうちにそれまでの記憶もはっきりと思い出していた。
(……そうだった。私は結婚式に出て、教会が火事になって……そこから逃げ出したんだったわ)
エルシャが死を覚悟したそのとき、どこからか彼が現れて救い出してくれたのだ。教会を出た直後で記憶が途切れているが、恐らく彼がここまで連れてきてくれたのだろう。
(そういえば、名前も聞いてなかったわ)
エルシャは改めて向かいの青年を観察した。
年齢はエルシャと同じくらいだろうか。ふわふわした空色の髪と、髪と同じ空色の瞳が特徴的だ。
目鼻立ちは整っているが、たれ目っぽい目元と柔らかい雰囲気も相まって綺麗というよりは可愛らしい印象だ。
じっと見つめているとまた目が合い、にこりと微笑まれる。エルシャには戸惑うことしかできなかった。
(この人はどうしてこんなに親切にしてくれるのかしら……)
初対面のはずなのに随分好意的だ。エルシャの周囲にいたのとは全くタイプの違う人で、彼の考えがよく読めない。
戸惑いつつも、気付けばエルシャは料理を完食していた。食事を終えるタイミングを見計らい、青年は棚からシャツとトラウザーズを取り出してきた。
「そうだ。これ、着替えてください。男物ですけど。その格好じゃさすがに不便でしょう」
そう言われて初めて、エルシャは自分の服装を意識する。煤だらけのウェディングドレスの上から青年のものと思われる上着をひっかけただけの姿だった。傍からみるとずいふん滑稽な食事シーンだったことだろう。
「ありがとう……」
「じゃあ、俺は外に出てるんで」
「待って」
「はい?」
エルシャは躊躇いつつも長い金髪を胸元に流し、ぱっくりと開いた背中を見せた。
「あの…………ボタン、一人じゃ外せないんだけど……」
背中から腰にかけて、くるみボタンが真っ直ぐに並んでいる。どうやらこのドレスは他人の手を借りて着ることを前提とされたデザインのようだった。位置的にも手が届きそうにない。
申し訳なさそうな顔で青年を見ると、何故か青年は真っ赤になってフリーズしていた。
「あ……ごめんなさい。そんなことまで頼むのは失礼よね……」
「ししし失礼だなんてそんな! むしろ光栄です!!」
「そうなの?」
「はい! 是非お手伝いさせてください!」
青年はエルシャの背後に立つと、くるみボタンをぷつ、ぷつと慎重な手つきで外していく。肌に触れぬように細心の注意を払っているのが伝わってきた。
やがて最後の一つを外し終えたとき、青年は勢いよく立ち上がった。
「終わりました! それでは!」
そう言うとあっという間に家を飛び出していく。派手な音を立てて扉が閉ざされ、エルシャは首を傾げた。
「あんなに焦らなくてもいいのに」
何はともあれ、手伝ってくれて助かった。
一人になったエルシャはイヤリングとグローブを外し、窮屈なウェディングドレスを脱ぎ捨てた。そして貰った服に袖を通していく。少しサイズは大きかったが、着るには十分だった。
窓の外を眺めながら待っていると、しばらくして青年が戻ってきた。初めはそわそわとした様子をしていたが、エルシャの格好を眺めると大きな瞳を輝かせた。
「そういう格好も似合いますね!」
「あ、ありがとう……?」
「でも、服がシンプル過ぎますね。今度ちゃんとした服を買わないと。……あ、そうだ」
青年は手に持っていた何かをさっとエルシャの耳にかけた。
「これで華やかになりましたよ。エルシャ」
そう言って青年は満足げな顔をした。
エルシャが鏡を確認すると、そこには一輪の花が挿されていた。まるで天然の髪飾りだ。
そのとき、ずっと聞きたかった質問を思い出した。
「どうして私の名前を知ってるの?」
「え?」
「……ねえ、貴方は誰なの?」
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