第8話 追跡

広場には人だかりができ、ご婦人たちが般若のごとき形相で食料品を奪い合っている。

ボロボロになったエルシャは遠巻きにその光景を眺めていた。


(買い物って命懸けだったのね……知らなかったわ)


普段何気なく食べていた食事の裏にはこんな苦労があったのだ。エルシャの中で食事に対する価値観が変わっていくような気がした。

これ以上この争いに巻き込まれぬよう、エルシャはそっと広場を離れた。


「シアンはどこかしら」


どうやらかなり遠くまで来てしまったようだ。早くシアンと合流しなければ。

来た道を引き返していったとき、角から現れた誰かにぶつかり、エルシャはよろめいた。

拍子に被っていたフードが落ちる。


「きゃっ……」

「すみません、レディ。お怪我はありませんか」


その言葉にエルシャは顔を上げる。すると銀髪の男と目が合った。

立派な制服に身を包み、腰には剣を帯びている。しっかりとした体躯といい、身なりからして騎士なのだろう。


(本物の騎士って初めて見たわ……)


エルシャは物珍しそうに男を眺める。すると男は驚いたように目を見開いた。


「その目……」

「!」


その一言でエルシャは思わず顔を隠す。

いつの間にかフードが落ちていることに気付き、サァ……と血の気が引いていく。


(見られた……)


気味が悪いと思われたに違いない。そう思うと心臓が嫌な音を立て始める。


「レディ。失礼ですが、貴女は……」


男が何かを言いかけたが、怖くなってエルシャはその場から逃げ出した。


「あっ、お待ちください!」


男は後を追おうとしたが、血気盛んな主婦達に遮られ足止めを食らう。その隙にエルシャはその場を離れていった。


見知らぬ街を闇雲に走る。

先程まで平気だったはずなのに、行き交う人が皆自分を見ているような錯覚を起こす。明るい話し声も自分の目を嘲笑しているように思えてくる。


(怖い……)


エルシャはひと気のない路地裏に飛び込み、人目を避けるように縮こまった。


「ハァ……ハァ……。……はぁ……」


(忘れてた……)


シアンの優しさに慣れて勘違いしてしまったようだ。こんな気味の悪い瞳をしていて、普通の人と同じように過ごせるはずがなかったのだ。

あの部屋を出たところで何も変わらない。別人になれるわけではないのに。


(私ったら、馬鹿ね……)


表通りの喧騒を聞きながら、エルシャは暗い路地裏に身を潜めていた。

そのとき、どこかから足音が近付いてきた。


「……エルシャ?」


びくり、と肩を揺らし顔を上げる。

そこには焦った様子のシアンが立っていた。

目が合うと、シアンはほっとしたように息を吐いた。


「やっと見つけた。よかった、無事で」

「シアン……」

「顔色が悪いですよ。何かあったんですか?」

「シアン、私……」


そのとき、男の声が響いた。


「いたぞ!」

「!?」


二人が同時に振り返ると、数名の騎士達がこちらに向かってくるところだった。

シアンはぎょっとしたように目を見開く。


「あれって王立騎士団!? なんでこっちに来て……」


シアンは青い顔のエルシャに視線を戻す。そしてすぐにその手を取った。


「……と、とにかく逃げましょう」


二人は狭い路地裏を駆け抜ける。すると騎士達も走り出した。


「待て!」

「うわ、何で追いかけてくるんだ!?」


シアンがさっと片手を振るうと植物のツタが騎士達に絡みつき、ドミノ倒しに転倒していく。しかし、足止めしたのも束の間、前方から別な騎士達が現れる。


「止まれ!」

「……っ、エルシャ、失礼しますね」


シアンは軽く身を屈めると、エルシャをひょいと横抱きにした。


「!?」

「じっとしててください」


そのまま近くの資材を踏み台にして屋根の上に飛び上がる。そして屋根伝いに飛び移っていく。


「シアン……ッ、あの人達、何なの」

「よくわからないですけど、早く離れましょう。大通りに出れば人混みに紛れ込めるはずです」


しばらく進んだところでシアンはさっと屋根から飛び降り、エルシャは地面に降ろされる。二人は大通りへと急いだ。

しかし二人の行動を先読みしたかのように、前方に銀髪の男が立ち塞がった。


「――お待ちください」


(この人、さっきの……)


男と目が合い、エルシャは思わずシアンの袖を握った。


(どうして私を追うの? こんな目をしてて気味が悪いから?)


そのうちに背後からも別な騎士が合流して完全に囲まれてしまう。

エルシャが震えているのに気付いたシアンはポンポン、と優しくエルシャの頭を撫でた。


「大丈夫ですよ、エルシャ」


シアンがパチンと指を鳴らすと花吹雪が吹き荒れ、騎士達が吹き飛ばされていく。

しかし、銀髪の男だけは花吹雪をものともせずその場に立っていた。


「……今のはそよ風か?」

「ハァッ!? 何で効かないんですか!?」

「こちらが王立騎士団知って攻撃を仕掛けるとは……。邪魔をするというのなら、手加減はしない」


フッ、と男の周囲を炎が漂う。炎はシアンに狙いを定めて襲いかかった。


「!」


シアンの足元から現れた茨が手足のように蠢き、炎を打ち消していく。しかし炎は茨を焼き付くし、シアンに襲いかかった。


「……っ!」

「シアン!」


炎が鎖のようにシアンの身体に絡み付き、ローブの裾が焦げていく。


「うわっ! 何だこれ!」

「暴れなければ痛みはない。そこで大人しくしていろ」

「誰が……!」


男の言葉などお構いなく、シアンは無理やり炎を振り払った。

地面から伸びたツタが銀髪の男を捕らえる。しかし、男は剣を引き抜くとツタを切り裂いた。


「警告はしたはずだ」


炎が踊り、一層強くシアンの身体を締め付ける。シアンは苦しげな声を漏らした。


「シアン……!」


そのときエルシャの側に一台の馬車が止まる。銀髪の男はエルシャに手のひらを差し出した。


「貴女には付いてきて頂きます。どうぞお乗りください」

「彼を離してください」

「こちらとしても抵抗をしなければ危害を加えるつもりはありません。貴女が馬車に乗った後に解放しましょう」

「……本当に?」

「ええ。この剣に誓って」


男が嘘を言っているようには見えない。

エルシャは前方に視線を戻した。変わらず炎がシアンの身体を覆っている上に、再び立ち上がった騎士達に取り囲まれている。


「…………わかりました」

「エルシャ!!」


こちらに手を伸ばすシアンの姿が見えたが、何の力もないエルシャにはどうすることも出来ない。


(シアン……)


一度だけ目を合わせ、安心させるように微笑む。でも、きっとまた下手くそな笑顔をしていたのだろう。シアンは辛そうな顔のままだった。


「参りましょう」

「……はい」


男にエスコートされ、エルシャは馬車へと乗り込む。

こうしてエルシャを乗せた馬車は颯爽とメルベルクの街を発ったのだった。

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