第9話 黄金の糸
ガタン、ガタンと音を立てて一台の馬車が石畳の上を走っていく。エルシャは一人、暗い顔で馬車に揺られていた。
(この馬車、一体どこに向かってるのかしら)
エルシャが馬車に乗せられてからかなりの時間が経った。
カーテンを少しだけ開いて外の様子を窺うと、そこには見知らぬ街並みが広がっていた。空も暮れ初めている。
馬車の行き先も、エルシャが馬車に乗せられた理由も何一つわからない。時間が経つにつれてエルシャの不安は膨れ上がっていった。
(シアン……)
彼は無事だろうか。あの後本当に解放して貰えたのだろうか。二人並んで街を歩いた時間が遠い昔のことのようだ。
(買い物、楽しかったのに)
はぁ、と溜め息をこぼしたとき、突然馬車が止まる。そして扉が開かれた。
「どうぞ、お降りください」
「……」
銀髪の男が手のひらを差し出して待っている。エルシャは戸惑いつつもその手を取って馬車を降りた。
そして顔を上げたとき――目の前に広がる光景に、エルシャは己の目を疑った。
「……え?」
そこには仰ぎ見るほど大きな建物がどんと構えている。それは街で見たどの建物よりも大きく立派で、エルシャは思わず圧倒された。
(伯爵邸よりもずっと広そうだわ……)
「中へ参りましょう」
呆然とするエルシャに、銀髪の男は淡々と先に進むよう促す。エルシャは黙ってその背に続いた。
広々として開放的なエントランスに入り、長い廊下を進んでいく。途中、何人もの使用人とすれ違い、その度に頭を下げられた。
(こんなに使用人がいるなんて、よほど裕福なお屋敷なのかしら)
やがて男は大きな扉の前で立ち止まった。
「殿下、お連れしました」
「通せ」
中から低い声が返ってくる。
ゆっくりと扉が開かれ、エルシャは中へと足を踏み入れた。
どうやらその先は謁見室のようだった。鮮やかな赤の絨毯を踏んで奥へと進めば、突き当たりの豪奢な椅子に誰かが座っていることに気付く。
紫の瞳と目が合った瞬間、エルシャは思わず息を呑んだ。
(綺麗な人……)
――そこにはぞっとするほどの美貌の男の姿があった。
漆黒の髪に紫の瞳、蒼白なほど白い肌。
顔のパーツ一つ一つが恐ろしく整っており、それが一層彼の人間味を薄く感じさせていた。
「君……」
男の切れ長の目がエルシャの姿を捉え、その顔には波紋のように動揺が広がっていく。
男は椅子から立ち上がると、つかつかとこちらへ歩み寄ってきた。そしてエルシャの正面でぴたりと足を止める。
神秘的な紫の瞳がこちらを熱心に覗き込む。
(な、何かしら……)
初めは無表情にも近かった男の顔には驚きと喜びの感情が広がっていく。
そしてふ、と表情を和らげた。
「君だったんだな」
一瞬で、冷たくすら感じられた男の雰囲気は別人のように柔らかくなっていた。
「私はこの国の王太子、オズヴァルド・ルスローレルだ。オズヴァルドと呼んでくれ」
(王太子!?)
ということはここは王宮だろうか。なぜそんな場所に招かれたのだろう。疑問は増すばかりだ。
エルシャは困惑の表情を浮かべたまま、おずおずと口を開いた。
「私はエルシャ・ガーランドです」
「そうか。エルシャと言うのか」
オズヴァルドは噛み締めるようにその名前を口にする。やけに嬉しげにみえるのは気のせいだろうか。
「あの、殿下。どうして私はここに呼ばれたのでしょう」
「殿下ではなくオズヴァルドと呼んでくれ」
「……オズヴァルド殿下」
「オズヴァルド」
「……お、オズヴァルド……?」
「それでいい」
オズヴァルドは満足げに頷いている。
なぜそこまで呼び方に拘るのだろう。
「君の質問だが、説明がまだだったな。……ラフル」
「はい」
銀髪の男が素早くオズヴァルドの傍に控える。そしてエルシャに向かって恭しく頭を下げた。
「突然ここまでお連れすることになり申し訳ございません。私は王立騎士団の副団長をしております、ラフル・レノックスと申します」
エルシャは改めてラフルの顔を見た。ラフルは銀髪にアイスグレーの瞳をした二十代前半の男だった。戦う姿には覇気があったが、今はどことなく落ち着いた雰囲気が漂っている。
「確認したいことがあってここに連れて参りました。……エルシャ様はリンステッド侯爵家の方ですよね」
「リンステッド……?」
エルシャの顔に困惑の色が浮かぶのを見て、オズヴァルドが口を挟んだ。
「エルシャ。私は君の父君をよく知っている」
「私の父を、ですか」
「ああ。その赤い瞳はリンステッド侯爵家の象徴だ。君はエルマンの娘だろう」
そう言ってオズヴァルドはエルシャの赤い瞳を懐かしむように眺めた。
「エルマン・リンステッド。それが君の父親の名だ。優秀な魔法の使い手で、私の師でもあった。魔法だけでなく生き延びるためのあらゆる手段を私に教えてくれたんだ」
(エルマン・リンステッド……)
会ったこともない父の名前なのに、妙に胸がざわついた。
一生知りようがないと思っていた事実を思いがけず知ることとなり、心臓がどくどくと鼓動を始めた。
「では……私の父は今、どこに……」
その言葉にオズヴァルドの表情が硬くなる。
……嫌な予感がした。
オズヴァルドは軽く眉根を寄せると静かに目を伏せた。
「……十数年前、国王陛下は病で床に伏した。陛下には私含め七人の子供がいたが、王太子もまだ決まっていなかったのだ。そのせいで王太子の座を巡って激しい争いが起きた。……そこにエルマンも巻き込まれ、命を落としてしまったんだ」
オズヴァルドの表情は苦しげで、エルマンへの想いの深さが窺えた。
「そう……だったんですね」
(父ももうこの世にはいなかったのね……)
初めから期待などしていなかったはずなのに、自分が一人だということを再確認するようで、エルシャは少なからず落胆を覚えた。
そんなエルシャにオズヴァルドは気遣わしげな視線を向けた。
「君の父君には恩がある。私にとっては兄のような人だった。実の兄なんかよりよほどな」
「……つまり、父の話をするために私をここに連れてきてくださったのですね」
「そのつもりだった。だがつい先程、それだけではなくなった」
そう言うとオズヴァルドはその場に片膝を付く。そしてエルシャをまっすぐに見上げた。
「私達は運命で結ばれた『伴侶』なんだ」
「……『伴侶』?」
そのとき、エルシャの左手の薬指から黄金の糸が伸びていく。その先を辿っていくと、オズヴァルドの左手の薬指に繋がっていた。
「これがその証だ。まさかエルマンの娘が私の伴侶だとは思いもしなかったが、これもきっと運命なのだろう」
次の瞬間には糸がふっと掻き消える。
エルシャはそれに気を取られたが、オズヴァルドに強く見つめられていることに気付く。
目が合うと、オズヴァルドはとろけるような微笑を浮かべた。
「会えて嬉しい。我が伴侶」
そう言ってエルシャの左手を取り、薬指に口付けを落とした。
愛しい人を見つめるような眼差しに、エルシャの心臓は否応なしに高鳴る。
(これは一体どういう状況なの!?)
緊張でカチコチに固まっていると、オズヴァルドはふっと笑った。
「これまで苦労があったことだろう。だが、もう安心してくれ。これからはここで暮らすといい」
「えっ……?」
「ラフル。彼女を月光の間へ案内してくれ。長旅で疲れているようだ」
「はい」
ラフルはエルシャに頭を下げ、扉の方を指し示した。
「それではご案内します」
「え、あの……」
(ここで暮らす、って……?)
そう尋ねたかったが、オズヴァルドは綺麗な笑顔でエルシャが出ていくのを見守っている。とても何かを尋ねられそうな雰囲気ではなかった。
(恩師の娘だからお客様として扱ってくれるっていうこと……よね?)
あのやけに優しげな視線にも深い意味ははずだ。……多分。
どうしようもなく不安を覚えながらも、エルシャはそそくさとその場を後にしたのだった。
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