第10話 王宮
「はじめまして、私はルネといいます!」
「わたくしはレーナと申しますわ」
部屋に入るなり二人の侍女がエルシャを迎え入れる。エルシャも軽く挨拶をすると、二人ははしゃいだ様子でエルシャの側にやってきた。
どうやらふわふわした金髪の娘がルネで、真っ直ぐな菫色の髪の娘がレーナと言うらしい。
「私達は今日から身の回りのお世話を担当させていただくことになりました。よろしくお願いします、王太子妃殿下」
「お、王太子妃殿下……?」
「ええ。王太子殿下の伴侶なんですよね? でしたら、当然そうお呼びすべきかと」
困惑の表情を浮かべたエルシャを見て、レーナはルネを小突いた。
「こら、ルネ。まだご結婚前なのだから、その呼び方は適切ではありませんわ。……まあ、すぐにそうお呼びすることになるでしょうけど」
(結婚……?)
まるで決定事項かのような口ぶりだ。唐突な言葉に頭が着いていかない。
(結婚するの? 私が? ……あの人と?)
唖然とするエルシャには気付かず、ルネはレーナの言葉に納得したような顔で頷いた。
「それでは、エルシャ様とお呼びしますね。精一杯お仕えさせていただきます!」
「……え、ええ。よろしくね」
「それではさっそくお風呂にしましょうか。準備はできてますので」
そう言って、二人はエルシャを浴室へと案内した。猫足のバスタブには湯船が張られ、水面には花弁が浮かべられている。
エルシャはローブを脱いで、浴槽に肩まで浸かった。
「お加減はいかがですか」
「丁度いいわ」
浴室にはアロマが焚かれ、甘い香りが漂っている。その香りを楽しみながら、エルシャは甲斐甲斐しく世話をしてくれる二人に視線をやった。
「あの……二人も獣人なのよね?」
「はい。私はヒツジの獣人で、レーナはウサギの獣人です!」
「へえ……」
言われてみると、ルネのふわふわした金髪はヒツジを思わせる。一方のレーナは小柄で小動物のような雰囲気があり、ウサギというのも頷けた。
「じゃあ、二人とも耳とか出せるってこと……!?」
「出せますわよ」
ポン、とレーナの頭上にウサギ耳が現れ、ルネのこめかみの辺りには螺旋状のツノが現れる。エルシャは瞳を輝かせた。
「すごい!」
「うふふ。お気に召したようで何よりですわ。ですが、獣化した姿を見られるのを好まない方もいるので、誰彼構わず尋ねるのは控えたほうがいいですわよ」
「そうなのね。教えてくれてありがとう。ユホエラ王国に住んでたから、獣人のことをよく知らなくて……」
その言葉にルネは首を傾げた。
「ですが、エルシャ様はリンステッド家の血筋なんですよね。エルシャ様は獣人ではないの、ですか?」
「獣人ではないわ。魔法も使えないし。きっと母が普通の人間だからだと思うわ」
「そうでしたか。でしたら、私達は簡単な魔法なら使えるので、エルシャ様をお守りしますね! 変な人がいたら迷わず魔法でぶっ飛ばします!!」
「こら、ルネ。物騒なこと言わないでくださいませ」
「えへへ」
「褒めてませんわよ」
二人のやりとりにエルシャは小さく笑った。
(伯爵邸の侍女と違って話しやすくていい子達ね。オズヴァルドが気を遣ってくれたのかしら)
バスタブから出ると髪や肌の手入れを施される。エルシャの緊張も幾分か解れてきた頃、二人はキラリと目を光らせた。
「……さて。ここからが本番ですわよ」
「え?」
二人はすかさずドレスや装飾品、メイク道具を手に取ると笑顔でじりじりと迫ってくる。
「ルネ、レーナ、なんだか雰囲気が……」
「エルシャ様。じっとしていてくださいね」
そうして、二人は嬉々としてエルシャを飾り立てていく。その熱量に気圧され、エルシャはされるがままになっていた。
……それから約一時間後。一仕事終えた二人は満足げに完成作品を眺めた。
「お綺麗です、エルシャ様!」
(ようやく終わったのね……)
その声でエルシャは姿見に向き合い――目を瞠った。
鮮やかな赤色のドレスに、目元を強調する華やかなメイク。
普段のシルクならば瞳の色を隠したがっただろうが、うまく瞳の色と馴染んでいて、誤魔化すよりもいっそう自然な美しさが出ていた。
(二人の腕がいいのかしら。こんなに変わるものなのね……)
ぼうっと鏡を眺めていると、二人はにまにましながらエルシャを部屋の外へと連れ出した。
「ささ、殿下がお待ちですわ」
「美しくなったエルシャ様の姿をお見せしなければ!」
「え? 今から?」
「勿論です!」
二人はあっという間にエルシャをダイニングルームへとまで連れていく。エルシャが中へ足を踏み入れると、先に食卓についていたオズヴァルドは顔を上げた。
「来たか、エルシャ――……」
言いかけ、オズヴァルドは驚いたように瞠目する。
そしてエルシャの姿を上から下まで眺めると、優しい声色で囁いた。
「綺麗だ」
「……ありがとうございます」
熱い視線に耐えきれずエルシャはそっと目を逸らした。耐性がないせいかオズヴァルドの挙動一つ一つに妙にドキリとしてしまう。
席に着くと料理が次々運ばれてくる。それを見てエルシャは固まった。
(食べられるかしら……)
伯爵邸ではいつも部屋で食事をしており、貴族の令嬢が食べるには質素なものばかり食べていた。そのため、このような立派な席で豪勢な料理を誰かと食べるのは初めてだったのだ。
「食べないのか?」
そう促され、おずおずとスープに口をつける。
しかし、向かいに座るオズヴァルドの綺麗な顔にじっと見つめられ続け、なおさら食事が喉を通らなかった。
結局、緊張のあまり料理を味わえぬまま食事を終えたのだった。
食事を終えるとオズヴァルドが席を立ち、エルシャに手を差し出した。
「部屋まで送ろう」
エルシャは困惑しつつもその手を取る。オズヴァルドの手は大きく、少し冷たかった。
オズヴァルドにエスコートされてエルシャは部屋へと戻る。扉の前まで来るとオズヴァルドは足を止めた。
「本当はもっと一緒にいたかったが、今日はゆっくり休んでくれ」
「はい、ありが……」
そのときオズヴァルドの顔が近付いてきて、頬に口付けを落とした。
(えっ?)
弾かれたように顔を上げると、オズヴァルドはくすりと笑って離れていった。
「おやすみ」
そう言い残し、オズヴァルドは長い廊下を引き返していった。
「…………」
エルシャは遠ざかる男の後ろ姿を呆然と見送りながら、そっと頬に触れた。心なしか顔が熱い。
(びっくりした……)
ただの挨拶なのだろうが、オズヴァルドの艶っぽい表情を見ていると変に意識してしまう。
それもきっとあの美しすぎる顔のせいだろう。自分でなくても、あの顔を見たらドキリとしてしまうに違いない。だからこれは自然な反応なのだ。
そう言い聞かせ、エルシャは部屋へと戻ったのだった。
大きなベッドに倒れ込み、天井を見上げる。そこには大きなシャンデリアが煌めいていた。
(……落ち着かない……)
伯爵邸の私室とは比べ物にならないほど立派な部屋だ。部屋を見回してみても豪奢な調度品がずらりと並んでいる。
部屋に限らず、綺麗なドレスに高価な装飾品、豪勢な食事に親切な使用人。驚くほどの高待遇だ。
エルシャは左手を空に掲げてその薬指に目を留めた。
(でも、それってきっと私がオズヴァルドの『伴侶』だからなのよね……)
正直、初対面の相手に運命の相手だなどと言われてもぴんとこない。むしろ、何かの詐欺だといわれた方が納得がいくくらいだ。
エルシャはそっと手を下ろして溜め息を吐いた。
(……あの森で過ごした時間が懐かしいわ)
あの家でシアンと二人でいたときはもっとのびのびと過ごすことができた。別れてから一日と経っていないのに、既に遠い過去のことのようだ。
(シアン、今頃何してるのかしら……)
あんな別れ方をしたせいで心配をかけてしまったかもしれない。挨拶すらできなかったことが気がかりだった。
そんなことを考えていると落ち着かなくなって、エルシャはベッドから起き上がりバルコニーに出た。
バルコニーからは広大な庭園を見渡すことができた。緻密に計算され植えられた花々が美しく咲き誇っている。だが、今はシアンと見た花畑が恋しくなるばかりだった。
「はぁ……。私、これからどうなるの……」
美しい庭園の風景すら今のエルシャにとっては慰めにならず、エルシャはそっとバルコニーを離れた。
そのとき薔薇の生垣がカサリと揺れ、青くふわふわとした耳が飛び出す。
自分の後ろ姿を眺める小さな影があることには、そのときのエルシャは気付かなかった。
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