第39話 暴走

「……? 騒がしいわね」


エルシャは周囲を見回した。何だか異様な空気だ。

誰もがどこか一点を見つめている。その視線を辿り――エルシャは階上に一人の男の姿があることに気が付いた。


(あれは……?)


年齢は四十から五十代だろうか。美貌の男がこちらを見下ろしていた。黒髪の下に覗く瞳は神秘的な紫色だ。

その場にいるだけで自然と背筋が伸びるような、威厳のある男だった。


その姿を見ているとエルシャはすぐにぴんときた。

……似ている。


「ねえレーナ。まさか、あの人って」

「ええ。オズヴァルド殿下の父君であらせられます、国王陛下です……」


レーナの声には驚きが隠しきれていない。

エルシャは会場に立つオズヴァルドの様子を確認した。オズヴァルドは周囲の人と同じように階上を振り仰いでいる。

その顔までは見えなかったが、時が止まったかのようにオズヴァルドはその場から一歩も動かなかった。





「父上。どうして……」


同じ紫の瞳。二人の視線が静かに交錯する。

しかし、オズヴァルドはすぐに違和感を覚えた。


(なんだか様子が変だ)


国王の瞳には生気がない。その上、確かにこちらを見ているはずなのに、どうにも目が合わないような気がする。

文字通りこちらを『見ている』だけ。まるで、そこには魂のない人形が立っているかのような――


そのときオズヴァルドの指先から力が抜け、落下したグラスが派手な音を立てて砕け散る。

喉元に熱いものが込み上げるような感覚がして、オズヴァルドは口元を押さえた。


「かはっ……」


二、三度咳き込み、そっと手を離す。手のひらには鮮血が付着していた。


「これは……」


身体の力が抜け、オズヴァルドはその場に蹲る。それと同時に全身が急速に冷えていくのを感じた。


(この感じ――まずい)


体の中で膨大な魔力が蠢き始める。

心臓が苦しい。白い肌は一層青ざめ、どっと嫌な汗が出た。


「殿下!? お加減でも……」


近くにいた紳士が階段に近付いてくる。 それが視界に入り、オズヴァルドは低い声で制止した。


「……来るな」

「えっ?」


オズヴァルドの言葉に従うまでもなく、紳士はそれ以上進むことができなかった。

怪訝に思った紳士は視線を下ろし――ぎょっとする。革靴が凍り始め、両足が床に縫い止められていたのだ。


「な、なんだこれ……!」


瞬く間にホールに冷気が充満していく。

オズヴァルドを中心として、ありとあらゆるものが氷で覆われていく。


「これは……オズヴァルド殿下の魔法……!?」


凝固の勢いは止まらず、あちこちに美しい氷の結晶が出来上がっていく。

床やテーブル、壁や窓。視界に映る全てが氷で覆われ、ぞっとするほど幻想的な光景を生み出していった。


「はぁ……はぁ……」


オズヴァルドの肌の一部を黒い鱗が覆っていく。瞳は蛇のような縦長の瞳孔に変貌し、頭上にはツノが現れる。


その光景を目撃したエルシャははっと息を呑んだ。

あれは、かつてオズヴァルドの私室で見た姿と同じだ。きっと魔力暴走を起こしているのだ。


(よりによってこんな大勢の前で!)


オズヴァルドは血を吐きながら苦痛に耐えているようだった。その顔は蒼白であの夜以上に具合が悪そうだ。


オズヴァルドは必死に魔力を押し留めていたが、それももう限界だった。

冷気が濃くなり、会場のあちこちで何もない空中に氷片が形成されていく。その氷片はオズヴァルドの意識を離れて周囲に襲いかかった。


「ひいっ、痛い……!」


氷片が近くにいた使用人の腕を切り裂く。

その光景を目の当たりにした人から悲鳴が上がり、会場はパニック状態に陥った。


「た、大変……。オズヴァルド……!」

「エルシャ様、下がってください!」


宙を漂う氷片のいくつかが、矢のようにエルシャ目掛けて飛んでくる。

レーナはエルシャを庇うように前に出ると、半透明な壁を形成してそれを防いだ。


「私の魔法は防御系なんです。私の後ろから動かないでください!」

「ねえ、これを止められる人はいないの!? 誰か……そうだ、騎士団の人達は?」

「そういえば会場に騎士の姿が一人も見当たりませんわ。普通ならすぐに駆け付けるはずですのに。……変ですわ」


魔法が使える者は魔法で抵抗しているようだが、氷の勢いが強すぎて防ぎきれていない。もろに氷を食らった者は身体の一部が凍り付き、その場から動けなくなっている。

完全に地獄絵図だった。


そのうちに氷片の一つが一直線に上空へと飛んでいく。

それはあろうことか階上に立つ男――国王の胸元にぶつかった。国王の身体はぐらりと傾き、その場に倒れた。


「陛下!!」


その光景を目撃した侍従長が慌てて側に駆け寄る。国王が気を失っているのを確認すると、顔面蒼白になった。


「何てことだ……! まさか、王太子殿下が国王陛下を攻撃するなんて……」


もはや事態は収集がつかなくなっている。

侍従長は国王の身体を守るように支えながら会場の様子を窺った。


「いくら優れた魔法の使い手が集まろうとも王太子殿下に敵うわけがない……。本調子の陛下ならいさ知らず、あの魔力に対抗できる者などいるはずがない……!」


国王の七人の息子達は皆優れた魔法の使い手だったが、その中で幼いながらに頭角を現したのがオズヴァルドだった。今となっては彼の魔力に対抗出来る者などこの国のどこにもいないだろう。


「くっ、どうすれば……。誰か……!」


侍従長は祈るような気持ちで呟く。

誰でもいい。

この惨劇を止めてくれ……!


そのとき、眩い光が会場を包み込む。

雷光が閃き、視界を白く染め上げる。


――それは、神罰のようだった。


凄まじい雷撃に身体を貫かれ、オズヴァルドの身体は階段から転げ落ちる。そして床の上にうつ伏せに倒れた。

それと同時に辺りを漂う氷片は打ち砕かれ、会場を覆っていた冷気は霧が晴れるように消え去った。


祈りが届いたのだ。侍従長はそう思った。


それきりオズヴァルドはぐったりと動かなくなり、次第に身体を覆う鱗やツノも消えて元の姿に戻っていく。

やがて、会場に残っていた氷も光の粒子となり完全に消失した。


「止んだ……みたいですわね」


必死に攻撃を押し留めていたレーナはふぅと息を吐く。


「エルシャ様、ご無事ですか」

「私は平気よ。だけどオズヴァルドが!」


エルシャは今すぐオズヴァルドの元に駆け寄って彼の無事を確かめたかったが、寒さと緊張で身体が強張り、その場から一歩も動くことができなかった。


「それにしても今の攻撃は一体誰が……」


そのときホール後方から一人の男が姿を現し、確かな足取りで会場を真っ直ぐに進んでいく。

それと同時にざわめきが波紋のように広がっていった。


「えっ? 嘘……」

「あの方って、まさか……!?」


呆然と佇むエルシャの前をその男は通り過ぎていく。

漆黒の髪に――赤い瞳。

その端正な横顔にエルシャは目を奪われた。


(この人、さっき廊下で会った人だわ。私と同じ赤い目……。見間違いじゃなかったのね)


やがてその人物は蹲る男の前でぴたりと足を止める。

オズヴァルドはうっすらと目を開き、顔を上げる。すると、こちらを見下ろす赤い瞳と目が合った。


「久しぶりだな。オズヴァルド」

「……兄上……?」

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