第38話 異変
「エルシャ様。今、殿下がいらしてましたよね。何かありましたの?」
「ううん、平気よ」
戻ってきたレーナからグラスを受け取り、冷えたジュースで喉を潤してほっと息を吐く。
見知らぬ紳士と会話をするオズヴァルドの姿をぼうっと眺めていたとき、ふと気になってレーナの方を振り返った。
「そういえば今日は、オズヴァルドはラフルさんと一緒じゃないみたいね」
「ええ、珍しいですわね。いつも殿下のお側に控えてらっしゃるのに」
「ラフルさんにレーナの綺麗な姿を見てもらえなくて残念ね」
「まあっ!? そんなつもりは……!」
レーナは顔を赤らめる。随分と可愛らしい反応だ。
今日のレーナは淡い桃色のドレスを身に纏い、ハーフアップにした菫色の髪を大きなリボンで留めていた。
普段の侍女服姿の方が見慣れているが、こうして見ると可憐な貴族令嬢だ。
「本当に可愛いわ。今のレーナを見たらきっとラフルさんもドキッとしちゃうはずよ」
「エルシャ様ったら……!」
レーナはますます赤くなっていく。
エルシャはそんな様子を生暖かい目で見守った。
(まあ、揶揄うのは程々にしておきましょう)
「そういえば、今日も国王陛下はいらっしゃらないの? 病に伏しているとは聞いたけれど……」
「ええ。陛下は十九年もの間眠ってらっしゃるのです」
「……どうして?」
「理由ははっきりとしておりません。ただ、陛下は自らの魔法でお眠りになっているそうですわ」
「不思議なこともあるものね」
「ええ、本当に。陛下の御心を推し量ることなどできかねますが、きっと何か深い事情があるのでしょう」
そんなことを話しているうちに、使用人達が招待客一人一人に赤いワインの入ったグラスを配り始める。
ホール前方には二階へと続く大きな階段があり、その階段の中腹――踊り場にはオズヴァルドの姿があった。
ワインが全体に行き渡るのを確認すると、オズヴァルドは何やら口上を述べ始めた。
「そろそろ建国祭の始まりのようですわね」
レーナの言葉通り、それは建国祭の開始に先立つ挨拶のようだった。
高みから言葉を述べるオズヴァルドには次期君主たる品格が漂っている。その堂々たる姿はこの国の明るい未来を予感させた。
一通り話し終えると、オズヴァルドはワインを高く掲げた。
「ルスローレル王国の更なる繁栄を祈って!」
「乾杯!!」
会場に大勢の声が響く。オズヴァルドはワインを一気にあおった。
エルシャもレーナと視線を交わすと、ワインに口を付けた。
「このワイン、香りがいいわね」
「ええ。この日の為に用意した最高級品だそうですから」
宴の始まりに、会場には和やかな空気が漂っていた。
オズヴァルドは会場を見渡し、お喋りに興じる伴侶の姿を見つける。しばらくその姿を見つめていると、視線に気付いた娘は顔を上げる。
ばちりと目が合い、娘は驚いたように動きを止め――はにかむような笑顔を浮かべた。
「……まったく、愛らしくて困るな」
オズヴァルドは自分でも気付かぬうちに微笑みを浮かべていた。
あの美しい娘を自分の伴侶だと紹介し、不埒な視線を向ける周囲の男どもを牽制したいのはやまやまだった。そう出来ない現状に歯がゆさを覚えるのも事実だ。
しかし、周囲に気付かれぬように交わすこんなやり取りも悪くない。オズヴァルドもまた、夜会の空気に酔い始めていた。
しかし、そのとき会場全体にどよめきが広がっていった。
「なあ、あれを見てみろ!」
「嘘だろ?」
「えっ? あそこにいるのって……」
(何故、私を見る?)
人々はこちらを驚いたように見上げている。オズヴァルドは訳がわからず怪訝な顔をした。
しかし、オズヴァルドはすぐに己の勘違いに気付いた。彼らの視線は自分ではなく、その背後に向けられている。
オズヴァルドはそっと背後を振り返り――戦慄した。
「……え」
二階には誰かの姿があった。その人物は階段の中腹にいるオズヴァルドをじっと見下ろしていた。
その顔。
その視線。
その佇まい。
それが『誰』であるかを悟った瞬間、オズヴァルドは震える唇を開き、その名を呟いた。
「父上……?」
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