第36話 建国祭当日
「す、すごいわね……」
姿見の前に立つエルシャは緊張の面持ちで全身を眺めた。
結われた髪にはパールが編み込まれ、イヤリングとネックレスも眩いばかりに輝いている。宝石の散りばめられた深い青のドレスはまるで星空のようだった。
「今日は一段と気合が入った衣装ね……」
「当然ですよ! 今日は建国祭なんですから」
そう言ってルネは拳を握り締める。エルシャは苦笑いを浮かべた。
建国祭の今日、王宮では夜会が開かれ、国中の有力貴族達が一堂に会するそうだ。
豪華な食事に優雅な演奏。招待客達は競うように着飾り、それはもう華やかな宴になるのだという。
(まさか私がその建国祭に招待されるだなんて……)
エルシャはアクセサリーを片付けているレーナの方を振り向いた。
「夜会なんて初めてだけど大丈夫かしら」
「心配いりません。エルシャ様の美貌なら建国祭の主役になれますわ!」
「そ、そうじゃなくて、夜会のマナーとか全然わからなくて不安で……」
「そういうことでしたら心配には及びませんわ。今日はわたくしが付いていますからね」
そう言ってレーナはウインクをする。
その言葉でエルシャは我に返った。
(……そういえば、レーナも建国祭に招待されてるんだっけ)
最近知ったのだが、レーナはとある子爵家の出自らしい。レーナ曰く「歴史が古いだけの弱小貴族」なのだそうだが、れっきとした貴族令嬢であることには変わりない。
そのため、同じ招待客としてエルシャに同行してくれることになったのだ。
「私も一緒に行きたかったですー! さぞかし美味しい料理が並ぶんでしょうねえ。いいなあ……」
そう言ってルネはしょげている。
ちなみにルネは名の知れた商家の娘だそうだ。貴族でこそないが、ドレスや宝石についての知識が豊富なのはそういったところから来ているようだ。
(二人ともいいところのお嬢さんだったのね。知らなかったわ……)
「エルシャ様の前でみっともないですわよ。ルネ」
「でも、私だけ仲間はずれだなんて寂しいんです〜!」
「そんなこと言っても仕方ないでしょう」
「でも〜」
「でもじゃありませんわ!」
こうして見ると姉妹喧嘩のようだ。ごねる妹を窘める姉の構図に見えて、エルシャはくすりと笑った。
「……楽しそうだな」
聞こえた声に、ルネとレーナは慌てて姿勢を正し、お辞儀をする。エルシャは背後を振り返った。
「お、オズヴァルド……」
「今日は一段と綺麗だな。エルシャ」
オズヴァルドはエルシャの手を取り、口付けを落とす。エルシャは頬を紅潮させた。
「……ありがとうございます」
辛うじてそう答え、俯いた。
(やっぱり顔を見れない……)
デートに行ったあの日から――正確には唇を重ねたあのときから、エルシャはオズヴァルドを直視できずにいた。普段通り接したいのに、妙にぎこちない態度を取ってしまう。
「……エルシャ?」
自分の名を呼ぶ声にはっと意識が呼び戻される。そのとき初めてオズヴァルドの服装に目が留まった。
改めて見ると、オズヴァルドは普段よりも華やかな衣装を身に纏っていた。あちこちに細やかな金糸の刺繍が施され、装飾も多い。
彼の輝くような美貌が一層際立っていて、つい見とれてしまう。
「そんなに見つめてどうした?」
「えっと。その衣装、すごくなんだか……すごいですね」
見とれていたことに気付かれたのが恥ずかしくて、うっかり変なことを口走ってしまう。
オズヴァルドは首を傾げた。
「それは褒め言葉か?」
「ですから、その……ええと……」
このところ素っ気なくしてしまっていることへの罪悪感もあった。嫌っているわけではないのだと伝えたくて、思い切って正直な言葉を口に出してみた。
「その衣装、よく似合ってます。…………す、素敵です」
オズヴァルドは面食らったようだった。
二人の間に妙な沈黙が落ちる。
エルシャの言葉を反芻するような間の後、オズヴァルドはにこりと微笑んだ。
「それは光栄だ」
その笑顔がまた一段と綺麗で、エルシャはまた赤くなったのだった。
「……そうだ。本当はこの建国祭でエルシャを私の伴侶だと紹介したかったのだが……」
「! それは……」
少女の顔に不安が滲んでいくのを見て、オズヴァルドは少し寂しそうに笑う。
「わかっている。公の場ではまだ伴侶だということは伏せておく」
「本当……ですか?」
「私の伴侶は恥ずかしがり屋みたいだからな。今日はあくまで一招待客、リンステッド侯爵家の令嬢として過ごすといい」
「……ありがとう、ございます」
オズヴァルドの気遣いはエルシャにとって、有難くも申し訳なくもあった。
彼はきっと『伴侶』として隣に立つことを強く望んでいるはずだ。
オズヴァルドは同じ想いを返せなくてもいいと言ってくれた。だが、いつかは結論を出さなければならない時が来る。
……そして、未だに答えを出せない理由をエルシャは既に知っていた。
エルシャの心の奥底には、青空のような青年の最後の姿がまだ残っていたのだ。
「どうしてそんなに暗い顔をする?」
「……私、オズヴァルドに迷惑をかけてますよね」
「迷惑? 妙なことを言うんだな。君が側に居てくれるだけで私はこれほど満たされているというのに。むしろ私は君に救われているんだ」
「……オズヴァルドは優しいんですね」
「ハワードに相手を思いやれと言われたからな」
「え?」
「いや、何でもない」
オズヴァルドはエルシャの頭に手を乗せると優しく撫でた。スタイリングが崩れぬように控えめな手つきで。
「私はもう少し準備がある。後で会場で会おう。エルシャ」
そう言い残し、オズヴァルドは歩き出す。
(オズヴァルド……)
遠ざかる背を見つめるエルシャの胸はきゅっと締め付けられた。
(必ず答えを出すから、もう少しだけ待っていて……)
オズヴァルドが去るとルネとレーナはふうと息を吐く。騒いでいたことを咎められないかと内心気が気ではなかったのだ。
レーナはちらりと置時計を確認した。
「早めに準備が終わりましたわね。夜会が始まるまでにはまだまだ時間がありますわ」
「レーナもそろそろ着替えないといけないでしょう。私はいいから早く行ってきて」
「では、そうさせていただきますわね」
レーナは自身のドレスアップのためにその場を離れ、ルネは夜会の準備へと向かった。
手持ち無沙汰になったエルシャは、会場の様子を見て回ることにした。
王宮のあちこちでは忙しなく動き回る使用人達の姿が見られた。それぞれ荷物を運び出したり、会場の装飾を施したりと大忙しだ。
(話には聞いていたけど、建国祭って本当に大きなイベントなのね……)
会場のあちこちには瑞々しい生花が飾られていた。
それに気を取られながら歩いていると、近くに立っていた誰かにぶつかってしまう。
エルシャは慌てて頭を下げた。
「すみません。前を見ていなくて……」
「いえ。こちらこそ失礼いたしました」
相手の男は頭を下げるとにこりと微笑む。そして一本のワインボトルを大切そうに抱え、その場を去っていった。
その姿を何の気なしに眺めていたエルシャは我に返る。
(――赤い瞳?)
一瞬しか見えなかったが、今の男はエルシャと同じ赤い瞳をしていたようだった。そう思い振り返っても、そこにはもう男の姿はなかった。
「……見間違い、かしら」
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