第35話 予兆
静かになった部屋に、オズヴァルドの不機嫌な呟きが落ちる。
「……薄情なやつめ」
オズヴァルドは長い睫毛を伏せ、半年前の出来事を思い返す。
ハワードが野暮用で馬車で外出していたときのことだ。どういうわけか馬が突然暴れ出し、彼を乗せた馬車が横転したのだ。
結果としてハワードは重症を負った。一命は取り留めたものの身体を動かすことすらままならず、今後どうなるかはリハビリ次第だと医師に告げられた。
そんな男が己の足で歩いてこの場所に帰ってきたのだ。当然、復職の申し出だと思うだろう。
「本当におしゃべりだけして帰るとは……」
オズヴァルドは完全に不貞腐れていた。
足を組みかえ、誰もいなくなった向かいの座席を軽く睨んだ。
そのうちにハワードの言葉を思い出す。
ハワードが自分の有難い申し出を断る理由は家族だという。実際、ハワードが半年であそこまで回復できたのは家族の支えあってのことなのだろう。
「家族……か」
ふと、しばらく顔を見ていない父親のことが頭をよぎる。
最後に会ったのはいつだっただろうか。王太子になったばかりの頃は頻繁に足を運んでいたが、自然と足が遠のいていったのだ。
「……久々に顔でも見るとするか」
***
広い部屋の中には天蓋付きのベッドが一つ。
オズヴァルドが部屋に入ると、侍女達は速やかに退出していった。
天蓋を開き、大きなベッドの傍に立つ。そこには黒髪の男が横たわっていた。
「父上。――私です」
返事はない。
オズヴァルドは椅子に腰掛け、その顔を眺めた。
蒼白い肌に彫りが深く整った顔立ち。七人の息子達の中でもオズヴァルドが一番父親に似ているとよく言われたものだ。幼い頃はそれほどぴんとこなかったが、成長するにつれ、鏡の中の己の姿に父の面影を感じるようになった。
「お変わりはありませんか。……まあ、あればとっくに報告が来ているはずでしょうけど……。……えっと、」
久々に会ったせいか何を言うべきかわからなくて、オズヴァルドは頭を掻いた。向こうはどうせ聞いていないのだからそれほど気にする必要もないのに、どうも気まずく感じてしまう。
オズヴァルドは小さく息を吐いて、固く閉じられた瞼を見つめた。
(相変わらず、死体のように昏々と眠り続けているのだな……)
便宜上、国王の状態を「病気だ」と説明することも多いが、正確には病気ではない。
彼は眠り続けているのだ。
十九年()もの間、自分の意思で。
「……今年もまた、国王不在の建国祭が開かれるんですね」
十九年前の建国祭の日、国王は突然意識を失った。
身体に異常は見られないにも関わらず、いつまで経っても眠りから覚めなかった。
そして、国王自らの己の心臓に魔法をかけた、というのが魔法医の見解だった。
この件に関しては様々な憶測が飛び交ったが、国王が目覚めたときに聞けばわかることだと結論付けられた。
しかしいつまで経っても国王が目覚める兆しは見えず、半年、一年と経つうちに王宮内の空気も変わってきた。
国王が政治を行えない中、王太子の座が空席なのは問題だ。国のためにも早く王太子を決めるべきだ。そんな大義名分の元、王子達は王太子の地位を巡って競いあった。
そうして暗黒の時代が幕を上げたのだった。
「貴方がそんな状態にならなければあの恐ろしい時代は来なかった。くじ引きでも何でもいいのでさっさと誰か王太子を指名してから眠りにつけばよかったのに。こっちとしてはいい迷惑ですよ」
つい恨みがましいことを口にしてしまう。
だが、言っても仕方のないことだ。
「……ですが、苦労をしたおかげで得たものもあります。多くの人に巡り会えましたし、王太子としての務めを果たす中で、国を治めるというのがどういうことかを知りました。貴方がこれまで一人でしてきたことの偉大さを……」
そこで言葉を区切り、オズヴァルドは少しだけ表情を和らげる。
「……ですので、もう楽になってもいいんですよ。心配せずとも、私が立派に王位を継いで見せますので」
当然返事はない。
だが、オズヴァルドは少しだけすっきりした気持ちになっていた。
この言葉を伝えるのに随分と時間がかかってしまった。しかし、ようやく決意と覚悟が固まった。
今のオズヴァルドには大切な人達がいるのだから。
「それでは、愛しの伴侶が待っているのでそろそろ失礼します」
その言葉を残して足音は遠ざかっていく。
ベッドには変わらず眠り続ける男が一人。
扉がパタリと閉じたとき、青白い指先が微かに揺れた。
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