第34話 来訪者2

「失礼いたします」


そこに立っていたのは二十歳前後と思しき男だった。男はハワードの姿に気付くと少し驚いたような顔をした。


「お取り込み中でしたらまた出直します」

「いや、このままで構わない。報告を聞かせてくれ。レスター」

「……わかりました」


レスターと呼ばれた男は手に持っていた資料に目を通しながら、報告を始めた。


「メルベルクで起きた連続魔力暴走事件に関して、報告があります」

「ああ。以前ラフルを向かわせた件か」


ルスローレル王国第二の都市・メルベルクでは獣人達が相次いで魔力暴走を起こすという事件が起きていた。急を要する案件とみなし、現地の調査にはラフルと数名の騎士を向かわせたのだった。


しかしラフルは偶然そこでリンステッド家の象徴である赤い瞳の娘――エルシャを発見した。


以前から「エルマンの伴侶とその娘を探すことは他のいかなる命令よりも最優先だ」と言い含めていたため、ラフルはエルシャを連れて王都へと帰還した。

そのため、元々ラフルが行うはずだった調査は他の者に引き継がれていたはずだ。


「調査の結果、魔力暴走を起こした者達には共通点が見つかったそうです。」

「共通点?」

「ええ。彼らは魔力暴走を起こす直前に隣国から来た人間と接触していたようです」


その言葉にオズヴァルドはぴくりと反応を示す。


「隣国というとユホエラ王国か? 獣人ですら越えるのが困難な山をただの人間がどうやって越えるんだ」


ふと、オズヴァルドの脳裏に頭頂部のスッキリした男の滑稽な姿が思い浮かぶ。


(そういえば、エルシャの結婚相手とかいう男もユホエラから来た人間だったな。あんな貧弱な男が山を越えられるとは思わないが……)


「聞いたところによると、どうやら出入国の手助けを生業とする獣人がいるようです」

「それならば合点がいくな。だが、人間との接触と魔力暴走に何の関係が?」

「酒場でその人間と飲み交わしたことのある者ばかりが魔力暴走を起こしていたのです。不審に思った酒場の主人が問い詰めたところ、その男は逃げ出し――翌日、死体で発見されました」

「死んだのか……」

「はい。そしてその死体を調べると獣人ではないことが判明し、周囲はパニックになりました。『人間が山の向こうから持ってきた呪いのせいで、獣人達は魔力暴走を起こしている』とまことしやかに噂されているそうです」

「ハッ。呪いか。馬鹿馬鹿しい」


オズヴァルドは一笑に付す。しかし、その表情は次第に険しくなっていく。


(くだらない噂とはいえ、この話が広まると厄介だな)


山の向こうからやってきた人間であることはエルシャも同じだ。あまり事を大きくすると、疑念の矛先がエルシャにも向いてしまうかもしれない。それだけは避けたい。


「一通り調査を終えた上で、明確なことは何もないんだな」

「現状ではその通りです」

「最近でも魔力暴走の事件は起きているのか?」

「いいえ。近頃ではそういった報告は一切ありません」

「そうか……では、調査は中断しろ」

「そのようにいたします」


他にもいくつか報告を済ませると、男は丁重に頭を下げて部屋を後にした。


部屋には沈黙が流れる。

再び二人になり、それまでのやり取りを黙って眺めていたハワードは口を開いた。


「彼が私の後任の補佐官のレスター・ビーミッシュ君ですか。まだお若いのに落ち着きがあってしっかりした子ですね。殿下から見ていかがですか」

「働きぶりは悪くない」

「殿下がそうおっしゃるのなら有能なのでしょうね。先の後継者争いに巻き込まれて亡くなった、国王陛下の忠臣――ビーミッシュ侯爵の末息子なんですっけ。ビーミッシュ侯爵は公明正大な方でしたから、彼もこの国を支える忠臣となって欲しいですね」

「ああ。そうだな」


そこで一度会話は途切れる。

ハワードは見るともなしに執務室を眺めた。この場所を離れてまだ半年しか経っていないのに、不思議と懐かしさを覚えた。


瞬きをする間にも世界は変わり続け、時代は移ろっていく。そして新しい時代の中心に立つのはオズヴァルドだ。彼は良き王となり、この国を守っていくはずだ。

だが、こんな足では彼に着いていくこともままならない。きっと、いずれ自分も『過去』になっていくのだろう。


「……なあ、ハワード」


思案に耽っていたハワードは弾かれたように顔を向ける。

いつからそうしていたのか、神秘的な紫の瞳がじっとこちらを見据えていた。


「どうしました、殿下」

「なあ。俺の元に戻る気はないか?」

「――――」


ハワードは目を見開く。

それは、彼に仕える者として、この上なくありがたい言葉だった。

だが、今の自分では足手まといになるだけだ。ハワードはそれをよく自覚していた。


「ご冗談を。歩くのも一苦労ですし、手が震えてまともに文字も書けないんです。そんな補佐官がどこにいますか」

「だが、頭は無事だろう」

「怪我人をまだ働かせるつもりですか?」

「私は使えるものは何でも使う主義なんだ」

「殿下がそんなリサイクル好きな方だったなんて知りませんでした」


まともに取り合わないのが気に障ったのか、オズヴァルドは眉根を寄せる。

少し軽口を叩きすぎたかもしれない。ハワードは咄嗟にそれらしい理由を口にした。


「殿下。私はこれまで私生活を蔑ろにしてきたので、しばらく家族と過ごしたいんです。妻には苦労をかけてきましたし、娘は今が可愛い盛りなんです。伴侶に出会った殿下にならわかるでしょう? 大切な人の存在の重さが」

「それは……確かにそうだが……」

「それに、今は有能な補佐官もいるじゃないですか。周囲を信じて、次の世代を育てるのも大切なことですよ」

「……そうか」


オズヴァルドははぁ、と息を吐く。

どこか不満げな様子だったが、一応は納得してくれたようだ。


「だが、気が変わったらいつでも戻ってこい」

「殿下のお心遣いに感謝します」

「言っておくが社交辞令ではないぞ」

「ええ。わかっています」


ハワードは苦笑いを浮かべた。


(まさか、ここまで殿下に引き留められるとは……)


ふと、どこかで聞いた『ドラゴンは執着心が強い』という言葉が頭をよぎる。

確かにこの人は何事にも興味が薄い代わりに、一度興味を持ったものは良くも悪くも手放したがらない傾向にある。


(自分ですらこんな感じなのに、殿下の伴侶となると相当執着されてるんだろうなぁ……)


想像しただけで大変そうだ。

顔も知らぬ伴侶に哀れみと同情の念を抱くハワードであった。


「ところで、もうすぐ建国祭ですよね。国王陛下は――」

「相変わらずだ」

「……そう、ですか。では今年も例年通り、陛下はいらっしゃらないのですね」

「だろうな」


そのとき遠くで鐘の音が鳴る。少し顔を出すだけのつもりが長居をしてしまったようだ。

ハワードは杖を掴むと席を立った。


「もう帰るのか?」

「ええ。殿下もお忙しいでしょうし、この辺りで失礼します」

「……そうか」

「それでは。殿下、お元気で」


そうしてハワードは執務室を去っていった。

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