第24話 後遺症

ばちりと目が合うと、オズヴァルドは「来ないでくれ」と繰り返した。

そのとき、オズヴァルドの足元からパキパキと音を立てながら氷の結晶が形成されていく。それは氷でできた花のようだった。


(まさかこの氷……オズヴァルドが?)


以前氷を放つ姿も見たことがあるし、きっと彼の魔法に違いない。だが、それにしては彼の様子が変だ。

苦しげな表情を浮かべ、冷や汗を流している。息も荒く、普段以上に顔色が悪い。

エルシャの目には何かを必死に耐えているように見えた。


「具合が悪いんですか?」


彼は苦しんでいる。

そのことに気付くと、先程まで感じていた恐怖心を心配が勝った。

エルシャはソファーへと近寄ったが、オズヴァルドは慌てて顔を覆った。


「見ないでくれ。こんな中途半端な……醜い姿を見せたくない」

「何言ってるんですか、こんなときに」

「君を怖がらせたくはないんだ……」


その声が震えていることに気付いてエルシャは戸惑う。


(あんなに苦しそうなのに、私がどう思うかを気にしているの……?)


……どうして?


彼の冷酷で残虐な一面を忘れるはずがない。獣人と人間という種族の違い以前に、根本的な部分からエルシャとは違っているのだ。

そのはずなのに、彼が感じている恐怖心――怖がらせたくないという言葉は本心のようだった。


(どっちのオズヴァルドが本当なの?)


わからない。

だけど、今はそんなことよりも彼の心配が先だ。


「誰か医者を呼んできます」


エルシャは踵を返す。しかしその腕をオズヴァルドが掴む。


「――ダメだ」

「『ダメ』?」

「医者は呼ぶな。誰にも知られてはいけない」

「え? どうして……」

「頼む」


切実な声に、エルシャは足を止めた。


「じゃあ、どうしたら……。何か私にできることはありますか」

「手を……握ってはくれないか」

「手、ですか?」


エルシャはオズヴァルドの隣に腰かけると、そっと手を握った。冷たい指先はまるで氷のように冷え切っていた。


オズヴァルドは見えない何かと戦うように、眉根を寄せて固く目を瞑り、ぐっと何かを堪えていた。

その間何かを喋ることもなく、薄い唇からは苦しげな呼吸音だけが漏れていた。


繋いだ手が時折震える度、エルシャはその手を強く握り返した。


そうして夜は更けていった。




……どれくらいの時間が経っただろうか。


するり、と繋いだ指先が静かに離れる。

それと同時に部屋を覆っていた氷は嘘のように消え失せ、オズヴァルドの肌を覆う鱗やツノも消えていく。

瞼を開くと、蛇のようだった瞳孔は元通りになっていた。


「身体が……」

「戻ったようだな」

「体調は?」

「まだ本調子ではないが……君のおかげで随分楽になった」

「そうですか。よかった……」


オズヴァルドの横顔には疲れが滲んでいる。


「あの……何があったんですか? ご病気……ですか?」

「まあ、確かに病気のようなものだ。魔力の暴走が起きたんだ」

「魔力の暴走……?」


エルシャのきょとんとした顔を見て、オズヴァルドは静かに口を開いた。


「本来、自分の魔法で怪我をすることはないんだ。火を放とうと魔法を使った当人が火傷をすることはないし、雷を放とうと感電することはない。……普通はな」


オズヴァルドは己の冷たい指先に視線を落とした。


「だが、魔力が暴走すると周囲だけでなく己をも傷付けるんだ。そのせいか中途半端に本来の姿に戻ってしまう。だから魔力が暴走したときにはこうやって部屋に籠るようにしているんだ」

「よくある……ことなんですか?」

「たまにな。だが、一晩耐えればなんとかなる。大したことはない」


そう言うオズヴァルドの表情はまだ苦しげで、冷や汗をかいている。


(これが大したことないわけないじゃない)


エルシャは唇を噛んだ。


「いつから、こんなことが……」

「はっきりとは覚えていないが、幼い頃からだな。……先の王太子の座を巡る争いは本当に醜いものだった。兄弟同士が虎視眈々と互いの首を狙っていたんだ。毒を仕込まれるから安心して食事もできない。四六時中剣を手放せない。夜も、三十分以上続けて眠れたためしがなかった。いつ殺されるかわからないからな」


オズヴァルドは淡々と語る。まるで他人事のように。


「そんな努力も虚しく、私は兄の罠にかかり――ある薬を飲まされた。それは体内の魔力を意図的に衝突させ、魔力暴走を起こす薬だった。それで殺すつもりだったのだろう。……だが、私は生き残った。しかし、そのときの後遺症は未だに残っているというわけだ」

「治す方法は……ないのですか」

「秘密裏に探ったが、この国の技術ではどうしようもなかった。……それ以上に、人に知られるわけにはいかなかったんだ。こんな欠陥があれば王太子に相応しくないと判断されてもおかしくなかったからな」


だから先程、医者を呼ぶなと言ったのだ。


「そんな……。じゃあ、今までずっと、今日みたいに一人で耐えてきたんですか」


じわりと目の端に涙が滲む。その様子をオズヴァルドは不思議そうに眺めていた。


「君は私のことを心配してくれるんだな」

「当然ですよ。あんな真っ青な顔をして、放っておいたら死んでしまいそうで……。心配するに決まってるでしょう」

「平気で人を殺せる男でも?」


その一言でエルシャは言葉を詰まらせる。


「だから私のことが嫌いになったんだろう」

「そ、れは……」

「君に嫌いだと言われると心臓が張り裂けそうなんだ。今日一日君に会えないだけでおかしくなりそうだった」


オズヴァルドは項垂れ、とん、と頭をエルシャの肩に預ける。

そして切ない声で囁いた。


「教えてくれ、エルシャ。どうしたら君に嫌われずにすむ?」

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