第21話 かりそめの約束

エルシャの顔に怯えの色が広がっていくのを見て、シアンは慌てて話題を変えた。


「そんなことより! エルシャも魔法が使えたんですか? あの雷、凄かったです!」

「魔法? ……私が?」

「気付いてなかったんですか? 凄い一撃に殿下もビビってましたよ。エルシャ、かっこよかったです!」


(私が魔法を使っただなんて……)


エルシャは驚いて己の手のひらを見つめた。

これも、獣人の父の血によるものだろうか。


「あっ。そういえばあのときも……。エルシャ、教会でのこと覚えてます?」

「忘れるわけがないわ」

「落雷が起きて火事になったでしょう? そのときの空がちょっと異常で、魔力が漂ってたんですよね。あれもエルシャの仕業だったんですね」

「そうだったの?」


嫌だと強く感じた瞬間に空が光り、落雷が起きたのだ。あれは単なる偶然ではなかったのか。

シアンはにこりと微笑む。


「エルシャは自分の力で道を切り開いたんですよ。貴女には自分で未来を選び取るだけの力があるんです。もっと自信持ってもいいと思いますよ」


自分の意志を持つのが苦手だと感じていることをシアンには見透かされていたようだ。

シアンの言葉をありがたく思いながらも、エルシャは首を振った。


「ううん、シアンがいなきゃ火事でとっくに死んでたはずだわ。だからシアンのおかげよ」

「それを言うなら、俺だって逃げ込んだときにエルシャが手当てしてくれなきゃ死んでたかもしれません」

「それを言うなら……」


言い続けるとキリがない。二人は妙にムキになっていたが、奇妙なやり取りをしていることに気付いてぷっと笑った。


「じゃあ、お互いのおかげってことにしときましょうか」

「そうね」


そこで一度会話は途切れる。

窓の外には青空が広がり、ゆっくりと雲が流れていく。窓から差し込む陽の光、揺れるカーテン。聞こえるのは秒針の音だけ。

先程まで命の危機に直面していたとは思えないくらいに穏やかな時間だ。

短い沈黙ののち、エルシャは何でもないような顔で告げた。


「それよりシアン。脱いで」

「…………エッ」


唐突な爆弾発言にシアンの声がひっくり返る。エルシャは首を捻った。


「どうしたの? ほら、早く」

「そそそそんなこと急に言われても!」

「いいから脱いで」

「あの、その、心の準備が……ッ!」

「お腹にも血が付いてるわ。怪我したんでしょう。見せて」


その言葉で勘違いを悟り、あからさまにシアンのテンションが下がっていく。


「怪我……。ああ、そういう……」

「他に何があるの」

「何でもないです気にしないでくださいすぐ脱ぎます」


シアンはウエストコートを脱ぐとシャツのボタンに手をかけた。しかし、怪我のせいか上手く力が入らず手間取ってしまう。


「……」


そのときエルシャの腕が伸びてきてボタンに手をかける。ぷつ、と一つボタンが外されてシアンは飛び上がりそうになった。


「エルシャ!?」

「じっとしてて」


細い指先がぷつ、ぷつ、と上から順にボタンを外していく。エルシャの表情は真剣そのものだ。

好きな女性に服を脱がされるという刺激的なシチュエーションに自然とシアンの鼓動は早くなる。シアンは身じろぎしないように耐えるので精一杯だった。


(これはあくまで看病の一環……!)


時間にしてほんの数秒のはずが、とてつもなく長い時間に感じられた。ようやく最後のボタンが外れたとき、シアンは知らずに詰めていた息を吐いた。

しかし安堵を覚えたのも束の間、指先が胸部を撫でるような感触にシアンはまた真っ赤になった。


「エルシャ!? ななな何を」

「まあ、痛そう……」


胸部や脇腹には切り裂かれた跡があり、赤黒い血が付着している。その傷跡を目に焼き付けるように見つめたまま、エルシャは眉を顰めた。


「……オズヴァルドがあんなことするなんて思わなかった」


エルシャにとってシアンは命の恩人であり、唯一無二の友人だ。そんな人を殺そうとするだなんて、到底受け入れられるはずがない。


声に怒りが滲んでいることに気付き、シアンは目を瞬かせる。

エルシャはそんなシアンを見上げた。


「ねえ、シアン。この間、この城にいたくなくなったら言えっていったでしょう?」

「ええ、言いましたけど」

「シアン。私と逃げる?」

「…………えっ」


唐突な言葉に、シアンはうまく返事をできなかった。

エルシャは傷だらけの手を握った。


「シアンは誰とも戦いたくないんでしょう。私もシアンが傷付くところなんて見たくないわ。だから、一緒に逃げない?」

「一緒に……?」

「そう。またあの家で暮らすの。私も料理とか頑張って覚えるから。……ねえ、どう?」

「……!」


一瞬、シアンの瞳が輝く。嬉しそうにエルシャの顔を見つめ返す。

しかし、その顔はだんだんと曇っていった。


「シアン?」

「でも、今は見ての通りズタボロなので逃げられるかどうか……」

「じゃあ、怪我が治ったら行こう」

「…………はい」


その返答を聞いてエルシャは笑顔を弾ませる。


「じゃあ、今度は私がシアンにクッキーを焼いてあげるわ。クッキーって材料は何なのかしら? まずは調べないと……。それから買い物もしないと駄目よね。考えるだけでちょっとワクワクしてきたかも」


シアンが浮かない表情をしていることには、このときのエルシャは気が付かなかった。

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