第41話 凍える夜
闇夜を一匹の狼が疾駆する。
ひたすら走り続けていた狼は森に身を潜めると、咥えていた黒衣の男をそっと地面に横たえる。
次の瞬間、狼は騎士服を纏った銀髪の男に変貌した。
「殿下」
その呼びかけに、ぐったりとしていたオズヴァルドは薄く目を開く。
ラフルがこちらを覗き込んでいることに気付くと、オズヴァルドは額に脂汗を滲ませながら口を開いた。
「……ここは……」
「王都の外れにある森の中です。追っ手もまだ来ていません。しばらくはここで身を潜められるかと」
オズヴァルドはよろよろと上体を起こす。
「エルシャは……どうしている? まさか、私の魔法で怪我をしていないだろうな」
「遠目から見ただけですが、無事かと思われます。レーナさんが付いていたようですし」
その言葉を聞いてもオズヴァルドの表情が和らぐことはなかった。
「彼女を兄上の元に残しておくのは危険だ。ラフル、私はいいからエルシャを……」
「今は殿下の安全をお守りするのが先です」
「私の言うことが聞けないか!」
「落ち着いてください。冷静な判断が出来ないなんて殿下らしくありません。……エルシャ様はすぐに殺されはしないでしょう。何せ殿下の伴侶なのです。利用価値がありますから」
『利用価値』という無礼な物言いにオズヴァルドはぴくりと反応する。
「ラフル。貴様……」
「殿下が死ねばエルシャ様の利用価値もなくなり、そのときにエルシャ様も危険に晒されるでしょう。つまり殿下の安全を守ることこそエルシャ様を守ることでもあるのです」
「……っ」
全てラフルの言う通りだった。
この程度のことも考えられないとは、魔力暴走の影響で思考力が落ちているせいか、それともエルシャが関わっているせいで冷静さを欠いてしまったからだろうか。
(多分、両方だな)
今も身体を苛む魔力を抑え込むので精一杯だ。いずれにせよ、ラフルがいなければ今の自分には何も出来ない。
オズヴァルドははあ、と息を吐いた。
「殿下、具合がまだ……」
「……ラフル。騒ぎが起こったときお前はどこにいた」
「申し訳ございません。見知らぬ令嬢に助けを求められたのですが、罠だったようで……。会場に戻るのに手間取ってしまいました」
「アンブローズ兄上は昔から悪巧みとなると妙に頭が回るんだ。お前が罠にかかったのも仕方ないことだ」
「ですが……」
心底申し訳なさそうなラフルを見て、オズヴァルドはむしろ安堵の表情を浮かべた。
仲間だと思っていた者達が次々背を向けても、この男だけは変わらない。
「……さっきは助かった」
「!」
「お前だけは味方でいてくれて、感謝している」
「そんなこと……」
ラフルはぐっと眉根を寄せると、その場に跪いた。
「この剣を賜った時から、殿下に忠誠を誓った身。殿下の騎士として当然のことです」
ラフルが腰に帯びているのは立派な拵の剣だった。それはオズヴァルドが下賜したものであり、元はと言えば、オズヴァルドが師であるエルマンから譲り受けた剣だった。
何があろうと自分を裏切らない絶対的な味方。それが幼い頃の自分にとってのエルマンだった。彼は居なくなってしまったが、今のオズヴァルドの側にはこの男がいる。
状況が変われば人も変わる。だが、ふるいにかけられた後に残る砂金のように、変わらず味方でいてくれる者だけが残るのだ。
その事実が弱ったオズヴァルドの心に染み入るようだった。
「……そう、か……」
苦しげな顔がふ、と微かに緩む。
しかしそれもほんの一瞬で、オズヴァルドは再び気を失った。
「殿下!」
オズヴァルドは地面に倒れたまま動かなくなる。それと同時に周囲の木々が急速に凍り付いていく。抑え切れなかった魔力が漏れ出しているのだ。
脈を確認しようと触れたオズヴァルドの身体は死体のように冷たかった。
(とにかく今は殿下のお身体を落ち着かせねば……)
ラフルはふっと炎の魔法を纏わせ、冷え切った身体を温めていく。それに比例して広がっていく氷の速度も緩やかになっていく。
氷魔法を完全に打ち消すには至らないが、これで身体への負担は幾分かマシになるはずだ。
「殿下。苦しいでしょうが耐えてください。エルシャ様のためにも」
血色のない唇が動く。そこから譫言のように言葉が漏れた。
「……エルシャ……」
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