◆寝取られる前に動く
夜を駆ける――いや、朝を駆ける俺たち。
初夏を感じさせる蒸し暑さを感じる。
暑さもあるが、知らぬうちに数キロを走っていた。そのせいか汗が全身から滴る。
三沢さんと話しながら走っていれば、俺は滝のように汗を流していた。
「……はぁ、はぁ…………死ぬ」
「さすがに走りつかれたねー!」
疲れを見せぬ、さわやかな笑顔で汗を拭う三沢さん。ん~、今日も下着が透けている。なんだか今日は派手な色合いだ。
0.3秒の僅かな時間で見極め、俺は視線を他へ移した。
ジロジロ見るとバレるからな。
「少し体力がついた気がするよ」
「なかなか走れるようになったよね、熊野くん。凄いよ」
褒めてもらえて照れた。
最初は走るのなんて面倒臭いと感じていたが、今では逆にモチベーションが上がっている。やはり、三沢さんという可愛い女子と共に走れるというのはデカイ。
この分なら、マラソン大会で一位を取れるかもな。
「そろそろ時間だ。解散にしよう」
「うん。また学校でね」
時間も迫っているので帰宅。
俺はシャワーを浴び、朝食を軽く食べて登校しようとした――が。
「まて、正時」
「ん? じいちゃん、どうした」
「たまには送ってやる」
「え、珍しいな」
「愛車のベンツでな」
ベンツって……。もちろん、我が家にそんな超高級車はない。じいちゃんの言う車は『軽トラ』なのである。
けど、丁度いいや。
駅まで歩くのだるいし。
「分かった。頼むよ」
「うむ。では、行こう」
駐車場へ向かうと、じいちゃんの軽トラがあった。……いや、あれは違うぞ。
「いつもの軽トラじゃないな」
「あれは車検に出している。今は代車のバンなのだよ」
「そういうことか」
駐車場には貨物車の軽バンが停められていた。
宅配業者とかが使うヤツだな。
「さあ、乗れ」
「あいよ」
軽バンの助手席に乗り込もうとすると、そこには何故か姉ちゃんの姿があった。
「……正時っ!」
「え、姉ちゃん。なんでいるんだよ!?」
「ちょっと寝坊しちゃって」
「マジ? 珍しいなぁ」
姉ちゃんはいつも先に出勤して、俺よりも早く学校へ向かっているのに。寝坊だなんて今まで一度もなかった気がする。
「昨晩はあんまり寝れなくてね」
「そうなのか」
「気にしないで。仕事に支障はないから」
「分かった」
俺は後部座席へ乗り込んだ。
それから、じいちゃんは車を発進させた。
学校に到着。
「じゃ、私は先に行くね」
「おう」
姉ちゃんは慌しく学校内へ走っていく。
遅刻ギリギリらしい。大人は大変だな。
「正時、学校がんばれよ」
「ありがとう、じいちゃん」
じいちゃんは用事のため、どこかへ行ってしまった。
さて、教室へ向かうか。
◆
『ざわ……』『ざわ……』
教室内は、ざわついていた。
俺に向けられる視線。なんでそんな見てくるかな?
先に到着していた三沢さんもなんだか落ち着かない様子。
もしかして、昨日の事件がもう風の噂になっているのか。どこから漏れたんだか。
『ねえ、古賀さん……停学処分だって』『えっ、なんで~?』『元カレの熊野くんとトラブルがあったって』『えー! なにそれ』『瀬戸内さんから情報が回ってる』『あ~、瀬戸内さんとも付き合っていたよね』『なんか怖いよ』『最近は三沢さんとも付き合っているらしいじゃん』『浮気? それとも、そういう危ない関係?』
な、なんだと……!
瀬戸内さんが情報を流したのか? あの時、彼女の姿はなかったはず。どうして?
ハテナを浮かべながら、俺は席へ。
すると前の席の三沢さんが振り向いた。
「ど、どうしよう……」
「気にする必要はないさ。俺たちが悪いわけではないのだから」
「それはそうだけど。でも、熊野くんの印象が」
「いいよ、元から悪いし」
女子からモテるので、男子受けはとにかく悪い。憎悪しか向けられていないからな。今のコソコソ話だって半分以上が男だ。
だから、どうでもいいと言えばどうでもいい。
それよりも、瀬戸内さんだ。
なぜ情報を知っている?
「わたしは味方だからね!」
「ありがとう、三沢さん。助かるよ」
俺は孤独ではない。三沢さんという、とても心強い味方がいるのだ。しかも戦闘の意味でも強いし。
だから俺は気にしないことにした。
それが一番の特効薬だから。
ああ、そうだ。
あのトラウマだって気にしなきゃ良いんだよ。そうすればきっと自然と忘れられる。
意識を三沢さんだけに向け、過去・現在・未来とあらゆる記憶を塗り替えよう。一色に染まったその時、俺は悪夢を克服できるはずだ。
ゴールはそれほど遠くない。
今は真っ直ぐ走るだけだ。早朝ランニングのようにな。
不思議と気が楽になっていく。
クラスメイトのヒソヒソ話は、ただの雑音になっていく。周囲はただの背景になって、フェードアウト。映す価値無しの存在となり、消えた。
なるほど、シャットアウトすればこれほど楽になるのか。知らなかった。
時間になり、担任が現れた。
昨日の古賀さんことが触れられ、彼女は停学になったと情報共有がなされた。もちろん、クラスメイトは騒然となっていたが。
それよりも瀬戸内さんだ。
今日に限って休みとはな……。なにかありそうだ。
授業が終わると女子が寄ってきた。
「ねえ、熊野くん。古賀さんとはどうなったの?」「詳しいこと教えてよー」「二人、別れたんだよね~?」「もしかして関係修復でトラブルとか」「刺されそうになったって本当?」「熊野くんが古賀さんを襲おうとしてたって聞いた」「二股なの?」
女子はそういう話が大好きだよな。
てか、一部情報が改ざんというか捏造されているような。おそらく瀬戸内さんが適当な情報を流しているのだろうな。……と、考えるのが自然だ。
あの人も俺を恨んでいるということなのか。
本人が不在なので聞き出せない。なんで休んだ?
「行きましょう、熊野くん」
俺の手を引っ張る三沢さん。
おかげで俺は逃げるチャンスを獲得できた。
こう複数の女子に囲まれては脱出できなくて困っていたんだ。
「うん、そうしよう」
どのみちお昼ごはんを食べたい。
教室を抜け出し、食堂を目指す。
「みんな、酷いよね」
「あの一番だった古賀さんが停学なんだ。みんな驚いて当然だよ」
「それはそうだけどさ。でも、事実ではないことも言われてるし」
「そこが引っ掛かる。多分、瀬戸内さんだ」
「え?」
「クラスの女子たちが言っていたんだ。瀬戸内さんから話を聞いたとな」
「それが本当なら……」
「ああ、またひと悶着あるかもね」
「えー…」
三沢さんが狙われるのだけは阻止せねば。……まあ彼女は強いけど、でも俺が守りたいんだ。
早めに手を打っておくか。
となると、先に瀬戸内さんと付き合っているらしい『後輩』を探すか。
もう後手に回りたくはない。
三沢さんを寝取られるだとか、そういうのは絶対にイヤだ。
だから先手必勝でいく!
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