◆心の底から好き

「君、危なっかしいからさ~。放っておけないんだよね」

「え? それ告白なの……?」


「ある意味ね」



 どういう意味だ。

 黒部さんってちょっと変わった人だなぁと俺は思った。でも、可愛いから多少変でも許されるというか、気にならない。



「よく分からないけど、俺が好きってこと?」

「ある意味ね」


 だからどういう意味!

 全然分からない。


 どうしようかと悩んでいると、三沢さんが戻ってきた。黒部さんの存在に気づき、少しムッとした表情で間に割って入る。……お、大胆。



「熊野くん、帰ろう」

「み、三沢さん。うん。そういうことだから黒部さん、悪いね」



 けど、黒部さんは俺の耳元で囁いた。



「瀬戸内さん、近い内に仕掛けてくると思うよ~。気をつけて」

「な!?」



 なんで知っている!

 聞こうと思ったが、黒部さんは別の女子と合流して行ってしまった。


 まさか、忠告してくれたのか……?


 妙な絡み方だとは思ったけどね。

 おかげで瀬戸内さんの動きが少しだけ掴めたぞ。



「どうしたの、熊野くん」

「ん、ああ……瀬戸内さんが動き出すかもって話さ」

「だよね。気をつけて帰ろうね」

「もちろんだ」



 それにしても、俺をフっておいて瀬戸内さんがなぜ恨みを持っているのか……謎過ぎる。向こうが後輩とヨロシクやっていたんじゃないか。


 不満があるなら、回りくどいことをせず直接言って欲しいものだ。


 いや、俺に嫌がらせをしたいのか……?

 古賀さんのように復讐が狙いなら止められない。



「じゃ、行く?」

「その前に保健室へ寄っていく。カウンセリングを受けたいんだ」

「ああ、そっか。これから毎日通うの?」

「心の傷を……トラウマを治したいからね」

「分かった。でも、わたしも手伝うよ」

「一緒にしてくれるだけで嬉しいよ」


 そう隣にいるだけで俺は十分幸せなのだ。心も穏やかで静かすぎるくらいだ。でも、眠ると悪夢を見る。過去と決別できていないからだ。

 現在進行形で瀬戸内さんとも戦いそうになりそうだし、まだ克服までは遠い。


 話をしながら保健室へ向かう。

 そんな中、三沢さんは思い出したように言った。



「そういえば熊野先生って……」

「え、気づかなかった?」

「うん。もしかしてお姉さん?」

「そうなんだよ。実姉でね、偶然にも保健室の先生をしているよ」

「へえ~。苗字が一緒だとは思ったけど、そうだったんだ。いいなぁ~」


「三沢さんは姉妹とか」

「残念ながら、一人っ子。だから羨ましいんだ」


 ウチの姉ちゃんは、ちょっと特殊だと思う。

 子供の頃から優しいし、面倒見も良いし、まさに理想の姉だ。たまに言葉が悪いけど、その程度。

 他人に厳しく、基本的に俺には甘い。

 自分で言うのもなんだけど、溺愛されているのかもしれないな。なんて……まさかね。


 保健室に入室すると、椅子に座りコーヒーを優雅に味わっている姉ちゃん――熊野先生の姿があった。くつろいでるなぁ。



「失礼しまーす」

「お邪魔します」



 こちらに気づいて熊野先生は納得した。



「予定通りだな、正時。おや、三沢さんまで」

「別にいいだろ?」


「構わないよ。じゃあ、始めようか」



 椅子に座り、俺は深呼吸。気分を落ち着かせた。

 あとは先生の言葉に身を委ね、気持ちを変化させていく。少しずつ、少しずつと。



 ◆



 カウンセリングは三十分ほどで終わった。

 正直、お金を取れるレベルだと思う。


 時間の半分ほどをジークムント・フロイト先生の心理性的発達理論を聞かされ、頭がオーバーヒートした。


 リビドー?


 なんじゃ、そら。

 新作のドーナツか、何かか?



 しかし、なぜか気分は良かった。

 心に少しだけ余裕が生まれたんだ。なんでこんな穏やかなんだろう。



「ふぅ……」

「いいか、正時」



 なぜか耳打ちする先生。



「ん?」

「要はな、性に寛容になれとフロイト先生は言っているんだ」



 ちょっと――いや、かなり違う気がしてならないが、そうなのだろうか……?

 けれど、先生ねえちゃんがそう言うのだから本当なんだろうな。


 ウ~ム、性にねえ。


 確かに俺は、モテる割りにはそういう経験があまりに乏しい。


 精々、手を繋ぐだとか頬にキスくらいだ。その先がなかった。


 古賀さんの時も、瀬戸内さんの時も……。過去も。


 思えばモッタイナイことばかりしていたな、俺。なんでもっと積極的にならなかったんだろう。

 俺だって健全な男の子だ。そういうことに興味がないわけではない。



 性欲リビドーか。



 そうだな。

 俺は今、三沢さんが凄く魅力的に感じている。

 そういうこともしたい。


 好きだからこそ、求めたい。求められたい。



 思わず視線を向けると、三沢さんはなんだか顔を赤くしていた。



「…………」

「ご、ごめん、三沢さん」

「え、別に」



 でもなんだか恥ずかしそうだ。

 そうされると俺もどうしたらいいのか分からない。


 けど、そうか。

 今になって気づいた。気づかされた。


 俺は三沢さんが心の底から好きになっていたんだな。


 その顔も、表情も、匂いや仕草も……髪の毛一本まで、なにもかもが好きになっていた。


 そうだったんだ。

 今までの俺には“好き”がなかった。ただ可愛い女子と付き合えることがステータスになっていただけ。

 一番だとか二番だとか人気の女の子と遊べるという優越感に浸っていただけ。ただの高みの見物。自己満足だった。


 思えば、そこに恋愛感情はなかったんだよ。

 本当は真剣ではなかったんだ。

 偽りの気持ちだったんだ……。


 でも、今は違う。

 俺は三沢さんのことが本気で好きだ。大好きだ。死にほど好きだ。


 もっと触れ合いたい。

 付き合いたい。


 方法だけはもう知っている。


 マラソン大会で勝てば付き合えるのだ。

 勝たねばならない。


 俺は絶対に勝つ。

 その為にも――。

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