第3話 濃霧ークモー

 答えは腹が減った瞬間である。


 人里には二足歩行のエサが溢れているのだ。

 降りてこない理由などない。

 また捕獲しろ、銃殺ではなく麻酔で眠らせろと暇人の抗議が来るが、麻酔銃の射程は一〇メートルもなく、刺さりどころが悪ければ興奮させて被害を拡大させる。

 また麻酔は効果を発するまで個体差がある。個体によっては効果がないパターンなどザラ。

 クマの毛皮は厚く、骨もまた硬い。頭蓋骨に至れば曲線状故、銃弾は弾かれやすい。何より猟銃免許と麻酔の取り扱いは別資格。双方の資格持つ医者がいるにはいるもソーシャルゲームでウルトラハイパーレアを一〇〇回連続で引き当てる確率などの少なさ。

 もしクマが、かわいそうと行政や猟友会に抗議するなら、引き取って最期まで面倒を見るべきだ。

 言葉だけの活動では、誰も助からないし、クマも飢えから助けられない。

 単に抗議する人間は、動物愛護に長けた崇高な人間であると自画自賛に酔っているだけだ。

 その抗議を受けようと、命を守るために行政や猟友会は命を張って対応している。

 抗議電話を迷惑電話としてガチャンと切る公言した某知事を見習いたい。

 クマを想う気持ちが電話口の口先だけでないなら、山に出向いてクマと添い遂げる覚悟を持つべきなのだ。

 もっとも添い遂げるとは胃の中で、の意味が現実的に強そうだが、クマのために身体を張れるのなら本望だろう。

 ならクマのいない九州や四国に引っ越せというが、クマはいないだけでサルやイノシシがいる。逆に北海道にイノシシはいない。

 サルの噛みつきは人間の腕の骨など折るほど咬力が高く、群で活動する。イノシシの突進力は成人男性を軽々と突き上げる。

 クマ関係なく野生動物は人間には危険でしかなかった。


「出ないな」

「出ないのう」

「当たり前でしょう」

 雑談配信をしながら三人は山道を登り続ける。

 時折、手頃な岩に腰を下ろしては水分補給の休憩。

 位置的に山の中腹ほど。

 昔、養蚕業が盛んだった名残として、桑の木が群生している。

 遠くの空が、ほんのわずかに色づき見えるが、生憎西側、都市部から漏れ出る町明かりであった。

 曰く、社畜の灯、ブラックの明かり。この時間まで労働おつかれさまーな明かりである。

「うえ、なんか顔についたぞ」

「こっちもだ」

「なにこれ、糸?」

 休憩もほどほどに立ち上がろうとした時、三人は揃って不快に顔をしかめる。

 なにもない顔を拭えば、その手に一本の細い糸が張り付いているのがヘッドライトの反射で判明する。

 恐らくだが、風に乗って蜘蛛の糸が流れてきたのだろう。

 蜘蛛、それも生まれたての小蜘蛛は移動に糸を利用する。

 糸を帆船の帆のようにして浮き上がり、気流に乗って長距離を移動する。

 小さく、体重が軽い故に行える移動法であり、航空機に飛びつき、機内で巣を作っていた事例すらあるほどだ。

 そのため国内未発見の蜘蛛を新種と判断するのは根気の確認作業が必要となる。

「なんか耳鳴りもしてきたぞ」

「うえ、俺も。身体も重いし」

 男二人は不快な表情を深めていく。

 身体を張って配信するからこそ、日夜、体力作りに抜かりはない。

 登山で耳鳴りなど気圧の関係上、珍しくはないが、この山の標高は二キロメートルもなく、高山に該当する山ではなかった。

 だから、耳鳴りも身体の重さも異常だと、今まで蓄積した配信での実体験が危険信号を発する。

「おい、ロイエ、きみは大丈夫か?」

 いつもなら続くように発言するはずが静かだ。

 気になって顔を向けるが、いるべき位置にメンバーの姿はなかった。

「ロイエ、どこだ! 返事をしろ!」

 予兆など何一つなかった。周囲は暗闇と霧に包まれた山道。静寂な世界故、些細な足音だろうとすぐに気づく。それが蜘蛛の糸と耳鳴りに気を取られているわずかな間に消えた。

 クマなら巨体発する足音で近づくのが分かるはずだ。

 まさか本当に幽霊がいたのか。いやいや、怪談・怪異の原因は経験上九割九分九厘、人間だった。

 廃墟現れる幽霊も、廃トンネルに蠢く影も、空飛ぶ未確認生物も全部が人間だった。

「ブンルル、ロイエが! おい、ブンルル!」

 異変は拡大する。すぐ隣にいたはずのメンバーがまた一人忽然と消えている。

 未知の怖気が背筋を凍てつかせる。

 すぐさまスマートフォンでグループ通話をかける。万が一を想定して、マナーモードは互いに解除してある。近くにいるなら着信音で判明するはずだ。

「くっそ、どこ行ったんだ!」

 繋がらないスマートフォンに悪態つく。

 どうすると、アッカは逡巡する。

 助けを求めて、今すぐ下山するか。山の麓には駐在所がある。すぐさま助けを求めるか。いや、クマに襲われているなら、助けが駆けつけた頃には胃の中だ。加えて今は闇夜と濃霧のコンボ。二次遭難を危惧して救助は派遣されない。

「なにがあった! なにがあったんだ!」

 アッカは配信のライブラリー映像を再生せんとした。

 手がかりがあれば、痕跡はと一縷の望みをかけて確認する。

 コメント欄には、演技や通報案件が溢れているが確認している余裕はない。

「うおっ!」

 突然、背後から首を引っ張られる強い力にアッカはうめく。

 首に何かが巻き付いていると気づこうと、強く締め上げれるそれは一瞬にしてアッカから意識を刈り取った。


 そして遠くから一発の銃声が響いたのを最後に配信は中断された。

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