第33話 廃坑ースアナー
「にげ、たの?」
呆然としたまま柊は地面に座り込んでしまう。
「どうでしょう」
曖昧にしか紘真は答えられない。
「あんなのがいるなんてオカルトだろう」
「ですけど、現実です」
左腕を抑えながら紘真は陽川に返す。
あの虫人間と対峙してから左腕の痺れが増している。
因果関係に、思い当たる節があった。
「ま、まさか、あの時のクマは、あいつが皮をかぶっていたのか?」
五島という人間の皮をかぶるように、クマの皮をかぶっていた。
「クマ? それなら本物の五島は……」
「既に、死んで、いえ殺されているんでしょう。人が動物の毛皮を防寒具として利用するように、あの虫人間は、人に化けるために五島の皮をかぶっていた」
異常事態を目の当たりにしようと紘真は大人二人と比べて不思議と冷静でいた。
冷静でいすぎていた。
「そ、そういえば、勝美さんが言っていたわね。<てふしろ様>は人に化けるって」
「恐らくですけど、人間の皮をかぶって化けてたんでしょう」
あの虫人間は恐ろしいまでの知恵を持っていることになる。
人間から皮を剥いで、本体を遜色なく隠蔽しては当人と認識させる化けっぷりに怖気が走る。
「もしかしたら、あの時、五島と一緒にいたサングラスの女性がそうだったんだ」
紘真とて確証はないが、腑に落ちてしまう。
いつどこで、どう出会ったかは謎のままだが。
「五島と一緒だった女性がそうなら、いくら調べても身元が割れないのに合点がいく。そ、それなら、行方不明の大学生や青川さん、そして千野さんは……」
「やめて、それ以上言わないで!」
相手が異形だからこそ、身代金目的ではないと口に出さずともわかる。
叫ぶように柊が陽川の発言を遮ったのがその証拠だ。
「エサでしょうね」
「嘉賀くん!」
言ってはならずとも言わねばならない。
ただ解せない点があった。
「どうして遠く離れた地まで現れたのか」
狩りをするにも目立つ都会に現れたのか。
人に化ける高い知性があるならば、リスクを把握できるはずだ。
山に来る登山客なり、麓の町なり、エサとなる人間はいくらでもいる。
「あれ、それならなんで勝美さんは今の今まで無事だったんだ?」
イの一番に襲われるはずの老婆は無事だった。
今は安否を確認できずとも、流れ的に一番最初の犠牲者になっていてもおかしくない。
「勝美さんはともかく、もしかしたらマーキングされていたからじゃないの?」
肩を振るわせながら柊は言う。その目尻には涙が浮かんでいた。
「マーキング?」
「あれが虫と仮定すれば、山小屋に五島と来た時、獲物としてマーキングしたんじゃないってこと」
「フェロモンですか?」
虫などの群集生物はフェロモンを出して交信するとされている。
人間には感じぬ嗅覚で判断し、一〇キロ以上先ですら把握できるなど範囲は広い。
「でもそれなら、いやそうか、それなら汐香を連れ去ったのに説明がつく」
当時、山小屋にいなかった汐香が連れ去られた理由。
もし一〇年前に両親を食い殺したクマがあの虫人間ならば、獲物として赤子だった汐香にマーキングを施していたのなら納得できる。
(俺を襲ったもの恐らく‥‥‥)
執拗に紘真を狙ったのは、獲物を奪った奴と左腕の傷で気づき、今度は奪わせぬと排除しにきたからだ。
ただ、何故、一〇年経った今なのか、説明できない。加えて山小屋の老婆が無事だった理由も。
「だが、しかし」
陽川の顔は困惑と怖気に染まっている。
警察の手に余る非常識な事態、かといって応援を要求しようと錯乱していると笑い飛ばされるのがオチ。山小屋が火事だと伝えたほうが現実的だ。現状、伝えることすらできないが。
「追いましょう」
「危険すぎます!」
陽川が当然止めようと、紘真はまくしたててきた。
「ですけど、今追えば、あいつの巣を突き止められる! 突き止めてからでも遅くはないです!」
「そう、よね。それに力弥くんが、もしエサとして捕まったのなら、まだ生きている可能性だってあるわ」
「その根拠は?」
「遺体がないこと。虫の中にはエサとなる生き物を捕まえても、その場で捕食せず、巣に持ち帰る種だっているの。ジガバチって虫がそうよ。あれは芋虫をそのまま巣に運んで幼虫のエサにするの。もし、あれが虫なら、可能性は高い。もちろん五体満足かは別として」
青川の受け売りだろう。柊は唇を震わせながらも、その目は諦めていない。
「でもジガバチって確か」
「だから、嘉賀くん、言わないで良いから!」
生態を昆虫図鑑で見たことある紘真だが、柊に口止めされる。
ジガバチは確かにエサとなる芋虫を巣に運ぶ。運ぶ際、麻酔にて自由を奪い、生きたまま幼虫のエサとする。
幼虫に身体の自由を奪われた状態で貪り喰われ続ける。それを人間に置き換えたからこそ、柊は遮った。
「ああ、もうあくまで巣を突き止めるだけですからね!」
陽川はらしくもなく叫びながら頭皮をかく。
非常識の連続に、叫ばねば頭がおかしくなりそうだった。
引き留めるのが無駄だからこそ、行動を共にする。
警察として、そうするしかなかった。
燃え盛る山小屋は、周囲の木々から離れたい位置にあることから、延焼が起こらずにいたのは不幸中の幸いだった。
火を消そうにも消せず、現状、三人ができるのは、山道に刻まれた虫人間の痕跡を追うことだった。
棒でひきずったような後が獣道に刻まれ、たどりにたどれば、ぽっかりと開いた山の口にたどり着く。
<危険につき立ち入り禁止>
古ぼけた看板が三人の目に留まる。
木の枠で封鎖しただろうと、時の流れにより朽ち果て、その封を半ば解放している。
かつて、この山では、石炭が採掘されていたと山小屋の老婆は言った。
その閉鎖された炭坑が、口を開けて三人を出迎える。
「さて鬼が出るか、蛇が出るか」
紘真は緊張で乾いたのどに唾を飲み込ませた。
出るのは虫であるのは間違いないが――
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