第31話 誘引ーワナー

 紘真は情報の確認をする。

<てふしろ様>。

 かつて、養蚕盛んだった時代、この霧鷹山の村々にて崇められていた蚕蛾の神様。

 月が出た霧の晩に空を飛ぶ姿が目撃されている。

 蚕蛾をないがしろにした男は突然、人が変わったように錯乱して家を飛び出した後、生糸に絡まった姿で変死していた。

 一方で、蚕蛾を我が子のように面倒を見ていた女が、病に伏した際、その触覚で病を吸い取り回復に向かわせた。

 村同士の諍いを鱗粉にて鎮めて争えなくした。

 人に化けては人里に現れ、悪さをしないか見回っている。


(もしそうなら、なんで人を襲う?)

 疑問をリフレインさせる。

 山小屋の老婆から聞いた話は、あくまで祖父母から聞いた話の又聞きでしかない。

 既に村は廃村となり、今ではキャンプ場、正確な伝承を語れる者は今や不明。

 人を襲う――もし生け贄を捧げる因習があったと考えれば、辻褄あうが噂の煙一つ、あってもおかしくない。

 老婆ですら忘れていたのか、それとも代わりとなるものがあったから、今の今まで人間を襲わずにいたのか。

「代わり?」

 自分の発言に紘真は立ち止まる。

 唐突に立ち止まるのだから、柊と陽川が揃って心配そうな顔を向けてきた。

「いえ、大丈夫です」

 下手な憶測は混乱をもたらす。あくまで仮説として頭の隅に置いておいて、足を再び動かす。

 濃霧に覆われた山道は、不気味なまでに静寂であった。

 落ちた枝葉や土を踏みしめる音、時折、霧の奥底より響く枝の折れる音。

 特に山に不慣れな陽川は、枝の折れる音一つで警戒心を露わにして拳銃を抜かんとする。

 紘真と柊からすれば、枝の折れる音など登山では珍しくない。だが、警戒の顔をあからさまに出さない。木に登っていたクマのせいで枝が折れた場合があるからだ。

 特に、絵に描いたような枝を集めて作られた鳥の巣が木にある場合は、警戒が必要となる。

 これは鳥の巣ではなく、クマが木の上で休憩するために集めた枝で作ったクマの腰掛け。

 腰掛けがあるならば、既にクマの縄張りであり、補食対象とされる。

「……血の匂い」

 霧の奥底から漂う血臭に紘真は足を止める。

 当然のこと、再度立ち止まって霧の奥を凝視する紘真に陽川と柊は、疑問符を顔に浮かべている。

「……いえ、気のせいでした」

 気のせいだと自分にも二人にも言い聞かせる。

 神経が張っているせいだとしたいが、見えると感じるは別ものはずだ。

(なんで見えた……?)

 紘真は見てしまった光景を脳内でリフレインさせる。

 先の登山口前にて連れ去られたマスコミの一人が、四肢を捩じ切られ、血だらけとなって樹に吊るされている姿を――


「見えてきたわ」

 歩きに歩いた先、記憶にある轍を見つけた時だ。

 うっすらと霧の奥より山小屋の輪郭が確認できる。

 外部と連絡が取れると、三人の誰もが胸をなで下ろす。

 口は悪かろうと根の良い老婆だ。事情を語れば電話一つ貸してくれるだろう。もし留守ならば事後承諾になるも、本職警察官がいる。

 緊急避難として一仕事してもらおう。

「ん? あれが言っていた山小屋ですか、ですけど」

 山小屋との距離が縮まるにつれて、全貌が露わとなる。

 だが、違和感を陽川が口に走らせた。

「二人ともストップ」

 紘真は立ち止まるように言えば、そのまま身を茂みに隠すようお願いをした。

「なんか、おかしい」

 霧が張ろうと山小屋との距離は目と鼻の先。先だが、本来しっかりと閉じているはずのドアが半開きとなっている。高齢故の閉め忘れかと疑うも、耳も目も健全でイノシシ一頭をきれいに捌く老婆が締め忘れなどあり得ないはずだ。

 加えて、霧に混じって山小屋から漏れ出す空気がどうも気に入らない。

「試してみるか」

 紘真は手頃な小石を掴めば、スリングショットで撃ち出した。

 霧の中、弧を描いて飛ぶ小石は、山小屋の壁面に硬い音を響かせる。

 誰もが生唾を飲み込んで、推移を見守っている。

 在宅ならば、老婆の性格を踏まえて怒り狂って飛び出してくるはずだ。

 だが、小石の着弾から一分が経とうと、飛び出してくる気配はない。

「勝美さん、いないのかしら?」

「入ってみればわかると思いますよ、入れば」

 一休みするにも外部に連絡を取るにも、まだまだ先のようだ。

 用心に用心を重ねて、ゆっくりと山小屋に近づいていく。

 後方を陽川に任せれば、身を屈めてから壁伝いに裏口に回る。

「割れてる」

 途中、各小部屋がある位置を横切れば、窓ガラスが割れている。破片が外に飛散してないことから外から内に破られたようだ。

「誰がこんなことを」

「さてね。クマじゃないのは確かみたいだけど」

 柊の言葉通りだった。クマが自宅内部に侵入したなど珍しくないが、その時には必ず家の壁や窓の縁にはクマの爪痕が刻まれていたりする。

 だが、窓の縁や壁には爪痕一つ見あたらない。

「あ~これヤバいかも」

 紘真は顔をしかめながら左腕を振るっている。

「もしかしてビリってきたの?」

 声を潜めながら柊は聞いていた。

 紘真は無言で頷き返す。何故、糸に触れただけで静電気のような痛みが走るのか謎だが、この痛みは霧に潜むナニカの存在を示唆してくれる貴重な反応になる。

「ですが血の匂いはしません」

 身を潜めて窓辺に近づいた陽川は、持っていた手鏡で室内を覗いていた。

 直に覗きこまず、鏡の反射で中を覗けるため、顔がバレにくい。捜査で身につけた術だろう。

 警察として何度も殺人現場を経験しているからこそ出た言葉だった。

「真っ暗で室内が見えないな」

 照明を消しているのか、消されているのか、間違いなく後者だろう。

 窓の現状からして、室内に踏み込むべきか躊躇する。下手すると虎穴に入って虎胃に入るだ。

「これなら表から堂々と入れば良かったな」

 ぼやこうと今更だとして紘真は顔を引き締める。

 玄関から入ってすぐの場所に固定電話が置かれている。

 だが、ここで一抹の不安がよぎるのは必然。

 その電話は使えるか、否か。

「これは、ダメね」

 柊が自前のスマートフォンを取り出して渋い顔をする。

「Wi-Fiの電波って家の外に漏れてるものだから、試しにアクセスしてみたけど」

 インターネット接続がありませんと出ていた。

 パスワードを覚えていたようだが、大本であるインターネット回線が死んでいれば意味がない。

 もし回線機器や回線そのものが、破損あるいは破壊されているならば、外部と連絡は不可能だ。

「どうするか」

 紘真は目を細めて逡巡する。

 山小屋から下山するルートは把握している。道に刻まれた轍を道しるべに下山は可能だ。可能だが、せめて世話になった老婆の安否を確かめるべきだと良心が訴えてくる。

 ことり、と室内から物音がしたのは、決断の最中だった。

 手鏡で室内を伺っていた陽川の顔が曇る。

「これは、誘っていますね」

 手鏡を傾ければ、暗がり薄い箇所に一足のスリッパが開かれた扉の先にある通路に落ちている。

 たまたま落ちてきただけかもしれないが、陽川の警察としての勘が神経を張りつめさせる。

 何より子供用の小さなスリッパに紘真はただ瞠目するしかない。

「あのスリッパ、まさか」

 汐香が家で愛用するウサギ柄のスリッパだ。

 買ったばかりの時、嬉しさのあまりウサギさんとぴょんぴょん跳ねていたほどだ。

 飛び込もうとする紘真だが、寄せ餌だとする危険予知が足を止めさせる。

「私が入ります。お二人はここにいてください」

 警察として陽川が動く。

「いえ、俺が行きます」

「ですけど!」

「部屋の配置とか、知らないでしょう?」

 警察として一般人に突入のまねごとは自殺行為だろう。

 現実の突入でも、入念な打ち合わせと突入現場を模倣した建造物で練習を繰り返してから行われるもの。

 一から内部を説明すれば良いが、時間が惜しい。

 もし汐香がいれば幸運だが、状況的に罠の可能性が高い。

「ヤバかったら窓から飛び出してきますんで」

 背負った荷物を降ろしながら紘真は笑って見せる。

 大人二人は不安の顔色を隠していない。

 強がりの笑みだが、下手に不安と恐怖で怯える姿を見せるよりはマシだ。

 もちろん、丸腰ではない。狭い室内ではスリングショットは使えない。だから自衛と照明を兼ねたジッポライターを握りしめる。

「その前に」

 入る下準備として、紘真はスリングショットを構えていた。

 金属球をゴムにつがえれば、そのまま室内に向けて放っていた。

 室内に硬い音が何度も反響する。

「君は、なにを?」

「どうせ、バレてるだろうから、脅しですかね?」

 緊張感は隠せない。隠せないからこそ、逆に堂々と入る。

 強がっていると大人二人にはバレているだろう。

 それでも、さらわれた汐香の手がかりがあるならと、紘真は金属球を打ち込んだ部屋から二つ左の窓から室内に侵入した。

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