第30話 複眼ータンガンー

 深き霧の中を三人が進む。

 霧の中だろうと、落ち葉踏みならして迷わず進めているのは地図とGPSのお陰だ。

 ただ、ツールがあるから迷わないだけで、順調に進めるかは別の話となる。

「ま、待って、く、だ、さい」

 若干遅れ気味の陽川が息を乱して足下をよろけさせる。

 前を歩いていた柊は、またかと呆れた顔をしていた。

「警察って体力仕事だから、結構体力あると思ったんだけどね」

「や、山での、捜査は、二回くらいしか、やったことないんですよ」

 経験不足以前に、紘真と柊が登山用シューズに対して、陽川は革靴なのも大きいだろう。

 縦移動ではなく横移動だが、起伏があるため体力は削られる。

 特に地形にあった靴でないからこそ。

 陽川当人からしても、まさか山中に引きずりこまれるとは思ってなかったのも大きいだろう。

 状況は、自分の思惑通りに進んでくれる好都合なものではない。

 この道を指名手配犯が通りかかってくれれば確保できるのに、という夢想レベルである。それならば一時停止線の前で張っていたほうが警察として仕事ができる。

「もう少しですから、頑張ってください」

 荷物を背負おうと、陽川と比較して紘真は余裕があった。

 内心では汐香の安否が気にかかっているはずが、異様なまでに冷静だ。

「なにも出くわさないのは、幸運と見るべきかしらね」

 地図とGPSで現在地を把握しながら、柊は進行方向を確認している。

「もし、それが近づいてくるなら、耳鳴りと身体の重さでわかります。獲物を探しに行ったのか、それとも獲物を」

 姿の見えぬ謎の脅威。確かなのは、三キロ以上の先から、軽トラックごと人間三人を引きずり込める不可視の糸を持つこと。

 近づけば、耳鳴りと身体の重さに襲われることだ。

「それ以上は言わなくていいわ」

 柊の険ある声に、紘真は迂闊だと痛感しては、伏し目がちに目を逸らしてしまう。

「すいません。つい癖で」

「気にしてないわよ。状況の分析は大事よ。生き残るためにね」

 これが大人の余裕なのか、もしくは強がりか、人の心は覗けない。

「はぁはぁ、これならもう少し、平久刑事から学んでおくべきだった」

 陽川個人として、体力は同課の中でも相応にあると自負していた。

 いや下手すると、山登りに慣れたあの二人の体力が抜きん出ているのが正解かもしれない。

 特に直感だが、嘉賀紘真なる少年、同世代と比較して体格は平均だろうと、体力が抜きん出ている気がしてならなかった。

 ――どうして重い荷物を背負っていながら、疲れ知らずの顔をしているのか。

「うおっ!」

 震える足腰を奮い立たせて進もうとした陽川だが、靴先に硬い感触を走らせるなり、盛大につまづいてしまった。

 鼻先から落ち葉の小山に突っ込んでしまう。

「なにしてんだか」

「だ、大丈夫ですか!」

 呆れる柊に、すぐさま駆け寄る紘真。

 落ち葉がクッションになったお陰で陽川にケガはないようだ。

「これは、カメラ?」

 つまづいた原因は一眼レフカメラであった。登山者の落とし物か。細かな傷や手垢など使い込んだ跡があることから、ごく最近のだろう。

「レンズが割れてる」

 カメラの命たるレンズには大きな亀裂が走っている。これでは撮影は行えない。ふと何を思ったのか、陽川はカメラが動くのを確認するなり画像データを調べだした。

「ちょっと、調べるなら後にしてよ」

 柊が苦言を呈するのは当然のこと。

 立ち止まっては狙ってくださいと言っているようなものだ。

「ま、待ってください。このカメラ、駐車場にいたマスコミのです」

 最初の写真データは、非常線が張られた千野家、どの写真も、家周りの写真ばかり。中にはカーテンの隙間から撮影した紘真の写真すら写り込んでいた。

「いつの間に……これだからマスコミは嫌いなんだよ!」

 感情露わに紘真は、白歯と怒気を剥き出しにする。

 断りもなく撮影するなど肖像権の侵害だ。

 逆に撮影しようならば、グダグサ文句を言う傲岸無知さも腹立たしい。

「なんだ、これは?」

 陽川が瞠目するのは最後の写真データ。

 背景が真っ白なことから霧の中で撮影したようだが、注視すべきは接写したからだろうか、真紅の六角形が敷き詰められた球体が大写しとなっていた。

「結晶か、何かでしょうか?」

 紘真は眉根を跳ね上げる。五島の目と符合するからだ。

 対して柊は一目見ただけで冷静に言った。

「それ、虫の複眼みたいね」

 ただ、おかしいと付け加える。

「こんなに大きく写るなんて、普通は顕微鏡使ってようやく複眼の個々の大きさを確認できるのに」

 柊は怖気を声音に乗せる。

 この瞬間、紘真と柊は同じ事に考え至っていた。

 通常のカメラで撮影された被写体。遠近差があろうと、カメラの性能云々にしても、明確にはっきりと写っているのは異常だった。

「あ、あはは、なら、私たちを襲って山に引きずり込んだのは、虫だっていうんですか、これだとめちゃくちゃデカイ蜘蛛が、この山にいるってことに、なります、よ」

 あまりの非常識に陽川の顔はひきつり笑ってない。

 いや笑えない。笑えるはずがない。

 ただ、霧鷹山の知識を持っている紘真と柊は、口元をかみしめて顔を見合わせている。

 指摘したのは柊だ。

「それ、たぶん、蜘蛛じゃないわ。蜘蛛の目は数が多いけど、複眼じゃなくて単眼なの。後、蜘蛛は虫じゃない。節足動物よ」

 複眼であり糸を出す生物に心当たりがあった。

「ねえ、嘉賀くん、山小屋での夜、勝美さんから聞いた話、覚えているかしら?」

「もちろん、覚えています。写真に写るのは複眼であり、俺たちを引きずり込んだ糸、大きさ云々に該当するのは一つしか思い浮かびません」

 その解答に至らせる要素は揃っている。

 不可視の糸、複眼、そして霧鷹山に伝わる伝説。

「……<てふしろ様>」

 蚕蛾の神様の名を紘真は恐る恐る口に出した。


<てふしろ様>

 かつて、この霧鷹山にて養蚕業が盛んでいた時代、各村にて崇められていた蚕蛾の神様。


 ――霧が出た月の夜は山に入ってはならない。

 ――<てふしろ様>の羽ばたきを妨げてはならないよ。

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