第26話 検死ーイトー

『そうかい、学者先生が五島に。しっかし立て続けに連続とか、五島の奴、何したいのかさっぱりわからんな』

 陽川は平久の口調が柔らかくなったことに安堵した。

「はい、協力者がいる線が濃厚ですが、今のところ五島らしき痕跡しか見つかっていません。そちらは何か進展がありましたか?」

『いんや、ないんよ、けどね。ほれ、カリちゃん知ってる? 検死の?』

「え、ええ、雁田雅伸かりたまさのぶ検死医ですね。何度か捜査でお会いしたことがあります。その人が何か?」

 平久と何十年の長いつきあいのある人物だと脳内人名禄にあった。

 時間が合えば飲みに行くほどの仲であり、陽川もまた捜査以外で何度か酒の席に同席したことがあった。

『ほれ、霧鷹山で、少年たちが下山途中で見つけた女性いたじゃん? 搬送先の病院で暴れるだけ暴れて、そのまま窓から飛び降りた。その検死をさ、カリちゃんがしたんだけどよ。なんか妙な結果が出たんだとよ』

「どうしてそれを平久刑事が?」

『そりゃ昔ながらのながーいつきあいってやつよ。俺が霧鷹山絡みで捜査しているって小耳に挟んでな、ほれ、被害に遭った大学生の検死もしていたみたいでさ、その縁で教えてくれたんよ』

 情報の横流しでは、と陽川は頬に冷や汗を流す。

 関連性を唱えれば、のらりくらりとかわせるだろうと、下手すれば上層部からの雷案件だ。出しゃばりすぎだと懲戒解雇処分になりかねない。定年退職が迫っているからこそ、出しゃばるのは危なすぎる。

『まあそれでさ、なんでもよ。検死した時にさ、妙な痕跡や異物があったそうなんだよ』

「痕跡に異物、ですか?」

『おう、最初は生理用品だろうって思ったけど、妙に違うし、その女性、最近になって出産してんだ。それも何回も』

「男性とつきあいがあったと?」

 妊娠を契機に男から捨てられるなど珍しいことではない。

 実際、樹海付近を警ら中に置き去りとされた女性を保護した経験があった。

 流れからして男二人のどちらかが怪しいことになる。

 濃霧に便乗して女を山中に捨てた案件が脳裏に浮かんだ。

『別の署の担当者が知り合いでさ、行方不明時に人間関係あれこれ調べてたのよ。その時の情報教えてもらったんだよ。今時の子らしく、男二人、今も童貞だって居酒屋で嘆いていたそうだ。かといって女の周囲を探ろうと男の影はなし。なんだかんだ三人で男女関係なくワイワイ動画やってるのが楽しかったみたいだな。話を戻すぞ。出産経験があったこと。これはいい。別に珍しいことじゃねえ。問題は子宮の奥、卵巣当たりに無数の糸が絡まっていたことだ。最初は生理用品かと思ったみたいだけどよ、どうもおかしいって調べたそうよ。そしたらびっくり、糸の先が血管や神経と結合していたんだってよ』

「そ、そんなことありえるんですか?」

『わからん。だが事実だ。あいつは嘘の検死なんてしねえ。それにだ。遺体の破損状況もおかしいときた』

「飛び降りだったんでしょう?」

『ああ、飛び降りだ。野暮なこと聞くが、人間、不意に高いところから飛び降りちまったらどうする?』

「ま、まあ、頭を守りますね」

『ああ、普通は守る。咄嗟に腕で守ろうとするから、飛び降りた場合、腕の損壊が激しくなる。腕で守ったから即死から瀕死になったなんて珍しくねえ。けどよ、死因は頭部損壊が原因だ。飛び降りた際、何故か、頭部じゃなくて腹部を守っていたみたいなんだよ』

「それじゃまるで、お腹に何かいたってことですか?」

『それもわからん。一応、子宮ら辺は調べたそうだが、糸があったこと、その糸が血管や神経と結合していたことだ。錯乱による想像妊娠や薬物って話なら収まりつくが、血液中に薬物反応はねえ。さっぱりときた』

「糸の成分とかわかりましたか?」

『おうよ、そっちもバッチリときた。人工繊維でも植物繊維でもねえ、タンパク質でできているそうだ』

「タンパク質」

 ふと陽川の脳裏で、何か繋がった気がした。

 今はまだ霧のように深く、陰影しか見えない。

 見えないが、先に見た動画、紘真の左腕の傷跡に反応する糸、そして霧鷹山といくつも線と線が浮かぶ度、一本の線が繋いでいく。

「もしかして、その糸、カイコの糸なんじゃないんですか?」

『カイコって生糸のか? 確かに霧鷹山は、昔、生糸の生産地だったが、関連あるのか?』

「わかりません。ですけど、現場にも糸らしきものがあったんです。五島の潜伏先の可能性も捨て切れません」

『そりゃ被害者の髪の毛が犯人の衣服にひっついていた例はあるけどよ、髪の毛って移動するもんだし、生糸なんてもうやってねえだろう。しっかし、それだと霧鷹山に行くのか?』

「状況的に行かねば、ならなさそ、う、で」

 陽川は語尾をすぼませる。なぜなら、紘真と柊の二人の目が強く訴えかけているからだ。

 私人として、安否が気になるのはわかる。一方で、公人として一般人を危険な地域に踏み込ませるべきではないと警告してくる。

 数瞬の思考は、平久からの予想外の発言にて現に引き戻された。

『あい、わかった。ちぃと掛け合ってみるわ』

「はい?」

 らしくもない声を出しまった陽川は、精進が足りないと痛感した。

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