第25話 痛覚ーサナギー

 病院を飛び出した紘真はパトカーの後部席に乗っていた。

 検査や警察の事情聴衆があろうと、時間が惜しい。

 一応、病院脱走になるが警察と同行するため、千野会長が上手く話をつけてくれるのを祈っていたりする。

 助手席に座る陽川はスマートフォンを手に、どこかへ通話している。

 ハンドルを握る警察官が、時折バックミラー越しに視線を向けてくるが、その都度、紘真は愛想笑いで返す。

 事件の関係者だと理解しているようだが、現場に連れて行くのが理解されがたいのは承知の上。それを承知でパトカーに乗せてくれた陽川には感謝したい。

「確認がとれた。橋峰大学で助教授の行方がわからなくなっているそうだ。君の言葉通り、六階にある研究室の外窓や雨樋に手形や靴跡が発見された。このやり方まるで」

「間違いなく五島だと思います。ですけど」

「ああ、何故、昨日今日と続いてさらったのか、合点が行かない。誘拐は身代金目当てだ。だが、今なお電話一つ手紙一つない。大学生の件と同じ。五島に連れ去られたとしても、五島一人では無理がある。協力者が居れば別だが」

「そういえば、五島と一緒にいた女性の身元わかりましたか?」

「いや、足跡は追っているが」

 陽川の言葉は苦々しさに染まっていた。それは当然、紘真にも向けられる。

「一応、事件の関係者として同行を許しているが、あくまで君は被害者だ。警察として、連れ去られた子が心配なのはわかる。わかるが、これ以上、首を突っ込むのは看過できない」

 陽川は言葉にしなかったが、公務執行妨害にして事件から遠ざけると言っているように聞こえた。

「わかってます。ですけど、今は事件解決に手がかりが必要なんでしょう? 青川さんには、どうしても確認したいことがあるんです」

「それはなんだい?」

「すいません。非科学的なことだから、今はいえません」

 確証がない証言は所詮、虚言。

 陽川は眉根を潜めるが、紘真とて我が目を疑っていたりする。

 科学的に、生物学的にあり得るのか。

 だからこそ、昆虫学者である青川に確認をとろうと連絡を入れた。

(そうだ。五島の目を誰が信じる)

 あの夜、サングラスから露わとなった五島の顔。

 鮮烈なあまり記憶に焼きついて離れず、底冷えさせる。

 今でも一夜の夢だと現実が錯覚だと修正を入れてくる。


 ――眼球があるべき一対の目は、昆虫にある複眼であったことに。 


 紘真は陽川と共に橋峰大学にたどり着いた。

 そのまま研究棟にある青川の研究室に急いで向かう。

 現場にたどり着いた時、非常線が張られた研究室の惨状に驚愕する。

 あの山小屋で目撃したように室内は荒れに荒らされていた。

 棚や机はひっくり返され、昆虫標本や本を床に散乱させれば、壁には鋭利な刃物で切り裂かれたであろう痕跡すらある。

 分厚い学術書にはドリルで開けたような穴が開いている。

 ノートパソコンに至れば真っ二つときた。

 何より紘真たちを困惑させるのが、慌てるように倒れた戸棚や飼育箱を漁る柊だ。

「ない! ない! なんでないの!」

 現場検証をしていた警察が止めるも、その声が届かぬほど焦燥に駆られるように慌てていた。

「柊さん、どうしたんですか!」

「か、嘉賀くん」

 紘真の姿を見て一旦は落ち着く柊だが、沈み込むように両膝をつく。

 酷く、落胆しており、頬に一筋の涙が落ちる。

「お初お目にかかります。警視庁捜査一課の陽川です。先日は同課の者がお伺いいたしましたが、一体何がないのですか?」

 警察として何かが研究室から盗まれたと考えて妥当だろうと、柊の精神状態からして聞き取りは難しい。

 これは青川の上司にあたる教授に事情を聞くのが流れからして妥当かもしれない。

「もしかして、あの夜に言っていた発表絡みですか?」

 紘真は思い出すように聞いていた。

 柊は愕然とした表情だが、無言で頷き返してくれた。

「嘉賀くん、発表とは?」

 青川は助教授だ。昆虫学者として何らかの発表があるのだろう。

「えっと、ですね」

 話を降られて困惑する紘真。

 柊は顔をうつむかせながらも、眼球を動かしている。周囲に警察関係者+一人しかいないと知るとぽつりぽつりと話し出す。

「蛹よ。蛹が、ないの。厳重に保管していたのに、それがないの!」

 柊の全身が震えている。悲しみと悔しさが入り交じった震えだった。

「まさか、世紀の大発表って!」

「その通りよ。力弥くんのフィールドワークに同行した際、古い地層から仮死状態の蛹を三つ見つけたの。形も大きさも見たことのない。DNAに符合するのは蛾であることだけ。だから力弥くん、根気よく羽化させようと試行錯誤を重ねていたの」

 もし羽化できれば、正確な品種が判明する。

 新種か、亜種か、もしくは絶滅種か。背中を押してくれた教授の力添えもあり、研究は順調に進んでいた。

 当然のこと、蛹について知るのは、部外者の柊を除いて学内では上司にあたる教授一人のみ。

 研究者は自由に研究できるイメージが強いが、研究資金は雀の涙。成果一つは万の失敗で成り立っている。現場の苦心を知らぬ政治家や大学側は、成功する研究だけさせればいいだろうと、何かと理由を付けて予算を減らしてくる。

 研究一辺倒で飯は食えぬ時代であった。

 上なる立場を利用して教授が生徒の論文を盗用するなど珍しくなく、検体たる蛹を青川が秘匿していたのも、他の職員からの妨害及び窃盗を警戒しての理由だった。

「一週間前よ。今まで外部反応のない蛹がピクリと動いたの。このまま行けば近日中に羽化できる。私も気になって、ちょくちょく研究室に足を運んでいたわ」

「五島が盗んだ? いや、火事場泥棒である可能性も」

 研究者不在の隙を突いて、大学関係者が、かすめ取った可能性もあり、陽川は警察として否定できない。

 先んじて捜査に訪れた警察の話を聞くには、現在、周囲の防犯カメラを洗い出している最中だとか。

「ねえ、柊さん、一つ聞きますけど、蛹を見つけた地層、もしかして霧鷹山だったりします?」

 紘真はあてずっぽで言った訳ではない。あの夜の会話内容を思い出してであった。

「え、ええ、そうよ。よくわかったわね」

「あの夜の会話と現状をすりあわせ、痛った!」

 言い終えかけた紘真の左腕にまたしても静電気のような痛みが走る。

 これで何度目かと、原因不明の痛みに左手を振るった時、指先に半透明の糸が絡まっていると気づく。

「糸?」

 光に反射しなければ見えにくい糸。瞬間、山小屋や昨晩の記憶が呼び起こされる。

「まさか、ね」

 右手で糸を掴んでは左の指先から離す。周囲からの怪訝な目線は痛いが、確かめたいことがあった。

 掴んだ糸を捨てず、今度はゆっくりと左手に近づける。

「ピリピリする」

 まるで冬場の静電気のようにピリピリした痛みが走る。

 そのまま左袖をまくれば、傷跡をなぞるように糸を表皮に触れさせた。

「やっぱりだ。なんでだ?」

 傷跡に静電気のような痛みが走る。

 今度は反対の右腕だと糸を持ち替える。当然のこと、糸が触れた指先に同じような痛みが走るも、傷跡のない右腕には痛みが走らない。

「何をしているの? それにその傷跡」

「えっと実験でして、なんというか、この糸に触れると、静電気みたいな痛みが走るんです。あ、これは昔、クマに襲われた時にできたものです」

「なんで痛みが?」

「それは俺も知りたいです」

「糸? そういえば」

 困惑気味に柊へ説明する紘真を横に、陽川は野田殺しの現場マンションを思い出す。糸といえば、ベランダに立ち入った際、腕に絡まったのを覚えている。あの時は、風で流れてきた蜘蛛の糸かと思って捨てていた。

「それに!」

 陽川は思い出すようにスマートフォンを出していた。

 同じ山だからと念を入れ、捜査資料として保存していた動画を再生する。

 三人の動画配信者が配信中に行方不明となった動画。

 うち一人が、下山中の紘真たちにより発見され、病院に搬送されるも、錯乱による飛び降りにて死亡していた。

「嘉賀くん、柊さん、このシーンを確認してください」

 見せるのは、配信者三人が飛んできた一本糸にひっかかったシーン。

「偶然だと思いますか?」

 柊は合点行かない顔だが、紘真は目尻を鋭くしている。

 現場に残されていた糸。配信者三人にからまった糸。紘真が痛みを発した糸。ただの糸にしか見えずとも、関連性はあるはずだ。

「あ、失礼します」

 陽川は動画から通話へとスマートフォンを切り替える。

 着信者は平久。近所の聞き込みから進展があったのか、機器を左耳にあてる。

『おう、俺だ。そっちはどうだ? あぁ? 今大学だあ? あの学者先生のところだと? お前な、病院に少年の聞き取りに行ったんじゃないのか?』

「ええ、ですから」

 平久の声は若干膨れている。

 ああ、これは少し怒っているなと思いながら、陽川は脳内で要点を簡素にまとめてから、状況を伝えるのであった。

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