第24話 意地ーワガママー
「目覚めたか」
紘真が知らない天井で目を覚ました時、鼓膜を揺さぶる老齢した声。
樹木が年輪を重ねて幹を太くするみたく、年齢を重ねに重ねようと老い知らぬ太い声。
顔を横に動かせば、紋付き袴の老人が堂々とした姿で病院のイスに座っている。
ただの安っぽいイスなのに、当人が放つ貫禄のせいで玉座に見えてしまう。
「えっ、ええ、お久しぶりです。
疼痛にうめきながら紘真は、老人の名を口にした。
千野耕四郎。年齢九三歳、千野グループにて会長を務める汐香の曾祖父。
一〇年前の事故以来、交流があり、亡き祖父と休暇には渓流釣りに行っていたほどだ。老いを感じさせぬ厳つい顔立ちだが、曾孫にはだだ甘い一面がある。血縁のない勇磨を実の曾孫のようにかわいがる姿は同一人物と疑うほど。
「派手にやられたそうだな」
紘真は表情一つ軋ませず、何一つ言い返さない。
事実故、否定せず、ベッドで身体を横にしたまま、顔を千野に向けて視線を逸らさずにいる。
「おじさんたちは?」
「無事だ。今は検査を受け取る。それで、お前はどうするつもりだ?」
千野の老い知らぬ力強い目が紘真に問いかける。
誰かに事態を解決してもらうまで座して待つか。
それとも自ら行動して解決に導くか。
「俺は……」
身体は不思議と動く。
激しい殴打を受けたはずが、身体にはアザ一つ見あたらない。左腕に若干の痺れが走るも、寝ていたからだと片づける。
疑問を抱くのは後回し。
今は、己が何を選択し、何を成すべきかだ。
「汐香を助け出します」
選択肢などない。元から一つ。
「あの子は、ゆーちゃんは幸せにならないといけないんだ。赤子の時に親を亡くし、自身はその立場故、親戚から狙われる。爛漫に振る舞っていますけど、心の内では誰かに甘えたい。それを滅多に表に出していません。確かに生きていく上で縛りは出てきます。けど、縛られていると不幸はイコールじゃない。あの子には、あの子の人生があるんです。財閥だろうと、姉だろうと関係なく、あの子の人生はあの子が選んで進むべきなんです」
「若造、人一人で進めるほど、人生は甘くないぞ?」
年齢を重ねた故の重き言葉だろうと、紘真は臆することはない。
「そうでしょうね。生前の祖父も言ってました。現場にて命を助けるため奮闘しても、助けられなかった命を何度も目の当たりにしてきたと。自分だってそうでした。一〇年前だって赤子一人を助けるのに手一杯で、汐香のご両親を助けることができなかった。別に驕ってなんかいません。ただ託されたからこそ、最後までやり通したいだけなんです。先行く輩として、兄貴分として、妹分が幸せになるのを手助けすると」
「男の意地か?」
「いえ、男のわがままです」
汐香の好意を紘真は、男として理解している。
理解しているが、幼き故に愛情と友情を混同しているだけだ。
今はまだ色々と足りないかもしれない。
成長する過程で、ゆっくり歩くような速さで学んで行けばいい。
自ずと、何が大切か、誰を大切にしたいか、出会うべきして出会う未来に至れるはずだ。
だから――
「未来を奪うのは許されない」
「口では何度でもいえる。何でもいえる」
現実とは不条理で理不尽で、ままならない。
千野の言葉には年齢と共に重ねてきた経験があった。
「でしょうね。それで、犯人から連絡はありましたか?」
千野は重く首を横に振るうだけであった。
身代金目的ならば連絡あるはずだが、その連絡すらない。
病室備え付けの壁かけ時計を見れば時刻は一四時を過ぎている。
時間が経てば経つほど、汐香の身の安全は危機に晒される。
日本国内に置いて誘拐事件の成功率が低かろうと、だ。
「さて、どうするかな」
自問する紘真に千野の眼光が強まる。
射抜くような目だろうと、あの時の五島の目と比べればガラス玉。
唯一の血縁者であり、孫息子夫婦の忘れ形見が危機的状況。
曾祖父として、居ても立ってもいられないはず。
だが、闇雲に動いては時間と体力を浪費するだけ。
手がかりが欲しい。
文字通り、汐香に繋がる糸口があればいい。
「糸、そうか」
専門家に尋ねるのが吉。
それがゼロに近い可能性であろうと。
当然だが、紘真のスマートフォンは自宅に置き去り。
よって病院の公衆電話を使用する。
使用するには硬貨が必要だが、千野(※正確にはその秘書)から借りた。
「繋がらないな」
通話は繋がらない。
フィールドワークに出向いているのだろうか。
ならばと、次なる手段として、行き先に詳しいであろう関係者にかける。
数秒のコール音の後、相手は出た。
『はい、柊ですけど、どちら様ですか?』
「あ、柊さん! 俺です! 嘉賀紘真です!」
警戒を帯びた声だったが、相手が紘真だと知って声が緩む。
『嘉賀くん、どうしたの? あ、ちょっと待ってください』
拾われる音声がどこか騒がしい。誰かと話している様子であり、外回りの最中で駅構内にいるのか。
『せっかくかけてきて悪いんだけど、今手が放せないの。後にしてもらえないかな?』
「火急の用件なんです。青川さんはいますか?」
『ごめん、力弥くんは……い、今いないの。だから――』
声音が緊張と焦燥に染まっている。受話器の向こう側は騒がしく、ふと複数の声を紘真は耳朶に掴んだ。
『こりゃ酷い。どんだけ暴れたらこうなるんだ』
『誰一人目撃してないってのは変だろう。どっから入ってきたんだ?』
『学生が単位取れない腹いせに暴れたとか話はあるが、こりゃまたな』
この声に紘真は両目を見開き、気づけば強い口調で言っていた。
「柊さん、今居るのもしかして青川さんの研究室ですか?」
『え、ええ、そうだけど』
言葉尻が重い。この瞬間、紘真の中で今までの事件がリフレインした。
「もしかして青川さん、五島に連れ去られていません?」
『ご、五島って、あの時、山小屋に押し掛けてきた?』
「そうです。警察がいるなら聞いてみてください。その部屋が何階かわかりませんけど、外にある雨樋とか窓枠に手形や足跡はないか」
大学生グループである野田は、上階だろうと侵入を許し殺害されていた。
昨晩、千野家の家族団らん際、五島は二階の窓から侵入し、汐香を連れ去った。
高所から侵入する手はずが酷似している。
何故、野田は殺され、汐香は誘拐されたのか、その差異はわからない。
わからずとも、見えていない関連性があるはずだ。
一端、通話から柊の声が消える。間をおいてから声が騒がしくなった。
『か、嘉賀くん、あったわ。手形と靴痕』
柊の声が震えている。マイクの拾う声が、更に騒がしくなる。
廊下に出たのだろう。足音らしき音が反響していた。
『なんでわかったの?』
「こっちも同じ状況なんです。ニュースは見ましたか? あ、見てない。隣の家の子供が誘拐されたんです。さらったのは五島、抵抗したんですけど、やられて今病院にいるんです」
紘真は事の顛末を簡素に説明する。
だから解せない。子供を誘拐するのは、力が弱く、抵抗されにくいからだ。仮に逃げ出されようと、大人の足では優に追いつくことができる。一方で大人の誘拐は合理的に乏しい。抵抗に逃走を踏まえればリスクが多すぎる。証言能力も子供より大人のほうが取り上げられやすい。
「電話じゃ埒があかないので、今からそっちに向かいます。今居るのは青川さんの研究室、確か、橋峰大学ですよね。はい、それじゃまた後で!」
勢いに任せて言うだけ言えば紘真は通話を終える。
コードに繋がった受話器を固定電話本体に戻すのも忘れない。
意気込んだはいいが、スマートフォンどころか財布一つない着の身着のままの状態。
電車やバスを乗り継いで迎えるが、向かうためには、家へ端末や財布を取りに戻る必要がある。
「マスコミ、いるよな」
マスコミは苦手だ。一〇年前、赤子を助けた子供として、四六時中マスコミから追いかけられたイヤな記憶がある。
通学下校はおろか、キャンプ地にまで押し掛け迷惑千万。
子供だから舐めているのだろう。祖父相手には強気に出なかったが、孫は別腹と言わんばかりだ。
誘拐事件の当事者として、マスコミに囲まれるのは明白だった。
「耕四郎さんに頼んで車を出し、て、か、おっ?」
ふと紘真の背後を見覚えあるスーツ姿の男性が通り過ぎた。
こちらが気づいたように、相手もまた紘真に気づいたのか、足を止めて振り返る。
「いた!」
男性の正体は警視庁捜査一家の陽川警部補。
十中八九、事情聴取に訪れたのだろう。
地獄に仏とはまさにこのことだ。
「行きましょう!」
「えっ! なにを! ちょっと、腕引っ張らないで!」
有無をいわさず袖を引っ張ったのだから陽川は困惑していた。
※すぐさま謝罪と説明をしっかりする紘真であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます