第27話 決意ーエガオー
「いい加減にしなさい!」
乾いた破裂音が室内に響く。
紘真は焼けるように走る痛みに顔をしかめるが、目尻に涙一つ浮かべない。
その頬を張ったのは千野香子。
片腕をギブスで覆った夫の祐介は、どうにか妻をたしなめようとする。
誘拐事件を担当する警察官たちは、女性の張り手に、苦い顔で顔を見合わせるしかない。
勇磨が目撃することなく、泣き疲れて自室で眠っているのは不幸中の幸いだろう。
「今から霧鷹山に行く? バカも休み休みに言いなさい! 汐香が心配なのはわかる! わかるわ! けど、あなた一人行って解決できる問題じゃないのよ! 警察に任せておきなさい!」
声と目尻を震わせながら香子は、紘真を叱りつける。
千野家に戻り、山に行くと打ち明ければ放たれた一手。
日頃から、子供たちを叱ることはあろうと、手を挙げることのない優しい人が手をあげた。
それも幼き頃から交流がある隣家の子に、だ。
余所の家の子を叱りつけるだけでも勇気がいるというのに、手をあげるなど普段ではあり得なかった。
「紘真くん、香子さんの言うとおりだ。君が行く必要なんてないんじゃないのかい? 仮に捜査協力だとしても、それは土地勘のある地元の人間に任せればいいはずだ」
俯き肩を震わせる香子に寄り添いながら祐介は言う。
紘真は、夫婦に何も言わない。腫れた頬に手を添えることもない。
ただ、その目は真摯なまでにまっすぐだった。
「そうかもしれません。いえ、本来ならそれが正しいのでしょう」
紘真は千野夫婦から目を離さず、ゆっくりとした口調で話し出す。
「一〇年前です。おじいちゃんと二人でキャンプに行った先で墜落事故を目撃した。後は、二人の知ってるとおり、汐香を託された」
「君は十分にやっている。汐香の兄としてしっかりやってくれている」
「そうですね。ですけど、俺が山に向かう理由はそれだけじゃないんです」
「なら、なんなの?」
「笑顔ですよ。家族の笑顔を取り戻したいんです」
紘真は忘れなかった。忘れられるはずがなかった。
物心ついた頃には、隣家に千野夫婦が住んでいた。
両親や祖父が不在の時、幼き紘真の面倒をよく見てくれた。
実子のように笑顔で接してくれたが、その笑顔の影に幼き紘真は気づいていた。
夫婦は子供を望もうと子供に恵まれなかった。
どうして自分たちに子供ができないのか、という寂しさと悔しさ、そして子供がいる家庭への嫉妬という影に。
だけど、夫婦はそれを一言も外に漏らすことはなかった。内であろうと互いを責め合うこともなかった。
二人が誰よりも優しかったからだ。
「汐香が家に来てから、二人は心の底から笑うようになった。それから勇磨が生まれて、家庭は明るくなった。だから、俺は行くんです」
託されたからこそ、最後まで関わり続ける。
未来の婿や兄貴分は関係ない。
これは単に一人の男のわがままだ。
「それに、少し案内するだけです。警察も山に詳しい人を用意してくれるそうですから」
紘真とて、話がとんとん拍子に進むのに内心驚いたりする。
なんでも陽川の教育係である平久が縁や伝手を使って、人を集めてくれたらしい。
名目上は捜査協力。
容疑者である五島が猟銃で武装している危険性もあるが故に。
「だから、俺は行きます。許しをもらおうなんて思っていません。行くから行くんです」
「そんな子供のわがまま!」
「いえ、男の
臆せず紘真は、はっきりと言った。
揺るがぬ紘真に、桜子は膝を付いて、声を詰まらせる。
「汐香と一緒に帰ってきますから、その時は家族で出迎えてください」
伝えたいことは伝えた。
後は行動で示すのみ。
左腕を無意識に握りしめた紘真は、夫婦二人の顔を見ることなく家を出る。
これ以上、二人の側にいれば決意が鈍るからだ。
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