第三章:霧の山、再び

第28話 落下ーライホウー

 霧鷹山は今日もまた霧に包まれていた。

「昼間から霧なんておかしいだろう」

 登山ウェア一式に着替えた紘真は、五里霧中の山道にひとりごちる。

 新調したウェアの初着用が、行楽ではなく探索なのに今は考えない。

「そうよね。霧鷹山は夜に霧が出ることで有名なのに、異常気象の影響かしら?」

 同じように登山ウェア姿の柊が頷いた。

 そも何故、霧鷹山だけよく霧に包まれる原理は、土地柄か、それとも標高なのかと今でなお判明としていなかったりする。

「おかしいな、話では登山口前にいると聞いていたのだが」

 その中でただ一人スーツにコート姿の陽川。

 スマートフォンを手に連絡を取ろうと、繋がらず困惑する。

「遅参ですか?」

「いえ、我々がここに到着する五分ほど前、登山口に到着したと連絡があったんです」

 困惑顔の陽川は紘真に返す。

 登山口前に設けられた駐車場にはパトカーが二台、軽トラックが三台が駐車されている。そのうち一台は陽川が運転してきた車だ。陽川はパトカーに近づき、車内を確認しながら手の甲をボンネットに触れる。まだエンジンは、ほんのり温かい。最近まで動いていた証拠だ。鍵は開いており、車内無線機を使って派遣元の署と連絡を取った。

「はい、はい。そうですか。ありがとうございました」

「どうでした?」

「こちらに派遣されたのは間違いないようです。後、害獣対策として猟友会からも三名ほど人をよこしてもらったそうですが、もしや連絡の行き違いで先に行ったのか?」

 考え悩んでも仕方がない。

 その場に立ち続けていても、霧と謎が晴れる事はないのだから。

「まず先に芝浦さんの山小屋に行ってみましょう。山がこんな状態です。何か知っているかもしれません」

「それが、妥当か」

 紘真の提案に陽川は苦い決断をする。

 あくまで案内人であり証人、先んじて行動させるべきではない。

 かといって土地勘もなく初めて踏み入る地故、陽川一人では下手に動けない現状がある。

 加えて増員を希望したいが、事件捜査の名目にてコネやツテで無理に集めてもらった身、アゴだけの制服組と嫌味を言われるのが見えていた。

(だからこそ私は現場で学んでいる……)

 キャリア組であるのを理由に羨望嫉妬は多い。

 特に独身の婦警――獲物を狙う捕食者のようで内心では引いていたりする。

 平久に相談すれば『親戚紹介するぞ』と課の真ん中で爆弾発言だ。

 お陰で他の部署のお偉いさんのご息女と、お見合いをさせられそうになった。(※多忙を理由に丁重にお断りさせて頂いた)

「それより陽川さん、あれどうするの?」

 ふと柊が小声と目線を向けてきた。

 気を引き締めた陽川は、目線向けた先に顔を向けず素面顔で答える。

「無視が、妥当かと」

 目測で一〇〇メートル、公衆トイレたる建造物の影に複数人の影が見え隠れしている。

 誘拐事件絡みで、千野家へ突撃取材に訪れていたマスコミの一部であった。

「家のほうから、ついてきたんでしょうね。下手するとスクープが撮れると」

 聞いた紘真は両目細めて嫌な顔をする。

「なにいっても聞く耳ないから、無視して行きましょう」

 紘真は不快さを隠さず、早口だ。

 霧は山道口を境界にして、駐車場まで立ちこめていない。

 煙ならぬ霧に撒きたい本音が紘真から駄々洩れであった。

 一〇年前、マスコミに散々辛辣を舐めさせられた経験がある故に。

「ついてきたら、クマさんの餌にでもする?」

「柊さん、冗談でも言わないでください。事後処理が面倒なので」

 柊としては場を和ますジョークなのだろうが、陽川からすれば胃の痛い話である。

 警察とマスコミは切っても切れない縁だろうと、なんやかんやうんぬんかんぬんせっ突かれるパターンが多かったりする。協力者にすると頼もしいが、敵に回すと厄介面倒な相手でしかない。

「クマに食われる絵が撮れるから、いいん――」

 私念混じりの嫌みを口から出した紘真だが、唐突な耳鳴り、左腕から背筋にかけて貫き走る寒気に本能を口走る。

「伏せて!」

 突然叫ぶ紘真に、合点行かぬ陽川と柊。だから紘真は二人の胸元を掴めば、前に引き倒す形で、その身を無理矢理伏せさせた。

「な、なにを!」

「か、嘉賀くん!」

 黒い影が伏した三人の頭上を覆ったのはその直後。影の正体は霧覆われた登山口に飲み込まれる一台のパトカーだった。

「ぱ。パトカーが!」

「また来る!」

 霧の奥がうごめく。プレス機発する圧壊音がするなり、霧に飲み込まれたはずのパトカーが、へし折れた形で舞い戻る。

 耳鳴りは高まり、不快指数と身体を重くさせる。

 先に感じた紘真ですら状況を把握できず、へし折れたパトカーが音を立てて駐車場に部品を散乱させながら横転する。

 公衆トイレの影に潜んでいた影が動く。現れた男がカメラ構えてシャッターを切らんとする。

 パトカーが忽然と消え、へし折られた形で戻ってきた。

 ああ、確かにシャッターチャンスだろう。マスコミの性だろう。

 けれども、写真を撮るならば命を穫られると気づかなかった。

「だ、ダメだ!」

 紘真が叫ぼうと遅かった。カメラを構えていた男が突如として宙に浮かんだと思えば、不可視の手で捕まれたように登山口へ引きずり込まれた。

 悲鳴を上げる暇すらない。同行者たちも何が起こったのか、状況を把握できない。何故なら、間を置かずして誰もが登山口に引き寄せられ、霧の奥に飲み込まれたからだ。

 悲鳴は、聞こえない。不気味なまでの静寂さが鼓膜を刺激する。

「い、今のうちに、物陰に!」

 本能が警鐘を鳴らす。隠れろ、身を潜めろ、命を守れと。

 紘真は背負ったリュックを捨てて、軽トラックの影にはいずり込む。

 陽川と柊も遅れながら、紘真に追いついた。

「今のは一体!」

「人が、引きずり込まれたけど!」

 軽トラックに潜みながら陽川と柊は声と顔をきしませる。

 大の大人が混乱するなと紘真は責められない。

 混乱する大人が目に前にいるお陰で、不思議と冷静でいられる自分を自覚した。

 気づけば、怖気も耳鳴りも嘘のように消えている。

「……クマなんかじゃない」

 だが冷静となった紘真の全身を揺さぶる怖気。指先が震える。呼吸が乱れる。一〇年前の記憶が勝手に想起される。

「そうか、それで合点が行った!」

 何故、先に到着していた警察や猟友会の協力者がいなかったのか。

「誰もが霧の中へと引きずり込まれたんだ……」

 合点が行こうと打開策になりはしない。

「応援を呼ぶしか!」

 警察一人で解決できる範疇を越えている。

 新米で殉職など勘弁被る。

 陽川が眉唾だと思われようと応援要請としてスマートフォンを取り出そうとした時、意識が急激に飛ぶ。気づけば駐車場を眺める高い位置にいた。

「な、なんだと!」

「う、浮いてる!」

「違う、縛られてるんだ!」

 三人が三人、一人も欠けることなく軽トラックの側面に背中を押しつけられる形で宙に浮かんでいた。

 服を介して胸部に伝わる圧迫感に紘真は叫ぶ。

 左腕に静電気の痛みが走る。

「そういう、ことか!」

 軽トラックごと霧に飲み込まれる。背面に押しつけられた車両の金属特有の冷たさと、胸部の締め付け。からくりに気づいた紘真は左ポケットに手を突っ込めば、ジッポライターを取り出した。

 生前、祖父がキャンプで使用していた着火用のライター。

 左腕に走る痛みに従うまま、胸元より少し前に火の先端を近づける。

 ボッ! と不可視の拘束具は炎の形で現れた。

 三人は軽トラックごと身体に巻き付く炎で正体を知る。

「これは、糸か!」

 燃え尽きる線に糸だと陽川は看破する。

 炎は一瞬して走り去り、不可視の糸を燃え消し去る。

 だから、肌や熱さが走ろうと服には一切の焦げがない。

「ちょっと、これってもしかして!」

 拘束が緩み、慣性が緩む状態に柊が緊張を乗せ叫ぶ。

 引き寄せていた不可視の糸が燃え尽きたからこそ起こる現象。

 後は軽トラックを下にして、三人は霧深い森の中に落下していた。

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