第16話 御迎ーキタクー

 警察署の一室にて嘉賀紘真は一服していた。

 当然、一六歳の高校生、未成年故、お茶の一服である。

「ふう~」

 お隣の家で起こった騒動など当人は知らず、温かなお茶を口にする。

 警察の扱いは丁重であった。

 下山途中で遭難者を発見し縛り上げて運搬したこともあってか、当時の状況の詳細を求められたが、何度も経験した強引さはない。

 当時、他にも複数人の登山者がいたのだが、成人済みであったり、保護者が引き取りに来たりと事情聴取が終われば帰宅している。

 紘真がただ一人、警察署に残っているのは単に未成年故、安全性を鑑みて引き取り人が必要だからだ。

「これは買い直しだな」

 椅子にかけられた泥で汚れた黄色のジャケットの左袖に触れる。

 右袖は多少の土汚れがあろうと、左袖は、ひっかかかれたことでズタボロの線が走り、裏地が見え隠れするほど。

 下山途中で発見した遭難者が行った。

 錯乱していたのか、紘真を見るなり、興奮状態で掴みかかっては、爪先で左袖をズタズタに引き裂いた。

 防寒用の厚手の生地が幸をそうして、腕の皮膚には新たな傷は刻まれていない。

「一人だったらもっと酷かっただろうな」

 思い出すように紘真は今一度お茶を一口。

 興奮している遭難者を、数に物を言わせて抑え込んだ。

 同行者たちが持っていたキャンプで使用するロープで身体を縛っては、数人で抱えて、どうにか下山する。

 電波があるのを確認すれば、救急に通報。

 その間にもロープを引きちぎらんと暴れるため肝が幾度となく冷えた。

 特に、目線は常に紘真を捉えて離さず、まるで親の敵を見るような憎悪にまみれた色彩ときた。

 初対面故、まったく身に覚えも心当たりもない。

 同行者たちから、一応聞かれたが本当に記憶にない。

「顔や髪がかなり泥で汚れていたけど、やっぱり、この人で間違いないみたい」

 スマートフォンを起動させれば、動画配信サイトにアクセスする。

 半年前、ニュースになっていたのを覚えている。

 ホラー系配信者三名、遭難、今なお見つからず、の見出しだった。

 霧立ちこめる夜の山に足を踏み入れた配信者三名が生配信中に行方知れずとなる。

 男性二人女性一人の三人組。

 発見されたのは女性だった。

 クマに襲われた説が濃厚だが、どうして無傷なのか、どうして一人だけ生き残ったのか、他の二人の安否は、と詳細を把握したくとも、発見された当人は異常なまでの興奮状態であり、聞き取りが行えないときた。

 良心的に気がかりだが、後はもう病院の仕事だ。

「これも縁か」

 紘真は無意識のまま、左腕を右手で袖に皺ができるほど強く掴んでいた。

 一〇年前、クマに襲われ、今なお二の腕から手首にかけて傷跡が消えずに残っている。

 医者曰く、もう少し前にいたら左腕は二の腕から欠損してたと。

 祖父が助けてくれなければ、今をこうして生きてはいないだろう。

「ん?」

 ふと扉越しに廊下が騒がしくなるのを耳が感じ取る。

 聞き慣れた足音がイの一番に近づいており、紘真は嘆息してしまう。

「コーマ、愛する妻が迎えにきましたわよ!」

 外から勢いよく扉が開かれれば、汐香が堂々と胸を張った姿で入ってきた。

 この部屋まで案内した警察官の生ぬるい視線を受ける紘真は、頭を抑えながら言った。

「ゆーちゃん、きみ、この時間は塾でしょう?」

 またわがまま癇癪起こして、無理に同行してきたのだろう。

 やや遅れて勇磨を抱えた母親・香子がやってきた。

 勇磨と目があえば、元気よく、ヨッと手をあげている。

 こちらは平常運転で安心する。

「ごめんね。紘真くん」

「いえ、謝るのは俺のほうです」

 趣味に巻き込んだようで紘真は良心が痛む。

 家族ぐるみの交流があるとはいえ、後日改めてお礼を伝える必要があった。

 両親にはメッセージを送ってある。心配されたが、問題ないと返信しておいた。

「それじゃお世話になりました」

 警官にお礼を告げた紘真は、上着とリュックを手に取った。

「コーマ、その袖!」

「ケガはないから、きみが気にしなくていいよ」

「ですけど、山が山なんですよ!」

「もう済んだことだし終わったこと。新たに起こったことだよ」

「ですけど、あの山は――」

「帰るよ」

 語気を強めた紘真は汐香を押し留める。

 あまり強く言葉を吐きたくはないが、過去は掘り返すものではない。

 山で遭難するのも、クマに襲われるのも珍しいことではないからだ。

「ほら、帰ろう。家に」

 紘真は、口先をもごもごさせて気落ちする汐香の頭を優しく撫でる。

 気落ちから一転、破顔した汐香は、そのまま左腕に抱きついていた。

「はい、帰りましょう。わたくしたちの愛の巣に」

「言い方!」

「そうよ、ゆーちゃんはこれから塾でしょうが」

 母親に指摘された汐香は、首を落とすように激しく落ち込んだ。

「うん、ぼくはりっぱなおとなにならないと」

 一方で母親に抱えられたままの勇磨は、一人強く頷いていた。

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