第17話 事件ーハジマリー
所属は警視庁捜査一課。
T大をストレートで合格・卒業し国家一種試験に合格した所謂、キャリア警察官。
キャリア組だろうと新人であり、上層部の指示にて現場を学んでいる。
実際に何度も現場に立つことで、ドラマのようにきれいに終わるものでも、きれいなものでもない現実を痛感させられる。
土砂降りの中での張り込みから、刃物を持った暴漢の確保、窃盗、○暴の相手などきれいごとではすまされない現実ばかり。
撃たれた、切られた、刺された、殴られたなど、人体の損傷を間近で見てきたが、今回の現場、まずテレビでは放送できぬときた。
現在、陽川は、胃よりこみ上げるモノをどうに押し込む最中であった。
「うっぷっ」
酸っぱい味覚が口の中を不快に刺激し、現場に立ちこめる血臭が後押しするが、どうにか持ちこたえる。
「おうおう、大丈夫か?」
陽川の指導係である初老の刑事、
今年で定年を迎える刑事。日頃は物腰落ち着いた人物に見えるが、事件となれば鋭い眼光で現場を入念に調べまわり、解決に繋がる痕跡を見つけだすベテラン刑事だ。
上にいる大学時代の先輩たちから、しっかり彼から学ぶよう厳命されていた。
「無理すんなよ。長年警察やってる俺だって、こんな現場は生まれて初めてだ。吐いてもいいが弱音だけにしろよ。なにしろ現場を汚さずに済むからな」
「は、はい、大丈夫です」
口元を拭いながら陽川は返す。
返しながら、今回の事件について反芻する。
(被害者は、このマンションに住む大学生、遠山和貴。二〇歳の男性だ。登山サークルに所属し、日頃から身体を鍛えんとランニングしている姿を近隣住民が目撃している。通報があったのは今日の正午。同じ大学の学友からだ。単位取得に必要な講義を欠席したのが気になり、連絡を入れるも不通、気になり部屋を訪れれば、リビングにて血だらけで仰向けとなった学友を発見した)
現場は二〇階建て、1LDKの学生用マンション。
周囲に大学が多いため、学生向けの賃貸物件は多い。
そして、現場は最上階の一室ときた。
一介の学生が、高そうな物件に住めているのは、単に実家が裕福な理由であった。
「トメさんや、死因分かる?」
「こりゃ滅多刺しによる失血性のショック死だな。無傷なのは首から上だけ。えんらい鋭い刃物で刺したようだけど、床まで貫通してるときた。この手のサイズは日本刀以外ないぞ。怨恨かね~?」
トメさんと呼ばれた年輩の鑑識男性が淡々と答える。
現場の遺留品から犯罪の証拠を見つけだす鑑識だからこそ、場数を踏んだ声だ。
陽川は改めて被害者と向き合った。
こみ上げるのは胃酸ではなく義憤だ。
人間、どうしてそこまでやれるのか。警察としてではなく人間としての感情が強く出る。
目尻に感情がこもっていると自覚した時、平久から背中を叩かれた。
「おい、新人、あんまり感情的になるな。力入れすぎるとブッ壊れるぞ」
「わかっていますが」
「わかってねえな。俺たち警察の仕事は怨念返しとか敵討ちじゃねえよ。犯人をとっ捕まえて法で縛り上げることだ。あんまり感情的すぎると、見えるものが見えなくなるぞ」
勘で動くな。現場の断片を集めろ。縁を手繰れ。動け!
それが平久が、現場で口にする言葉だった。
資料として事件情報を頭に入れていようと、血の匂い、遺族の涙、被害者の苦痛は資料に記載されない。
直に現場に踏み入れなければ、到底知ることができないドラマにはない確かな現実だ。
「一つ目ではなく二つ目で見ろ、ですね」
「おうよ、一つに執着するな。広い目で見ろってことだ」
陽川は目尻から力が抜けていくのを感じ取る。
陽川を見上げていた平久は仕切り直すように聞いた。
「では問題だ新人。玄関には鍵とチェーンがかかっていた。だが、室内で犯行が行われた。犯人はどこから入って、どこから出たんだ?」
「おうおう、新人育成は面倒だと散々グチっていたイチさんがまじめにやってるよ」
「トメさんや、茶化すなっての、さあ、新人、答えて見ろ」
「そう、ですね」
刑事と鑑識のやりとりを横目に陽川は現場を見渡した。
1LDK、フローリングの内装。男の一人暮らしの割に室内の清掃は行き届いている。壁際には収納されたテントなどアウトドア用具や衣服の収納棚が置かれている。本棚には建築関連の書籍とアウトドア関連の書籍が覇を競い合うように収納されていた。
一人で使用するには大きすぎるテーブルは、脚を折り畳まれた状態で別の壁際に置かれている。床に転がるスマートフォンとタブレット端末はまっぷたつにへし折られ、飛び血で汚れていた。
あの破損では端末から情報を得るのは難しいかも知れない。
「ここは二〇階です。周囲にはこの手の高い建造物は多い。加えて、玄関ドアの鍵は開いてなくても、逆にベランダの鍵は開いていた。つまりは……」
他の鑑識の邪魔にならぬよう陽川はベランダに出る。
ベランダを喫煙所代わりにしていたのか、一斗缶で作った吸い殻入れが置かれている。
また、未開封のタバコとライターが排水溝手前に転がっていた。
そのままベランダから顔を出せば、縁にある靴跡と排水パイプについた手形を指摘した。
よく見れば、二重の痕跡となっているのが分かる。
「ん?」
ふと左手首にくすぐったさが走る。
袖口から手袋をした手の甲にかけて、半透明な糸がひっかかり、太陽光の反射で存在を示している。
蜘蛛の糸だろう。指先で掴んでは風に流す。
「その通りよ、新人。この手の侵入は窃盗で多いんだよ。高いから安全って意識を逆手に取って隣のビルから屋上伝いに侵入するんだ」
「一ヶ月前でしたか、高層マンションで覗きの現行犯を確保した時、ロープで身体を吊していましたね」
「あ~あれね。自分の身体を吊したのは良いけど、自分で登りも降りもできず俺らが来るまで、蓑虫みたいにぶら下がってたマヌケ。とまあ、それはさておき、お前ら、どうだったか?」
玄関ドアが開かれる音がすると同時、平久は戻ってきた刑事たちに声をかけた。
彼の者たちには、このビル及び周辺店舗に設置された防犯カメラの確認を任せていた。
「平久刑事、周辺の防犯カメラを確認終わりました」
「んで、どうだった?」
「昨夜の一〇時過ぎ、駅前にてサークル仲間と解散している姿が確認できました。そのまま一人、寄り道することなく、まっすぐこのビルに向かっています。ですが、これを見て欲しいんです」
取り出した端末に表示される映像データ。
駅の改札口から、このビルに向かう被害者の姿がはっきり映っている。
だが鋭く細めた平久の目は被害者ではなく、その後方を歩く男を捉えて離さない。
足取りは何気ないが、映像越しだろうと、男の目は常に被害者から離さずにいる。
「後をつけていますね、これ」
陽川もまた気づき口にする。
人混みに紛れようと、帽子とサングラス姿の三〇半ばの男が被害者の後をつけている。
夜でも周囲の街灯があってか、映像の精度は高く、はっきりと顔立ちが確認できた。
「ん~どっかで見た顔つきだが、あ~ここまできてんだがな」
平久は眉間に皺を寄せながら、胸部に手を当てている。この前は下腹部だったなと、どうでもいいことを陽川は思い出す。
「確かに、どこかで」
ただ同じように陽川も男に既視感を走らせる。別件で会ったか、あるいは資料か、と推考した時、遮るように平久の携帯端末が鳴り響いた。
「あいよ、俺だ。おう、大学のほうでの聞き取りどうだったか?」
大学に派遣した刑事からの連絡であった。被害者の死因は怨恨の線が濃厚だとして、大学での交流関係を調べるため向かわせていた。サークル仲間から事情を把握できればと思いながら報告を受ける平久だが、表情は段々と困惑と驚愕が入り交じりながら染まっていく。
「なんだって! 全員が行方不明だと! おう、おう。分かった。お前はそのまま、そっちに残って情報を集めろ。いいな! 先輩同輩後輩、バイト先、関係なくだ! 後、SNSでサークルの活動写真とかあったらこっちに回せ!」
やや早口でまくし立てながら平久は通話を終える。
「こりゃデカい事件になるぞ。下手すると応援頼まんといかん」
「平久刑事、全員が行方不明とは?」
緊張感で、のどが渇く中、陽川は声を落として聞いていた。
「文字通りだよ。サークルメンバー全員、行方知れずだ!」
語られる事実は、陽川に生唾を飲み込ませた。
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