第18話 手帳ーケイサツー

 紘真は何度目かのやりとりに辟易としていた。

 夕方、買い物に行く香子に留守と子守りを任される。

 小さい頃からお世話になっている身、この程度、おやすいご用である。

 ただ、警察署から帰宅してはや二週間、勇磨はともかく汐香の機嫌はすこぶる悪い。

 一人でキャンプに行った、登山に行けなかった、だから今度は連れて行けと、だだをこねては泣き叫ぶ。

 ご機嫌取りと賞味期限間際のお菓子の処分を兼ねて、マシュマロを自宅の庭にて、たき火台の火で焼くことにした。

 いざ、いただきますの、その時、隣家に訪れたしつこい来客。

 女性は民生委員だった。

 庭先で、焼いたマシュマロにビスケットを挟んだ熱々のお菓子をほうばる子供二人と、たき火台の鎮火を見届けながら、紘真は代理としてイヤな顔一つで応対していた。

「ここ一週間で、汐香さんの悲鳴や泣き声が頻繁に聞こえています」

 適当に聞き流すのが吉。民生委員の仕事は、要援護者の調査や実態把握、相談支援を行うこと。

 汐香が、癇癪を起こした翌日、鬼の首をとったかのように即座に訪れる。

 ふさわしくないだの、この家にいるべきではないだと、身勝手な主観で疎ましくやかましく語ってくる。

「誰の差し金か知っているが、証拠もなく、ただの推論、いや邪推を語るのは鏡の前でやってくれる?」

 嫌を込めて紘和は相手に言い返す。言い方が、まるで虐待の実態を隠そうとする毒親である。

「ほんとうに飽きずに来る人ですね。民生委員というのは、わたくしたちの愛の巣をつつくだけの暇なお人なのですか?」

 いつの間にか、紘真のすぐ左隣に汐香がおり、堂々とした口調で呆れている。

 様になっているようだが、汐香の口端にはチョコがついたまま。ともあれ指摘は後回しにした。

「ですが、現に通報だってあるのです」

「お生憎ですが、わたくしは身も心もきれいですよ? もしかして虐待を疑っているのですか? アザなんてどこにあるのです?」

「人前でやめなさい!」

 汐香は論より証拠だと、ワンピーススカートをめくろうとしたが、その手を紘真は掴み、寸前で止める。

「分かりました。ふたりっきりの時にでも」

 阻止されたからか、汐香は、あからさまに顔を赤らめ、紘真から視線を逸らしてきた。

「あーなっちゃダメだわ、うんうん」

 遠巻きに成り行きを見守る勇磨は、お菓子をほうばりながら頷いていた。君、ほんとうに四歳児?

「ですが!」

 保護者不在なのを良いことに全く食い下がらない女性。

 普段なら、千野夫婦に気圧されて黙るのだが、相手が子供だからと調子に乗っている。

 一台の普通乗用車が嘉賀家の前に停まったのは、その時だ。

「お取り込み中失礼します。警察の者ですが、あなたが嘉賀紘真さんでしょうか?」

 車から降りてきたのは初老の男性と二〇台の男性二人だった。

 警察手帳を見せながら民生委員の女性に会釈する。

「あら、イケメンとシブメンですね。まあ紘真よりは六番目でしょうか」

 失礼だと紘真は汐香をたしなめる。

「お邪魔でしたかな??」

 初老の男性は丁寧な口調で女性に接する。女性の目は若干泳いでおり、唇も口ごもるように何度も動いていた。

「こーにい、たいほされるのか?」

「まあ、わたくしのせいで逮捕だなんて、なんて罪作りな旦那様なことで」

「子供の戯言なんで適当に聞き流してください」

 自宅に警察が訪れるなど、思い当たるのは一つしかない。

「もしかして、山での件ですか?」

 救助された女性が、どうなったのか、気がかりであったが、個人情報であるため詳細は知ることができずにいる。

 ニュースで発見され、入院しているとだけは把握していた。

「あのお話はまだ終わっていませんよ!」

 警察の横やりに女性は声を張りつめさせる。

 張りつめた声には焦りがあるようだが、知ったことではない。

 恐らくだが、飼い主からせっつかれているのだろう。

「こちらの方は?」

 男性は丁寧な口調で景真に尋ねてきた。

「ストーカーのように千野家につきまとう自称民生委員。その実態は、とある企業の飼い犬ですわ」

 汐香から抗議の目線が横から放たれようと、紘真自身、間違った言い方だと思っていないため注意しない。

 ただ相手方は、汐香の言い方に、鬼の首を穫ったと言わんばかり攻めてきた。

「そのような言い方を育ませる環境が、ふさわしくないと何度もおっしゃっているんです!」

「なら、どこがふさわしいのですか?」

 香子の声に女性は背中を震わせた。

 買い物から戻っていた香子は、にこやかな笑みだが、ほの暗さを身体にまとっている。

「ゆーちゃんは、汐香は自分の意志で、この家にいるのです。ちゃんと本家のほうから託されています。あなたの言動は本家のご意向を無視しているかと」

「再度、失礼します!」

 相手が悪いと知るや否や、先の威勢はどこへ消えやたら、女性は背を向けて駆け出していた。

 引き際をわきまえているあたり、ある意味では優秀だろう。

 ただ働く先が悪かったとしか言いようがない。

「ひいおじいさまに、しっかりと、お伝えしときますから~」

 遠ざかっていく女性に汐香は手を振りながら伝える。

 紘真が、その指先を見れば、五指ではなく、中指だけをおっ立てている。

 すぐさま掴んでは残る指を広げさせた。

「今度来る時は、結婚式にして欲しいですわね」

 汐香は、紘真により広げさせられた五指で紘真の手を掴み返す。指を絡め合う所謂、恋人繋ぎ、白々しく目線を紘真から逸らしている。

 確信犯に紘真はため息なんて出るはずがない。。

 気落ちするのもほとほとにして、紘真は改めて警察二人と向き合った。

 香子は察してくれたようで、子供二人を家に入るよう促していく。

「大丈夫、この前の山の件だから」

 心配そうに見上げている汐香の頭頂部を紘真は優しくなでる。

 ただ掴んだその手を離してくれるのに一〇分はかかった。

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