第45話 不妊ーオスー
熱風立ちこめる木組みの部屋。
陽川は全裸に腰回りタオル一枚で汗をダラダラと流していた。
その隣には同じ格好の平久だ。
事件解決から早二週間。
報告書完成の労いとして、陽川は平久によりサウナに連れてこられていた――職務中だろうと構わずに。
昭和のドラマでは、密会や情報交換の現場にサウナを利用していると上にいる先輩たちから聞かされたことがあるも若手の立場から、分からないとしか答えられない。
ただ平久の口から語られた一つの話は、裸でなければ聞けないこと、かもしれない。
「娘、ですか?」
陽川は声を強張らせた。
「おうよ、おまえさんたちを助けた本田って猟師、一人娘がいたそうだ。事故で妻を亡くしてから、手塩にかけて育ててたそうよ。家族仲は良くってよ、娘が猟銃の免許とってからは一緒に狩りに行くほどだったそうだ。ただな、三年前に、あの山でクマに襲われて、娘を連れ去られてんだよ」
初めて聞く話だった。
いや警察組織である以上、管轄、いわゆる縄張りがある。
その関係上、合同捜査でない限り情報が共有されることはない。
本庁だろうと相手が情報を出し渋るのは珍しくない話だった。
「クマってのは襲うだけ襲って喰らっては残りを持ち帰るからな。地元でちぃと聞き込みしたんだけどよ。当人は重体でクマに襲われたって証言してんだ。元々、月に二度、三度と山に入るくらいだったのに、娘さんが連れ去られてから、毎日のように山に入るようになったそうだ」
「まさか、本田さんが襲われたのはクマではなく……」
「おまえさんの証言からすれば件の虫人間だろうよ。仇だっていってんなら大正解だ」
とんだ執念である。一度しか顔をあわせていないが、大柄の見かけと裏腹に人の良さが溢れていた。
実際、聞き込みでも、霧で足止めを受けた登山者を老婆が住まう山小屋に案内するほど善人だと誰もが人柄を語っていた。
「いや、だからか」
本田の行動に矛盾はない。
安全のためは間違っていないだろう。化け物が山中にいる。証言しようと誰も信じないだろう。だからこそ、自分のように家族を奪わせないために、安全な地に登山者を案内する。法律的に人がいる場所での発砲は禁止されている。登山者を一カ所に集わせておけば、安全な狩り、いや敵討ちが行える。
「一応、当人に会って話を聞いてみたけどよ、傷も大したことないし、憑き物が落ちたみたいに穏やかだったわ」
娘の無念を晴らせば、当然だろう。
敵討ちを是とするのは警察としてあるまじき考えだが、法が通じぬ相手では、否応に行き着いてしまう。
「それによ、俺さ、思うのよ。今回の事件、オスばっかが原因じゃねえかって」
「オスばかりが原因、ですか?」
平久の発言に陽川は意味が分からず問い返していた。
いや、生物として雄と雌、二種揃って時代の種を成し得るもの。
昨今の多様性やらマイノリティーを唱えようと、種の反映にまで至っていない。至っていれば少子化など起こらない。
「学者先生の証言じゃ、おまえさんが、ほれ、奥で見た女王の前の部屋にいた沢山の死体、見る限りオスばっかりだったとか」
「そういえば……」
思い返せば、キメラの遺骸は、男性特有の喉仏や性器があった。死亡原因はともかく、すべてを調査していないため確証はないが、オスしかいないのなら虫人間の行動に説明が付く。
「女王の死が契機として、種の存亡にさしかかった。残された卵を人間使って孵化させるも、誕生したのはどれもオス。だから新しい母胎、それも次代の女王を生む母胎が必要となった」
小さい子供なのも成長する将来性を見越していたから。
一〇年も前から求め、狙っていたのを考えれば恐るべき執念だ。
いや、生きるのにきれいも汚いもない。
生きたいから生きる。自然界の生き物ならば、なおのこと。
「これはよ、俺の勘なんだけど、その研究者が最後の最後で仕込んだと思うんだよ」
「オスしか生まれなくしたと? 確かに元々蚕蛾の品種改良をしていた人ですからね、改悪するとか記載がありましたけど」
「おめえさん、ウリミバエって知ってるか?」
「ハエの仲間ですか?」
ハネの話を切り出された陽川は苦い顔をする。
虫人間に襲われ追われた身、陽川個人、虫の話はしばらくしたくない
したくないが、縁ができた昆虫学者から結婚式の招待状が届いている。祝福すべき故、断れないし断らない。出席にしっかり丸をつけて送り返している。
「むか~し、台湾から飛んできたハエなんだよ。ゴーヤーとかに寄生して食い散らす害虫でさ、一時は奄美諸島含む琉球列島で生息域を増やしていたんだとさ」
「いた? なら今は?」
「とっくの昔に根絶が確認されてるそうだ。不妊虫っていう虫を放つことでな」
「不妊、つまり子をなせぬようにしたと?」
「そうみたいだぜ。まず大規模な予算、これがどこも同じだな、あはは。まあ大量に虫を生育できる施設とか、隔離された地域とか、条件はあれこれいるみたいだけど、その研究者は最後のあがきに、生まれる虫すべてをオス化するよう仕込んでたんだろう。品種改良でドでかいの作れるくらいだし、オス化するのもできたんだろうさ」
つまりは、あの虫人間の行動はすべて無駄となる。
しかし、と陽川は熱風に肌を晒しながら考え込む。
未知なるレトロウィルスの保有が疑われている。
変異によってオス化の道から逸れる可能性もあった。
いや、とかぶりを振るう。それは学者の仕事で警察の仕事ではない。
「詳しいですね」
「な~に、親戚がさ、青森でリンゴ作ってんだよ。んで、寄生虫対策で、参考にさせてもらってるそうだ。その話を親戚から聞いたってわけよ」
警察が農業に関わるといえば、作物泥棒だが、親戚ならば話は別だ。
「ただ、すべてクマのせいにされたのは心苦しいですが」
「まあ、肝心な五島が既に死んでいたのはともかく、着ぐるみにされてたなんて信憑性ないしな。おまえさんが山の入り口で見かけたマスコミが遺体として山中で発見され、クマに喰われてたってのも理由付けが大きいだろう。てふしろ様だっけか、そのせいにするにしてもオカルトだって騒がれるオチよ」
マスコミだけではない。警察官や猟友会も犠牲になっている。
クマに遺体が食われていたからこそ、クマが主犯と警察上層部は結論付けた。
そうして遺族に説明したそうだが、納得と理解は別物だ。
「証拠として提出できればよかったのですが、その、燃えてたり崩落に巻き込まれてと……押収したカメラや自分の携帯も、どこかで落としてしまいまして」
崩落した廃坑の中にある可能性が高かった。
「話には聞いてるって。まあ緊急避難だし。その件は、クマが留守中に侵入、食料を食い漁った挙げ句、酒棚まで壊して、コンセントにかかって引火、そのまま全焼したって話になってんだろう」
「え、ええ、恐ろしいほどに」
クマが侵入したとされる証拠も、虫人間を撃退するために少年が火をつけたことも公的記録に存在しない。
ただ、そうなったと結論が報告書としてあげられていた。
「それに、例の山小屋は、新しく建造が進んでいるそうです。なんでも昔、地縁のあった人物が再建に名乗り出たとか」
「結果的に丸くはないとはいえ、収まったからいいんじゃね? あんまり背負うなよ。俺たち警察はあくまで事件という病気を治す薬なんだ。基本手遅れなの。だけど、治すからには全力なのよ」
「そう、ですね」
苦々しい言葉で陽川は返すしかない。
無意識が右わき腹をかく。
虫人間の攻撃を受けた際、生じた傷だ。スーツは切られようと幸いにも薄い切り傷程度。しばらく疼いたが、今はかさぶたができている。ほんの少しズレていれば、内蔵をやられていたはずだ。
「あとさ、この手の展開って、アレなんだよな」
平久は年甲斐もなく、いたずら小僧の顔をする。
「実は卵が一つだけ生き残っていて、どこぞで孵化するってやつ」
「よくある映画の終わり方ですか」
ホラー映画のお約束に、陽川は呆れた顔で、ため息ひとつ。
今回の事件が映画のような非現実的だとしても、そこまでなぞる必要はない。
警察官が拳銃をバカみたいに発砲することも、ヘルメットなしでバイクにまたがりショットガンをぶっ放すことも、たった二人で暴力団の事務所に乗り込んで銃撃を繰り広げるのも危ないことする刑事の展開はあくまで創作、ドラマの話だ。
「痛った」
陽川は呆れた拍子に、かさぶたをかきむしってしまった。
肌には、うっすらと赤い線が走るだけ出血がないのは幸いだ。
そのかさぶたは、熱流に乗って床に落ちる。
そして、ちょうど扉を開けて入ってきた男性の足裏で踏みつぶされていた。
「ぎゅっ!」
男性は足裏にかさぶたが付着したのに気づかず、座り込み汗を流し出す。
「? いまなんか変な声しませんでした?」
「あぁ? したか? ドア開けた時の蝶番の音じゃねえのか?」
「そうですか」
空耳だと陽川は片づける。
こころなしか右わき腹が軽くなったような気がした。
「そろそろあがりましょう。あんまりのんびりしていますと、課長にドヤされますよ」
「おうおう、あいつ怒ると怖えからな、ひっひっひ、日頃からカッカして眉間にシワ寄らせてるから、俺と違って一人娘に嫌われてんだよ」
演技臭く腹を抱える平久に陽川は嘆息しない。
まだまだ学ぶことは多く、世界は常識では囚われないほど広いのだと痛感する。
「まあ、あんな化け物に追われるなんて、二度とこりごりだ」
嘘偽りのない本音だった。
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